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父の餃子を初めて食べた


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記事:戸田タマス(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「お母さんが乳がんになりました」
 
今年の6月、普段連絡なんてよこさない父から突然メールが来た。
何だろうと思いながら開いた瞬間、スマホを持つ手が震えた。
 
「すぐにどうということはないので安心して。精密検査の結果が出たら、また連絡します」
 
周りの声が一瞬にして聞こえなくなり、身体が芯からスーッと冷えていった。
それなのに、頭や耳は熱くて変な汗が出る。
「血の気が引く」とは、きっとあの時の感覚なのだろう。
 
連絡なんて待てるはずがない。
会社から帰宅途中だった私は、スーパーにも寄らず、娘のお迎えにも行かず大急ぎで帰宅し、玄関のドアを開くと同時に父に電話をかけた。
 
母に直接は、かけられなかった。
 
 
父によれば、
先日人間ドッグへ行った際、母の血液検査の結果から、小さいけれど比較的進行の早い、グレード3の乳がんが見つかった、とのことだ。
 
その後の会話はさっぱり覚えていない。
とにかく私はパニックになり、
「本当に治るの? 死なないの?」とばかり繰り返し尋ねていた。
 
 
父は妙に明るい声で、
「大丈夫、治る治る。心配、するな!」と、大声で言った。
 
まるで、自分に言い聞かせているように。
 
 
 
 
父は、とても厳しい人だった。
子供の頃、本当によく怒られたように思う。
 
 
父が会社から帰宅した時、私や兄が机に向かって勉強していなかったら怒られたし、
言葉遣いや行儀がなってないと、またすぐ怒鳴られた。
母に対してもとても亭主関白で、
「おい」と呼びかけ、「めし」「風呂」「ビール」と命令し、自分はタバコを吸いながら動こうとしない。
いつも自信満々、家ではふんぞり返っていた。
 
実際、父は何をやらせても出来るタイプの人間だった。
理系の大学を出ているのに英語も完璧に話せる上、
柔道は黒帯、クラリネットとギターも得意でバンドを組んでいた。
仕事でも社長にまでなった。
定年を迎えてからはチェロとプログラミングを習得してしまった。
30代になった今でも、70歳近くなった父にまだ勝てる気がしない。
 
 
しかし、この時ばかりは父の動揺が手に取るように分かった。
 
 
 
 
 
父の電話から約一カ月後、ようやく私は娘を連れて、実家に帰省することが出来た。
本当は、一刻も早く帰りたかったのだが。
 
「おかえり」
 
久しぶりに会った母は、少し痩せていたが
それ以外はいたって変わらないように見えた。
しかし、
当の母を差し置いて、私はあることに驚き呆然としてしまった。
家の中が、とんでもなく変化していたのだ。
 
 
母がすぐに休めるようにと、父のオーディオ機器が置かれていた場所には、
大きなソファーが設置されていた。
階段に手すりがついていた。
父のゴルフバックがあった場所には、母の帽子やカツラを置く棚が置かれていた。
 
そして、家中に貼られた、父のメモ。
 
風呂場のドアには「最後に入った者が湯を抜き、壁を拭く」
洗面所には「排水溝の髪の毛は毎日とる」
台所には「古い食材は手前、新たに買ったものは後ろ」
 
 
父は、変わったのだ。母がガンになった、あの日から。
 
 
沢山あった父の趣味の道具は消え失せ、母のために買い足した家具。
全て母任せで一切やってこなかった、家事と料理のためのメモ。
父が、全てを母のために、やっているのだ。
 
 
 
 
私が帰省した日の、晩御飯は餃子だった。
餃子は母の得意料理。
家族全員大好きで、週末の金曜日は我が家では「餃子の日」と決まっていたほどだ。
 
手伝うよ、という私の申し出も断り、
父は母のレシピを見ながら2時間以上かけて餃子を作った。
その間も
「水の量はこれでいいのか」
「ニラの量が多い気がする」
と、台所と母がいるソファーを何度も往復していた。
 
出来上がった餃子は、
形はでこぼこ、大きさもまちまち、それにすっかり冷めている。
バツが悪くなったのか、
「先に食べてなさい」と、台所へ戻ってしまった。
 
 
その時、父に聞こえないように母が、
 
「お父さん、変わったでしょう? お母さんもう面白くて面白くて……!」
 
心底面白くて仕方ないといった顔をした。
 
 
 
 
私は、思った。
 
母は、闘病生活の中で、自分なりの楽しみを見つけ始めていた。
もちろん、治療は辛いに違いない。
髪の毛が抜けてしまうことだって、精神的にも相当苦しいだろう。
しかし、きっとこの1か月の間、
父があたふたしながら家事や料理をやっているのを、
母はソファーから面白おかしく眺めて、
あれこれ命令を飛ばしていたのだろう。
 
 
まるで、昔の父と母が、逆転したかのように。
 
 
 
確かに、母はがんになってしまった。
でも、がんであることに負けず、今のこの幸せな瞬間を
しっかりと見つめていた。
父は、自分の今の姿を、母が面白がっているなんて思いもよらないだろう。
しかし結果として、母が明るくなるきっかけを作った。
 
 
誰かを想う力とは、なんて強いのだろう。
家族とは、なんて温かいのだろう。
父は、図らずも自分を変え強くなり、母に力を与えていたのだ。
 
 
母のがんの進行は、
幸いにも薬がよく効き、だいぶ緩やかになっているそうだ。
治る、治らないは、もちろん大問題だが、
今はそれを考えていても仕方ない。
出来ることをしっかりやって、一つずつ治療を進めていくに尽きる。
きっと家族の力を合わせれば、乗り越えていけると信じている。
 
 
父の餃子の味は、母の味に比べるとかなり微妙なものだった。
まずいとも言えず黙って飲み込む。
 
そして私は思ってしまう。
やっぱり、これから先もずっと、母の餃子が食べたい。
父も亭主関白な方が父らしい。
私の方こそ、2人を見習って、もっともっと
強くならなくちゃいけないのかも知れない。
 
嬉しそうに餃子を食べる母と、アチチと顔をしかめながら
まだ餃子を焼いている父。
2人を見比べながら、私は言った。
 
 
「私、お父さんの餃子なんて初めて食べた」
 
 
もう一つ餃子を口に入れ、今度はしっかり噛みしめた。

 
 
***

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2018-12-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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