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安定と冒険、どちらにしますか


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:原雄貴(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
「安定と冒険、どちらにしますか」
こう問われたら、あなたはどちらを選択するだろうか。
どちらを選んでも、誰も何も言わない。
選ぶ理由は、人それぞれだから。
でも、もし「安定」を選ぶとしたら、その「安定」は今のあなたに必要なのだろうか。
 
「僕、公務員志望者をやめます」
ある休日のこと。
僕は、両親を前にして、きっぱりと宣言した。
両親は、驚きとも悲しみとも区別のつかない表情を見せる。
「どうして?」
僕は微笑んで答える。
「冒険をしてみたいからです」
 
僕は、これまでかなり恵まれていた。
兄弟の末っ子だった僕は、色々な人に世話をしてもらった。
例えば家事。
僕が幼い頃は、両親が家事をしてくれていた。
僕が大きくなっても、僕より手際が良い兄が家事をやっていた。
料理も、掃除も、洗濯も。
僕には家事をする機会がなかなか回ってこなかった。
 
勉強の面でも、相当恵まれていた。
中学校の時、卒業後の進路として就職を選んだ同級生は、少なくなかった。
幼い頃に両親に施設に入れられて、中学卒業後に施設を出て働かなければならない人がいた。
家計が苦しくて進学できない人もいた。
そんな同級生がいる中、僕は問題なく高校へと進学できてしまった。
高校進学後、大学にも進学した。
しかも、自分では学費に苦労することがなかった。
中学校や高校の同級生には、自分の力だけで学費を確保して進学した人がいたのに。
大学卒業後、僕は自分の希望で大学院に行かせてもらえた。
大学で知り合った友人達は、全員就職した。
本当は大学院に行きたかったけれど、親の反対で進学できなかった人もいた。
そんな中、僕はまた進学できてしまった。
 
親がひどいわけでもなかった。
共働きで大変な時期もあったのに、両親は自分も僕も食べさせてきた。
僕が大きくなると、自分の稼いだお金を僕の学費に費やしてくれた。
何か文句をいうこともなく。
何とかやりくりして、僕を大学院にまで進学させてくれた。
 
さて、こんなに恵まれた人は、どんな結末を迎えるだろうか。
 
「まさか、こんなことになるなんて」
就職活動中のことだった。
僕は、社会に出て何をしたいのか、分からなくなっていた。
正確に言えば、何のためにこの先の人生を生きていけばいいのか、分からなくなっていた。
「安定しているから」という理由で人から公務員を勧められ、しばらく公務員を目指していた。
でも、途中で納得いかなくなった。
けれど、公務員を目指すのをやめれば、何も分からないところから民間の就職活動を始めなければならない。
「あなたは民間企業に向いていない」
親や先生からそう言われてきたことも、頭から抜け切らない。
もはや、どっちへ行けばいいのか分からなくなっていた。
「なんで、こんなことに」
自分に問い詰めても、すぐには答えが分からない。
でも、何をするために生きているのか分からないのは、自殺にもつながる深刻な問題だ。
「何をしていけばいいのか」
悩みは深まり、苦しんだ。
日に日に食欲はなくなり、食べる量も減っていた。
元気もなくなり、やせ細っていく様子は、友人が心配して声をかけるほどだった。
僕は、恵まれていたはずなのに、なぜこんなことになるのか。
人は、恵まれれば幸せになるのではないのか。
 
たしかに、「恵まれる」ということは人が生きていく上で必要なもので、いわば栄養だ。
衣食住でも、教育でも、福祉でも、人間関係でも、「恵まれる」が少なすぎれば、その先には「餓死」が待っている。
では、反対に「恵まれる」が多すぎるとどうなるのか。
例えば、今の日本は「恵まれる」が多い。
お金があれば、衣食住に困ることはあまりない。
自分の意思や経費の確保などの一定の条件が揃えば、学校に行くことも難しくない。
医療や福祉も同様だ。
特に、僕らは物と情報に囲まれ、欲しい物があまりない人も多いような気がする。
物は、そのまま店に置いておくだけでは、売れなくなるほどになった。
飲食店も多すぎて、驚くほどおいしい料理を食べられるお店をあまり見かけなくなった。
物や情報を中心に、日本は「恵まれる」部分が多くなった。
 
そんな「恵まれる」国に住む人達は、どうなっただろうか。
 
「何が幸せなのか」
「自分は、この先どう生きていけばいいのか」
「他者とどう付き合えばいいのか」
これが分からなくなる人が増えたような気がする。
この先の人生がどうなっていくのか、自分の住む国や地域がどうなるのかも、分からなくなったような気がする。
そして、先が見えなくなる中で、人は大きく二つのタイプに分かれたようだ。
1つは、「安定」を求めて自分の生活の安全を最優先に考える人。
もう1つは、「今の自分や社会を変えたい」と思って転職や起業、町おこし、コミュニティづくりなどを通して「冒険」をしようとする人。
どちらが良い悪いなんて、もちろん断言できない。
状況に応じて、「安定」を求めたり、「冒険」をしたりする必要がある。
ただ、いろんなものに「恵まれる」境遇にある人が、さらに「安定」を求めてしまえば、栄養の取り過ぎで肥満となり、やがて死んでしまう。
物や情報などに「恵まれ」過ぎて、悩みの多くなった今日の人々のように。
人は、「恵まれる」が多すぎても良くない。
「肥料が多すぎた植物は枯れてしまう」ということだ。
 
「恵まれ過ぎたのか、僕は」
僕は、衣食住はもちろん、教育や医療、福祉、そして家族に「恵まれる」境遇の中で育ってきた。
この先も、安定した仕事の中で「恵まれる」境遇に自分を置き続けるつもりだった。
「安定」を捨てるのが怖かったからかもしれない。
「恵まれる」境遇や「安定」を捨てれば、もちろん自分でやらなければいけないことが増える。
何をやるにも、お金や情報を自分の力で集めなければならない。
助けが必要なときは、人に助けを求めるタイミングや頼み方などを判断することも必要になる。
仕事だって、いつなくなるのか分からない。
もしかしたら、明日の食事にありつけるか分からないようなことになるかもしれない。
でも、このまま「恵まれる」境遇に置いておくことは自分のためにならないようだ。
「一刻も早く「恵まれ過ぎる」状況から脱出しなければ」
何とか自分を変えたいと思い、これからを生きる方法を考えた。
やはり、「安定」を捨てることへの恐怖は拭い切れないが、行き着いた答えは1つだった。
 
「冒険」に出るしかない。しかも面白い「冒険」に。
 
このままでは自分がダメになるから、仕方なく「冒険」をするのではない。
同じ冒険をするなら、自分が面白いと思えるものにしたい。
人生は一度しかないのだから。
「面白いと思えるものを見つけて、自分なりに頑張ってみよう」
ちょうど今、趣味で少し面白いと思い始めたものがあった。
今は趣味だけれど、将来仕事にできるかもしれない。
自分なりに精一杯頑張ってみて、ダメならまた他を当たるのもいい。
「よし。やってやるぞ!」
覚悟は決まった。
 
「僕、公務員志望者をやめます」
「冒険をしてみたいからです」
 
 
***

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2018-12-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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