コーラ味の飴の話
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:檜垣 嘉孝(ライティング・ゼミ1DAY講座)
文章を書くことは、とても難しいことだと思う。
他人に自分の考えの真意を伝えるのは、もっと難しいことだと思う。
文字を書く人や絵を描く人を含めて、何かを創造し、何かしらの情報を発信しようとしている人が考えているのは、
「どうやったら本質を伝えられるのか」
「受け手は何を求めているのか」
ということだと思う。人によって考え方や受け止め方は違うと思うけれど、嘘をあえて書きたいと願っている人はいないだろうし、「どうやったら情報の受け手のニーズを外すことができるのか」などと考えながらコンテンツを作っている人はいない。
手段は違えど、書き手や作り手が目指すべき究極の目標は、伝えたいことの本質を余すところなく表現することだと思う。
考えて、書いたり、描いたり、創ったりする。
書いて、読み直して、修正して、また書く。
書いているうちは快調そのもので、これまでの人生で経験して学習したあらゆる表現方法や語彙力を武器に、最初に設定した「書きたいこと」に順調に迫っている様に思える。書くこと自体に快感を覚えることもあるかもしれない。でも、完成だと思っていざ自分の書いた文章を読み返すと、「これは自分の書きたかったことじゃない」と失望する。
そんなことを繰り返しながら、それでも、また書く。
ひょっとしたら、そもそも「書きたいこと」や「伝えたいこと」は、言葉や事物にするのが不可能なものなのではないか、とも思えてくる。
書くことや伝えることの難しさに直面するたびに、僕はいつもコーラ味の飴を思い出す。
「コーラ味」と聞いて連想する「味」とは、どんなものだろうか。
酸っぱい。甘い。苦い。塩辛い。旨い。コク深い。まろやか。刺激的。痛い。不味い。
人によって感覚は違うと思う。これまでに何本のコーラを飲んだかによって、あるいは年代によっても違うだろうし、ひょっとしたら国籍や地域によっても違うかもしれない。では、その感覚を誰かと共有したいと考えたとき、どうするだろうか。
文章に起こして、言葉にして伝えようとするけれども、いかんせんうまくいかないのではないか。その口が、その舌が、その胃袋が明確に記憶しているであろう身近な感覚でさえ、文章にして形にすることは極めて困難なのだ。
僕は未だかつて、コーラ味を的確に、誰もが理解できるように言葉や事物にして説明できる人間に出会ったことはない。でも、コーラ味のことは誰もが知っている。少なくともコーラを一度でも口にしたことのある人なら、知っている。
だからこそコーラ味の飴の味を誰かにわかりやすく説明したいと考えたときに、
「甘い炭酸水」
などという表現ではきっと不十分だろうし、
「世界中で毎日10億杯以上飲まれているというデータがあるほど老若男女に受け入れられている普遍的飲料とも言える炭酸水で、酸っぱくもあり、甘くもあり、ときに苦くもある」
という言い方でもおそらくまだ不足があるだろう。知りたい、あるいは表現したいのは、「コーラ味とは何なのか」であって、「コーラ味がどのように捉えられているのか」ではない。
ひょっとしたら「文章を書く」という行為は、コーラ味の飴について誰かに説明しようとするようなもので、世界中の人類が等しく確かに持っているけれども、言葉や事物にすることができない「感覚」と呼ばれるフワフワしたものを、誰もがわかりやすいように具現化するための試みの一つなのではないかと思う。
どんなに言葉を費やしても、どんなに豊富な語彙力を有していたとしても、コーラ味を完璧に表現することはできないと思う。それができる人がいるとすれば、これはもうすごい。超絶すごい。やばい。
ただし、難しいこととは言え、コーラ味という感覚や概念に少しでも近づいていく試みは楽しくもあると思う。
「カラメル色素、砂糖、カフェインなどを主原料とする炭酸水」という切り口から入れば一冊の本ができるかも入れないし、「初恋が終わりを告げたときの感覚を呼び覚ましてくれるたった一つの飲料」というポエムも面白いかもしれない。
とにかく正解はない。不正解もない。これは文章を書くという行為にまつわる究極の難しさであり、醍醐味でもあると思う。
ミロのヴィーナスが200年近く前にミロス島で発見されて以来、未だに人々を引き付けて止まない魅力があるのは、作者の生涯が不明なことも、歴史的な背景があることも関係しているのかもしれないけれども、「正解がない」ためだと思う。正解がないから人は「あるべきミロのヴィーナス像」について色々な想像ができるのだし、正解に近づくための努力や試行錯誤が惜しみなくできるのだと思う。
試行錯誤するには大変な苦労を伴う。「もうやめたい」と思うかもしれない。
でも、少しでも本質に近づけて、「伝えたい」と思う感覚が言葉になった時、人はこの上ない喜びや感動を覚えるのだと思う。
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