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体育会系女子の挫折はシャンソンの記憶


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記事:近本由美子(ライティング・ゼミ木曜コース)
 
 
すでに大学を卒業して30年以上の時が過ぎた。
そんな時間を経ても忘れられない人がいる。
それは人生初の挫折という経験の渦中にいる時に出会った人だ。
 
 
私が九州の田舎の高校から東京の大学に進学したのは、それまで続けていた陸上競技をもっと極めるためだった。
親にも無理をお願いして進学させてもらった。
すべては、自分の競技者としての可能性にチャレンジしてみたいという気持ちからだった。
 
でもそんな思いは大学1年の夏休みには半分あきらめに近いものに変わろうとしていた。
私は、高校3年生の時に100mでインターハイに優勝した経験を持つスプリンターだった。
 
部員数100名を超える部の練習は、田舎の高校の練習とは違った。それは練習がハードだったということではない。
あまりにも規則的で、組織化されている雰囲気に心がついていけてなかった。
田舎の自然に囲まれた学校の少人数の部で、伸び伸び練習してきた私には、大学のどこか機械的とも思える集団の練習に閉鎖的な感じを受けていた。
 
そんな1年生のある夏の日、私はグランドを加速して走っていて 突然足のコントロールを失いグランドに倒れ込んだ。
倒れる前、ブッチ! っという鈍い音が聞こえた。それが筋肉の断裂する時の感覚だとはわからなかった。
グランドに伏したままの私は自分で立ち上がることはできずその場にうずくまった。数人が私のところに駆け寄ってきた。
「あー、やっちゃった。肉離れだね」先輩の声がした。
私はマネージャーから両脇を抱えられ応急処置を受けた。それまで一度もケガをしたことがなかった私はこの先どうしたらいいのかわからず、放心状態だった。
 
そんな私に3年生の先輩が「須田さんところに行ってみたら? 私もケガをした時、お世話になっているから紹介するよ」と言ってくれた。
 
人は未知の体験の前には赤ん坊と一緒だ。それがどんなものなのかわからなくても もはや選択の余地はない。当時は今の時代のように情報や手立てが豊富にあるわけではなかった。
 
そうして私は渋谷の代々木八幡駅の徒歩5分にあるという治療院に暗い気持ちで向かった。
その人は恐る恐る訪ねてきた私を子供のような笑顔で迎えてくれた。
「聞いているわ。古賀さんね。ちょっと待ってね」
それが須田さんだった。歳は私より15歳上の小柄な女性は、先生というより気さくなお姉さんという感じだった。
 
田舎から東京に出てきた私の心細さも、ケガの不安もすべてをもう知っているよ。というような雰囲気で優しくケガの患部に触れていった。
そして「だいぶ、無理をしたわねぇ」そうつぶやいた。
 
ケガをすることで一番辛いのは本人だということをこの人は十分わかっている人だった。それだけで私の気持ちは少し楽になった。
 
なぜなら、当時私の所属していた部は全日本インカレの総合優勝を目標にしていた。コーチも監督も成果こそがすべて。そんな状況で練習をケガで休むのはまるでサボっているような感じで受け取られる雰囲気があった。
 
私は真剣にケガを治そうという気持ちより、どう監督に見られているかの方に気持ちがいくことが多くなっていた。
成果と評価が目的になってしまって、本来あったはずの可能性へのチャレンジの気持ちを失っていた。
それは失速するループへ巻き込まれていくようなものだった。
 
ケガは思うように治らず、治らないのに試合に出場し、又ケガをするという繰り返しになった。
 
須田さんは、そんな私の葛藤もすべてわかっていた。
「あなたね。ゆっくり休養して、筋肉に栄養をやらなくちゃ」
疲労が蓄積して硬くなった筋肉を見てそう話しかけてくれた。
 
結局、私は100mを全力で走ることが怖くなった。
その時点で私は完全に挫折を感じた。競走馬がレースに出なくなったら何の価値もないのと同じだ。
何のための大学生活だったのだろうか?
東京まで来た意味があったのだろうか?
親に無理をお願いしたのに。
 
そんな事ばかり考えていた。
スポーツの世界の光と影を見たような思いだった。
栄光からの挫折だ。
 
そんな気持ちで治療院に通っていた私は、そんな思いは誰にも話すことはなかった。話してしまったらやっとの思いで自分を支えているプライドが折れてしまいそうだった。
 
そんな私に、須田さんはいろんなことを教えてくれた。
治療が最後だと、「今から、代々木公園を一緒にジョギングしない?」
市民ランナーでもあった須田さんは、私に楽しんでジョギングすることも教えてくれた。
木立ちの中で走る心地よさ。おしゃべりしながら汗をかく爽快さ。
須田さんは、ちっとも固定概念にとらわれていなかった。
そんな須田さんの話はいつもユニークでおもしろかった。
 
一番の思い出は、今はなくなってしまった銀座にあるシャンション喫茶店、銀パリまで代々木八幡からジョギングをして行ったことだ。
そこは成熟した大人たちが心の琴線に触れる時を過ごす特別な場所だった。
私はシャンソンを生で聞いたのは初めてだった。隣の席でシャンソンを聞いている須田さんの頬に一筋の涙が流れるのが見えた。
いつも励ましてもらうだけの私だけれど、この人の人生にはもっとつらいことがあったに違いないと思った。
 
そして、帰りに「おなかすいちゃったわね」といたずらっぽく笑って、銀座のステーキハウスでステーキをご馳走してくれた。
大学4年になっていた私に「あなたが田舎にかえっちゃうと寂しくなるわね。
採用試験に落ちたら、東京にのこりなさいよ。就職先は知り合いにお願いしてみるから」と半分本気な目で私に言った。
私は大学を卒業したら地元に戻って教員になることがすでに決まっていた。
私も須田さんもどこか孤独なものどうしだったのかもしれない。
 
人生は時が過ぎたときに事実の解釈が変わることがある。
辛かった大学生活が本当は豊かな時間だったと感じられるようになるには
時間が必要だった。
卒業して10年後、私の結婚式に須田さんは東京から満面の笑みで参加してくれた。須田さんの顔を見ると涙がこぼれそうになった。

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2018-12-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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