忘れ得ぬ茶会
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:田中義郎(ライティング・ゼミ日曜コース)
「いやぁ、おいしいお茶、めったに頂けないお茶を頂きました。やっぱり男ハンの点てたお茶は違いますなぁ」
ある茶会で正客(主賓)の70歳前後の女性からのお礼の言葉だった。品のある眼差しで、にっこり笑われた。穏やかな笑顔だった。
「有難うございます」と答えたものの、ぼくの心は不安だった。今、どのようなお茶を差し上げたのか、まったく覚えていなかったからだ。
この日の茶会は、千小庵(利休の女婿)作の茶杓が使われた。400年以上前につくられた名品だ。代替品はない。しかも竹は経年劣化していく。何かのはずみでぽろりと折れてしまったら取り返しのつかないことになる。
茶を点てながら、ぼくの全神経は無意識に茶杓に集中していた。客のことは何も考えていなかった。
どんなお茶を出したのか。
客が退席するのを待って茶室に入り棗(抹茶を入れる茶器)に残っている抹茶を確認した。いつもの半分の量しか残っていなかった。つまり、ぼくは2人分の抹茶で1人分のお茶を点て、正客に差し上げていたのだ。
「めったに頂けないお茶」
この正客の言葉がぼくの胸に突き刺さった。しばし呆然としていた。冷や汗が背中を流れた。茶杓に集中し、何よりも一番大切にしなければならない客をないがしろにしてしまっていた。茶の湯に入門して10数年、始めての大失敗だった。
お茶を点てる時間は30分余り。もし、正客がぼくのお点前を一部始終見ていたなら、ぼくの所作の隅々から茶杓に集中し、自分に心が向けられていないことを感じ取ったはずだ。しかし、正客には、同席している10数人の客を茶の湯の世界に導き入れるというリーダーとしての役割がある。お点前を見る余裕など余りないのが現状だ。ぼくは、ただただ、そうあることを祈るしかなかった。
果せるかな、ぼくの祈りが天に届いたのだろうか。正客が帰路につく前に残してくれた伝言があった。
「お点前された方のお心がお茶に乗り移っていました。男ハンならでの力強いお茶を頂き、とっても幸せでした。今後も精進するようお伝えください」と。
正客は、ぼくの心の内のすべてを読み取っていたのだ。だから、苦しい心境を察し、エールを送ってくれたのだ。その心遣いに涙が出るほど嬉しかった。
それだけではない。ぼくにとって生涯忘れ得ない「記念すべき茶会」になった。
ぼくが茶の湯に入門したのは27歳のときだった。
当時、ぼくはサラリーマンで与えられていた仕事は「効率」だった。頭の中には、効率という二文字が刷り込まれていた。いかに効率を高めコストダウンを図るか。高度成長の真っただ中にあって国際競争力強化が発展の鍵を握っていたからだ。
このタイミングで、たまたま茶会に出席する機会があった。
茶の湯の世界に触れた瞬間、ぼくの頭はひっくり返った。天と地が逆転した。
お点前を「傍観」しながら、目の前に展開されている世界に、ぼくは「なぜ?なぜ?」を連発していた。一服のお茶を頂くのに、なぜ、1時間近く待たされるのか。なぜ、30分以上の時間を使って点てるのか。5分もあれば十分ではないか。なぜ、心にもない言葉でうやうやしく挨拶するのか。激動する社会とは対極の世界が、なぜ、脈々と生き続けているのか。
帰路、冷静に考えた。
茶の湯は日本を代表する文化の1つである。
しかし、ぼくは文化について何の知識も持ち合わせていなかった。茶の湯に潜んでいる「何か」を知る術もなかった。
はやる心を押さえ、茶の湯の門をたたいた。
先生に入門の動機を述べた。微笑みながらぼくを見てこう言われた。
「田中さん、お茶を勉強する目的は、お点前(お茶を点てる手順)を学ぶことではありません。客が所望するお茶を差し上げることです。客は『私はこんなお茶を飲みたい』とは言ってくれません。それを推し測って(所望される)お茶を差し上げることです。何年かかるか分かりませんが、やってみますか」
「分かりました。やってみます」と答えたが、ぼくは何も分かっていなかった。
人の心や思いを推し測る。今まで考える機会も、考えたこともなかった。
それから週1回、仕事を終えてからお稽古に通った。5年10年と、ときが経過した。さまざまなことを学んだ。お点前も少しずつ上手くなっているという手応えも感じた。茶の湯の深さに接し圧倒される日もあった。しかし肝心の「所望されるお茶」については何一つ解明できていなかった。
ただ、何回も茶会に出席し、分かりかけてきたことが1つだけあった。茶の湯の主役は「人」、極上のツールを背景にして、極上の人間関係をつくり上げる。その機会を提供する場が茶会であることを感じ取っていた。
茶会では常に究極の顧客満足の世界が展開されていた。コストは一切無視、すべてが客のために、客に喜んでもらえることは何でもする。この精神が徹底されていた。
抹茶、お菓子、茶器、軸、香、花入れ、花、さらに、テーマ、季節感、そして茶室、露地、さらに当日雨が降ったらどうするか、など、準備には気の遠くなるようなさまざまな話し合いが繰り広げられた。
うやうやしい挨拶も、これらのことをすべて承知しているから交わせる挨拶だということも理解できるようになっていた。
なぜ、忘れ得ぬ「記念すべき茶会」になったのか。
あの日、正客はぼくの心の内をすべて見抜いていた。「男ハンならではのお茶」に、一服に2人分の抹茶を使用したその「勇気」をたたえ、茶の湯に新しい「風」を吹き込んでほしいという自らの思いが込められていた。
何もかも承知した上で、相手をたたえ、励ます。そして、自分の思いも伝える。そして、相手もそれに応える。この先に「客が所望するお茶」を理解する手掛かりがあるに違いない。
新しい自信がぼくの心を襲った。
正客との出逢いが、一服のお茶を点てる30分あまりの束の間の時間を通して、ぼくの人生に「真っ白な新しいページ」を開いてくれた。
しかし、この正客との再会はない。今後も訪れないだろう。
これが茶の湯の文化なのだ。
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