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離婚という名のどこでもドア


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記事:小林さち(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
数えで32歳になった冬のある日、私はこれまでの人生で最も重く辛い決断をしようとしていた。
 
「厄年って知ってる? 女性の30代は半分以上を厄年が占めるんだよ」
今まで厄なんて気にしたこともなかったのに、柄にもなく年の初めには近所の名のしれた神社に厄払いに行った。
来年は大厄だと思いつつ、ちょうど年を越そうとしている時だった。
 
この決断は正しいのだろうか? 単なる自分の身勝手なのか? 彼の家族が落胆する様子が目に浮かんだ。
それでも、もう一度やり直そうと思うほどに私は彼を好きではなかった。
20代のほぼ全てを彼とその結婚生活に捧げた私。この決断はその約10年間を全否定するように思え、想い出も何もかも失ってしまうような気がした。
胸の中に渦巻く不安、ただ、ここで決めなければまたあの生活に戻ってしまう。チャンスは一度きりしかない。
 
6年間連れ添った夫は、無職で精神を患っていた。
結婚当初、大学時代から精神的に弱いところがあった夫は、夕方から深夜にかけて煌々と光がつき、仮眠室を備えた某コンサル会社に全く馴染めず、入社3年目にして休職を考えるほどにまでに彼の心の病は悪化していた。
複数種類の薬を常に処方され、抗うつ剤と睡眠薬がないと眠れない。ひどいときには薬にお酒を浴びるほど飲み、トイレで倒れ込むように寝ていた。
それでも私は夫が大器晩成だと信じていた。夫は叶えるべき夢を持つ人間で、能力もある。ただの一般人である私が夫を支えれば、きっとその時が来る。何も問題ない。そう考えていた。
若った。そして、甘すぎた。
 
夫は、結婚後すぐに休職。
患った精神は治ることはなく、結局は退職の道を選んだ。
会社を辞めればきっと良くなる。私はそう信じていた。
初詣に行けば「私は何もいりません。夫の病気を治して下さい」そう神様にお祈りした。
会社を辞めたことで一時は良くなったように思えた病状だが、復職することはなく、家にこもり四六時中ゲームし、夜になると酒を飲んだ。
朝、会社に行くために起きると、お酒の空き瓶と夫が転がっていることなんてしょっちゅうだった。
一家の大黒柱になった私は毎日朝から夜遅くまで働き、それから晩御飯の準備をした。マンションで餌を待つ雛鳥のように待つ夫、私の心がぎゅうっと締め付けられた。
仕事で夜遅くなりすぎると、心配だと言って怒られた。会社のぐちは聞きたくないと言われた。私が飲み会で酔って帰って倒れ込むように寝てると、手がつけられないぐらい怒った。
それでもたまの土日は外に出かけた。二人で旅行にも行った。必要とされている、愛されていると感じていた。幸せだった。
 
何が悪かったのだろうか。プツンと糸が切れる音がした。
精神を患ったことで不眠症になり、朝方まで起きて昼まで寝る夫。
どんなに約束をしても、その約束はたちまちのうちに破られた。私以外の人との約束も一向に守ることができない。何度も何度も周りの人に頭を下げた。
楽しみにしていた旅行もそう、体調不良で一歩も部屋から出ることができない。予定していたツアー会社に謝りの電話を入れ、何もない南の島で私は彼が食べることのできる昼ごはんを探して駆けずり回った。
両親にも何も言えなかった。まさか結婚したばかりの夫が精神を患って無職になったなんて、普通の親だったらどう思うだろうか。心配をかけるだけしかない。
 
幸せだったのだろうか?
いや、幸せだとずっと言い聞かせていた。
私は幸せなのだと。
 
夫の実家は裕福な家庭で、結婚にあたって一等地の高層マンションに住まわせてもらった。
20代の私達には身分不相応なマンションだった。
私の仕事にも理解があった。
いつも義母には、ありがとう。ごめんね。と言われた。
 
幸せだったのだろうか?
私は自分の人生を見失いかけていた。
誰のために生きているのか……。
 
大厄を目の前にした冬のある日、夫から連絡があった。
「早く帰って来てほしい」
仕事が立て込んでいた私は、できるだけ早く帰ると連絡だけして、結局帰りは深夜0時近くになっていた。
「遅くなってごめん」
怒られると思った。だけど、夫は怒らなかった。
「謝りたいことがある」
なんだろう? 何があったのだ?
「実は、……」
 
夫は、私達夫婦の家に泊まりに来ていた私の女友達に手を出そうとしたのだ。しかも、私達夫婦の部屋で。最初は耳を疑った。
 
自分でも驚くほどに、心は冷たく冷静だった。
「分かった。ごめん。明日早いからもう寝るね」
私の中の何かが崩れた。
 
それから1ヶ月後、私は一切の権利を放棄して新しい生活をスタートさせた。
そこには、彼と一緒に買ったプラズマテレビも冷蔵庫もスチームオーブンもなかった。
将来のために。と話した二人の貯蓄もなかった。
 
でも何もないはずの私の部屋には、たくさんの可能性につながるドアがあった。
私のどこでもドア。
このドアは、彼と過ごした約10年間と私の決断がもたらしたもの。どちらかが欠けていては成立しない。
だからこそ、今私はここにいる。

 
 
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2019-02-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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