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いま地域社会に必要なのは本田圭佑の究極のサッカーだと思う


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:細田 北斗(ライティング・ゼミ土曜コース)

いま、私はチェーンソーを持ち、丸太と対峙している。
けたたましいエンジン音が鳴り響き、手から伝わる振動で体中が震える。
チェーンソーが丸太に触れると、更に振動は増幅し、気を抜くと生き物のようにチェーンソーが暴れる。
丸太を輪切りにしたら、今度は斧を振り下ろして何等分かに割って薪ができる。
こんな恐ろしいものを扱っている自分が怖くなる時もある。

理由は一つ、冬季の暖を取るため、ストーブの燃料となる薪を丸太から自分でつくっているのだ。
北国では、冬の暖房は死活問題で、できるだけ価格が安く、使い易く、安定的に使えるものが好まれる。
使い易さの面では、石油ストーブやエアコンの方が、薪ストーブよりも間違いなく勝っている。

では、なぜこのような危険で面倒なことをしているのか。
それは、2011年の東日本大震災が大きな転機となった。

あの大地震の直後から、街は停電し、物流はストップした。
これまでの生活が、脆くも崩れ落ちた瞬間だった。もちろん、多くの命が犠牲になったことを考えれば、不便な生活を送ることなど、文句を言っていられるような状況ではなかった。

でも、喉元過ぎれば熱さを忘れることはできなかった。
私は街中の明かりが消えたあの時、これまで強い照明によって見えていなかった、小さな光を見た気がした。

地震の翌日、この災害の長期化を覚悟した私は、当然のように食料の確保を考えた。しかし、全国チェーンのコンビニ等は、軒並み閉店していた。
「やっぱり駄目か」
諦めかけたその時、郊外の古ぼけた小さな商店に複数の車が止まっているのを見つけた。
「開いてる!」
喜び勇んで薄暗い店内に入ると、会計を待つ客の列の先には、腰を曲げたお爺さんが、「カチャカチャカチャ」と軽快な音でそろばんを弾いていた。
デジタル文明が役に立たなくなった時のお爺さんが、薄暗い店内で輝いて見えた。
(冷静に考えれば電卓は使えたと思うが、その時はひどく感銘を受けたものだった。)

一方、ガソリン・灯油は、鉄道が復旧するまで輸送できず、ガソリンスタンドには、文字通りの長蛇の列ができていた。

そうした中で、比較的日常生活に支障をきたしていなかったのは、農山村に暮らす人たちであったように思う。
彼らは、薪ストーブで暖を取り、お湯も作ることができたし、町に住む人達よりも食料の貯蔵量が多かった。発電機だって持っている。全てとは言わないが、自分のことは自分で面倒を見れる、あるいは集落単位で支え合える人たちだ。

三陸沿岸の被災地では、津波で家ごと失った人たちに対して、薪ストーブを運び、お風呂を提供するボランティアが大活躍した。計画など無い、困難が幾重にも積み重なっている状況下で、臨機応変に材料を集め、設置し、運用方法も被災者と一緒になって決める人たちが輝いていた。

大震災という非常事態により浮き彫りになったのは、「自分で課題を解決する力を持つ人とそうでない人の差」であったと思う。

ある日、テレビに映るサッカー選手の本田圭佑の言葉が、私の心に残った。
2013年、ブラジルワールドカップの予選を勝ち抜き、本大会出場を決めた翌日、祝賀ムードの記者会見だった。1年後の本大会で必要なものは何かという記者からの問いに対して、本田選手は、
「シンプルに言えば個だと思います」
と個の力を伸ばさなければ、チームワークだけでは勝てないと発言した。
(残念ながら本田選手が危惧したとおり、1年後、日本代表はグループリーグ最下位で敗退した。)

彼はこれまでも「究極のサッカーは個」だと繰り返し述べている。和を乱すような発言と捉えられた面もあったが、大震災後の風景を見た私にとって、この言葉は合点がいくものだった。

復興支援は、多くの方々のチームワークが成し得たものであることは疑いようがない。
しかし、社会がこれまでと違った条件下で動いている時に活躍できるのは、自分で判断し、行動できる技術をもった人たちだった。平常時では脇役であった人が、非常時では主役になったりすることがしばしばあった。そして、その逆も。

何を隠そう、決められたルールの下でしか仕事が出来ず、非常事態で役に立たなかったのは、まぎれもなく私だ。その後悔は、今も消えることはない。

では、個人が力を持っていれば活躍できたのかといえば、そうでもなく、大きな組織では、個々が判断することが非常に難しかったという事情もある。間違った判断をした場合の悪影響が大きく、統率が取れなくなることを組織幹部は嫌うからだ。その気持ちもよくわかる。とは言うものの、司令塔が現場から遠ければ遠いほど、間違った指示をしやすくなるもの事実。
こうしたジレンマは、映画「踊る大捜査線」の名シーンと同じだ。
だから、個々の力はあったが、発揮することが許されなかった環境にあった人たちも少なからずいたと思う。

さて、問題を個人の責任にすることが憚られるチームワークの競技において、本田選手が言いたかったのは、味方を助けるには、他人任せではなく、まずは自分の力をつけなければならないということだと私は理解している。

そんなことを考えていると、自分で課題を解決する力の欠如は、何も一人の人間の問題に限ったことではないことに気づく。地域社会でも起きていることではないか。

高齢化により弱体化した町内会。
外部資本の経営判断による工場閉鎖で多数の失業者が生まれる農村。
地元企業に代わって全国同じような大型チェーン店が立ち並ぶ地方都市。
お家芸ともいえる家電・ITのイニシアティブを中国等に奪われる日本。

市場経済の効率化により、便利で安くサービスを受けられるようになった反面、様々な範囲で自分で課題を解決する「地力」と言えるようなものが失われつつあるように感じる。

特に東日本大震災では、エネルギーを中東に依存している地域社会の危うさが際立った。(自給を謳っていた原発は地震と津波でストップしてしまった。)
目先のコストパフォーマンスだけを追求した先の社会の脆弱さをもう一度考え直したいと思った。

だから私は、家の暖房を薪ストーブにした。本当に小さな一歩だが。ITの時代にローテクだが。
これは、自己責任論ではない。
自分でできないことを頼める相手との関係づくりも立派な生きる力だと思う。むしろ、薪ストーブを使おうとすると地元の人的ネットワークに広がりが生まれ、地域にお金が循環する。
これは、自分の運命を「見えない大きな誰か」に任せないで、生きる力を自分に引き寄せる作業だ。現場のことは自分がよく知っているという自覚を持つこと。
それは同時に、困った人を助ける力にもなりうると信じている。

可能な限り自分の面倒は、自分で見れる。地域の課題は、地域のみんなで解決できる社会が、いま求められているのではないかと思う。

そんな姿勢を東日本大震災と本田選手から学びたい。

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2019-01-31 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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