私のロールスロイス
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:手代木 洸(ライティング・ゼミ 日曜コース)
誰にでも1つや2つ、愛着のある物があるだろう。
私は普段、ロールスロイスに乗っている。
小学5年生だった当時、身長が伸びてきたために、前に乗っていた子供用マウンテンバイクでは不自由になり、大人用の自転車を父に買ってもらった。確か誕生日のお祝いだったと思う。
展示品で在庫はその1台が最後だった。艶消しの真っ黒なアルミ製ボディの海外メーカー製の新車は、当時小学生の僕からしてみたら、ロールスロイスを手にしたかのような興奮を覚えた。いや、今この瞬間にロールスロイスを手にしたとしても、あそこまでの喜びは感じられないかもしれない。
それからの僕は、毎日の様に愛車に乗った。学校が終わり友達と遊びに行くとき、受験勉強のため通っていた塾へ行くとき、中学・高校への通学路。
日々の思い出を自転車とともに刻んでいった。
そんな愛車との1番の思い出は大学3年生の時のこと。
当時、鎌倉の喫茶店でアルバイトをしていた僕は、いつも自宅から電車で向かう道を自転車で移動していた。年明けだったが、鎌倉の初詣で混雑する電車を避けたかったからだ。
バイトを終え、暗くなった車道の端を走っていた。ヘッドライトで右後ろから車が近づいてくることを感じ、車道から歩道側へ移ろうとしたときに事が起こった。
車道と歩道の間の段差に自転車の前輪がはまり、コントロールが効かなくなったしまった。
「っ……!」
一瞬の出来ことだったが、自分の身体が宙に浮くのを感じ、次の瞬間、身体をアスファルトに打ち付けた衝撃が襲ってきた。
「痛っ!」
と小声でつぶやき、バイト終わりの解放感が一瞬で萎えていくのを感じながら、倒れた愛車を立て直した。
(ったく、ツイてないな……。)
とその時、自分の口の周りが妙に湿っぽいことに気が付いた。
(何だろ、冬だしさすがに汗じゃないよな?)
と思いつつ着ていたパーカーの袖で拭ってみたが、暗くて自分ではよく分からない。
そもそも自転車でド派手にコケたので、恥ずかしさからなるべく道行く人とは目を合わせない様に自転車を歩道脇に引いていたが、通りすがりのカップルの女性の方が僕に駆け足で近づいてきて顔を覗き込み、
「きゃっ!凄い血が出てますよ!」
と言った。
最初は何のことか全く分からなかったが、さっきから何回拭っても出てくる謎の液体が、実は顔を切って出血していのだと分かった。と、同時に刺すような痛みが襲ってきた。
「とにかく、私が救急車を呼びますから! じっとしていてください!」
出血自体も割と酷かったが、何より見ず知らずの人に心配をかけてしまったことへの罪悪感と
(両親に怒られるのかなー。)
等という、半ばどうでもいいことを心配しながら、呆然と立ち尽くしていた。
程無く救急車が到着し、自転車とともに積み込まれた。
幸い、家のすぐ近くの病院が空いていたためそこで治療を受けることになり、母も来てくれることとなった。
病院に着くなり、ベッドに寝かせられ顔にガーゼがかけられた。
上唇の近くに注射で麻酔を打たれ、傷口を診た医師からは、
「あー、結構深いねー」
と無暗に不安を煽るコメントを貰ったが、30分ほどで処置は完了した。
結果的に、上唇とアゴの近くにそれぞれ7針+3針というなかなかの傷を負ったわけだが、おかげ様ですぐに傷も塞がり、今は自分でも分からないくらいだ。
治療室を出ると、誰もいない待合室で母が涙目で僕のことを待ってくれていた。
「ったく、本当にあんたはしょうもないことで、心配ばっかりかけて!」
とは言われたものの、病院から自宅への帰り道、その頃就活やらであまり話せていなかった母と久々に色々な話をすることができ、ケガしながら何だか妙に温かい気持ちになっていた。その時はさすがに、母がケガをした自分の代わりに愛車を引いてくれていた。
今考えるとコケたあの時、歩道側に自転車が倒れてくれたから良かったものの、車道側だったら冗談抜きで轢かれていたと思う。いやー、愛車には助けられました。
そんな愛車も購入から15年近くが経つが、いまだ現役で乗り回している。今年から都内で一人暮らしを始めたが、もちろん引っ越しの時もトラックに積み込んだ。
先日タイヤがパンクしたため修理屋に持って行った。
「兄ちゃん、この自転車はもうだいぶガタ来とるよ。乗れなくはないが、新しいの買った方が快適だし、修理するより安く済むぞ。」
何せタイヤとボディを繋ぐ部分のネジが錆び付いており、致命傷らしい。
後日、知人と会った際にも自転車で向かった。
「へーっ、15年間も同じ自転車に乗ってる人なんか見たことないわ! 物持ちめっちゃいいなー!」
確かに、ボロボロになっても直せば乗れるし、何より自分にとってはこの自転車より乗り心地が良いのは見つけられないと思う。
例え、欧州メーカーの100万円ブランド車、とかでも敵わない。いや、乗り心地はさすがに良いのだろうけども。
だってこの自転車は自分の人生そのものだから。
時として人は、「愛着」という言葉だけでは表せない感情を、物に抱くことがあると思う。
自転車以外にも思い入れのある物を持ちたいし、他人の大切なものに対する思いも聞きたい。
素敵な物との出会いは人生を豊かにしてくれる。
折角のマウンテンバイクなのだから、本来走るべき山道やオフロードを経験させてあげるべきだったのかもしれない。
その代わり、こいつには現役でもっと頑張ってもらわなければ。これからも僕を色んな場所へ運んでほしい。
今日も僕は、サドルが擦り切れた「ロールスロイス」にまたがり、彼が見知らぬ東京の街を走り抜ける。
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