いざ小さな時間旅行へ
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記事:蘆田真琴(ライティング・ゼミ日曜コース)
恥を承知で言うと、私は習い事が長続きしない方だ。しかしそんな中、唯一継続している習い事がある。それは「着物の着付け」だ。長続きしている理由はよくわからないが、ともかく何となく続いてしまっている。
土壌はあった。おそらくは着物好きの母方の祖母の影響だろう。子どもの頃、祖母と散歩に行くことが多かった。だが懇意にしている着物屋さんのショーウインドウに飾られた反物を彼女が見とめたが最後「明日はパフェ食べに連れてってあげるから」という取引文句を言い、店に入るとあっという間に畳の上にはいくつもの反物が広げられてしまった。そしてお店の主人と反物を眺めながら話に花を咲かせる祖母に長く待たされたものだった。それは当時、大して着物に興味のなかった私にとっては、なかなかの苦行だった。
しかし実家を離れて知り合いもいない土地での生活を始め、何か習い事でもやって新しい交友関係を築こうかと思い、軽い気持ちで一日講座から着付けを習い始めた。結果、思った以上に続いてしまったのである。他人に着せるのはあまり上手くはならなかったが、調子よく先生に乗せられ、最終的には花嫁衣装の着付けまで修了して免状まで取ってしまった。
そうして、ようやく自分で着るということに自信がついた頃、私は彼女が発注してくれた着物を着て彼女の元を訪れた。思っていたとおり、彼女は私の姿を見てとても喜んでくれた。
驚いたのは翌日のことだった。足腰がすっかり弱って危ないこともあり何年も家の二階に上がっていなかった彼女が、急いた様子で這うようにして階段を上り始めたのである。私は転げ落ちないかヒヤヒヤしながら「ついておいで」との言葉に従った。昨日の私の姿を見て、居ても立ってもいられなくなったのだと彼女は言った。
そこには彼女の宝箱とも言える着物用の桐ダンスがあった。引き出しを開け、一段の箱を持ち上げて、床に置き仕舞われていたものを出し始めた。たとう紙を紐解くと、あっという間に色とりどりの着物で床がいっぱいになった。
一つひとつを大事そうに広げれば、次に動くのは口だった。やれどこで買った、これを着ておじいさんとあそこへ行った、これは何年前にみんなで西伊豆に行った時に着てたものよ……など次々と過ぎ去った時間が彼女の前に広がっていくのだ。話の細かさにその記憶がないはずの私にも、それぞれの着物を着ていた時の様子が見えるようだった。
着物を広げたあの一瞬で、私と祖母はタイムマシンに乗ったのだ。気がつくと食事をすることすら忘れてしまうくらいに夢中になり、その時間旅行は楽しかった。着物はただの衣類ではない。着た者を過去に、未来に連れて行ってくれるタイムマシンなのだ。
「過去を遡る機能」は遡れる時間に限りはあるものの、祖父母や父母から、あるいは所縁ある方から受け継いだものであれば概ね装備されているし、自分の思い出の一枚であれば標準搭載している。勿論、着れば着るほど、大切に扱えば扱うほどこれから着るたびに遡ることができる過去の時間も増えていく。
新しく買った着物は、過去には遡れないかもしれない。だが、身に着けることでこれから素晴らしいタイムマシンにカスタマイズしていくことは可能だ。
着物屋さんで既製品を買った場合でも、反物から選びサイズを自分用に合わせて出来上がって、届けられたものでも問題はない。着物のしつけ糸を取ったり、袖を通して羽織ってみれば「成人式にはこれを着て、友達と写真撮るんだ!」「さあ、これを着てあそこに行こう」「あの会に着て行こう」「将来は誰それに譲って着てもらおう」と時間は不確定ながらも未来へと飛ばすことさえできる。それは買ったものであろうと、譲られたものであろうとレンタル着物であろうと“未来を渡る機能”にはさほど影響はない。
私にとって、よく晴れた空気が乾いた秋の1日は、着物に風を通し湿気を飛ばすという、いわゆる虫干しの作業が定期的なタイムトラベルの日だ。「思い出の一枚」というタイムマシンを介して、今はもう亡くなってしまった祖母が、弱った足腰で階段を懸命に上る姿や、着物を広げながら嬉しそうに話す様子が、つい昨日のことのように思い出せるのだ。
そして現在、私はそのタイムマシンに乗って時々ささやかな歴史改変もしている。つまるところ和洋折衷の着こなしである。せっかくなら実用性と面白さを兼ねた有意義な旅にしたいので、着る前からあれこれと実験する内容を考えている。その時間はとても楽しいものだ。
昨今は決まりごとや自らが抱くメージにうるさい“着物警察”なる者が洋服姿で街中をパトロールしているらしいが、別に誰かに危害を加える訳でなし。私はこれからも着物警察の監視を堂々突破しながら過去から未来、そして別のルートを辿った世界への旅を気ままに楽しむつもりだ。
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