メディアグランプリ

ライティングゼミの受講生は幸せ探しの達人である


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【1月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《土曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

 

記事:坂田光太郎(ライティング・ゼミ 平日コース)
 
「生きている限り、バットエンドはない。僕らはまだ途中だ」
この一文は小説、「火花」の一文である。
「火花」というと芸人の又吉さんのデビュー作にして、芥川賞受賞だ。
1人の若手芸人が、先輩芸人と切磋琢磨し、お笑いの頂点を目指す青春群像劇。
お笑い芸人のあまり見られない裏の苦悩を又吉さんの独創的な文章で鮮明かつユーモアに描いた事で、小説は異例の大ヒットを遂げた。
さらには、ドラマ化、映画化、されたことで小説を読まない人にも親しみがある作品だと思う。
私も、ドラマを見てから小説を読んだ1人だ。
興味はあったが、なぜか小説を買うのを渋った。
なぜだろうか。今では、大好きな小説の一つなのに。
多分、渋った理由の一つに私の悪い癖がある。
それは、「どうせ」病だ。
中学生の時、発生したこの病気によって私の人生は相当つまんなくなったと思う。
私だけではない。中学生を経験した人のほとんどはこの病気にかかっている可能性がある。
いい意味で言えば大人になった証拠。でも、なるべくならかかりたくない病気だ。
「むかし、むかし、あるところに」と小さい時からたくさんの絵本や、アニメを多くの人は見てきたとおもう。そして、その多くの人は、物語が「めでたし、めでたし」で終わることを知ってしる。中にはめでたくない物語もある。
「人魚姫」のラストは人魚姫の投身自殺だ。
しかし、友人にその話をすると、「えー!人魚姫は人間になって、王子様と結婚するんじゃないの!?」
と驚く。友達が物知らずなのか、それとも多くの人が勘違いしているのかは、わからないが、友人が勘違いした理由は1つしかない。
「あーそれリトルマーメイドのラストね」
そう、ディズニーの「リトルマーメイド」のラストが先行し、原作のラストが薄まったのだ。意外に童話は、バットエンドが多い。
だが、バットエンドの話は広まりずらい。
他にも「桃太郎」や「赤ずきん」、「シンデレラ」など誰もが知っている物語のほとんどが、ハッピーエンドである。
「ハッピーエンド」が、多くの人を楽しませる。
「むかしむかし」から「めでたし、めでたし」が染み付いた大人たちに
もはや「ハッピーエンド」は常識なのだ。
その常識を中学生でなんとなく知ってしまった私は「どうせ」病に発症した。
「どうせ、ハッピーエンドになる」
「どうせ、主人公は幸せになる」と、ラストを予想し、物語を見ることに積極的になれない時期があった。
友人から「このマンガ面白いよ」と勧められても、「このドラマ面白いよ」
と言われても「どうせ」が発動する。今思うとなんともこじれた少年時代だった。
 
そんな「どうせ」が、発生し、小説を買うことを渋らせたのだ。
ドラマを見ようと思ったのは以前から加入していた有料ネット配信サイトで配信し始めたからだ。
買うという行動は、「どうせ」の壁を越えられなかったが、以前から加入しているので追加料金はかからない。
「どうせ」の壁はらくらく超え、即観賞した。
そこからは、本当に早かった。時間を忘れてドラマを観た。芸人の華やかな舞台、その裏の苦労、人間関係、もがき苦しむ芸人の姿に、どんどん引き込まれていった。
次の話、次の話と久しぶりに次が観たくなるドラマに出会った。
しかし、最終回に近づくにつれて「どうせ」がまた頭によぎる。
「どうせ、M1で優勝しておわるのだろう」とか、「どうせ、成功しておわるのだろう」という感情が生まれる。
しかし、その予想は裏切られた。
ネタバレになるので、すべてを言えない。だが一つ言えることがある。
この物語はハッピーエンドではない。しかし、バットエンドではない。
全部観終えたあと私は考えた。「なぜ、あの終わり方にしたのだろう」と。
大会で優勝してハッピーエンドのほうが、終わり方が楽なのに。
私は考えた。
ここからは、推測ではあるが、又吉さんはリアルを追及したのではないであろうか。
お笑いでご飯が食べられるのは一握りの芸人だ。
ほとんどは、バイトで生計を立てているらしい。
現に、若手は「リアルすぎて見れない」と言っているらしい。
真実に忠実な作品なのだ。
でも、決してバッドエンドではない。
又吉さんは、火花という物語にハッピーでも、バットでもない終わり方で終わらせた。
希望という終わらせ方だ。「これから、優勝するかもしれない」
「これから、成功するかもしれない」という、希望を与える終わらせ方。
その希望が、あの一文に込められているのだと私は勝手に思う。
 
あの一文は凄いなとライティングセミナーを受けて改めて思った。
自分のリアルを題材にするライティンググランプリ。
しかし、リアルにハッピーエンドは約束されていない、
リアルに「どうせ」はない。
でも、コンテンツには、ハッピーエンドや希望がある終わらせ方が求められている。
私も「この話を書きたいが、ハッピーエンドで終わらせる自信がない」という理由で書かない題材がたくさんある。
きっとライティンググランプリ参加者は全員悩むところだ。
しかし、毎週、その難題と向き合い課題をクリアしている。
本当に凄い。まさに、幸せ探しに達人だ。
そしてふと思う。
もしかしたら、このグランプリをやることで幸せ探しが上手くなるのではないかと。
そしたら、リアルも楽しくなるのではないかと。
凄い副作用だ。
リアルはハッピーエンドとは限らないが、少しでも希望や幸せを探せば見つかるのかもしれない。
「生きている限り、バッドエンドではない。ぼくらはまだ途中だ」
又吉さんが、この1文で物語に希望を与えたように、私もリアルの中の希望を探しながら、
読まれるライティングをして行こうと思う。その希望が、読んでくれた誰かの希望になると信じて。

 
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2018-12-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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