先生ができること
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:髙山彩子(ライティング・ゼミ日曜コース)
「先生、お久しぶりです。実はAのことなのですが……」
数年ぶりに聞くAさんのお母さんの声は緊迫していた。
Aさんは私が大学生、彼女が中3の時、家庭教師として指導していた女の子だ。私は大学卒業後、地元の企業に勤めていた。社会人1年目のことだった。お母さんの話ではAさんは脳腫瘍の緊急手術をし、市内の病院に入院しているという。どうか見舞いに来てほしいとのことだった。
「先生の顔を見たら、Aは喜ぶと思うんです。明るく振舞っていますが、本当は不安でしょうがないんだと思います。私は母親なのに、Aの異変に気付いてあげられなかった……」
夜トイレに行こうとしているらしいAさんは壁を手で探りながら、電気もつけずに廊下を歩いていた。驚いたお母さんが「なんで電気つけないの?」と声をかけて、異変が発覚。すぐに検査と手術になったらしい。家族に心配させたくなくて黙っていたのだ。優しいAさんらしい行動だった。幸い手術は成功、容体も回復して面会できるようになった。そんな時、Aさんは不意に私の名前を出して、「先生に会いたいなぁ」とつぶやいたらしい。
残念ながら私はそんなに慕ってもらえるほど、大きな仕事をしたわけではなかった。週に一度彼女の家に行き、彼女のペースでしている勉強を脇で見守っていただけだ。2時間の指導中、お茶やお菓子を出していただき、世間話をし、「ここ分かんない」というところを解説していただけ。成績は安定していて、飛躍的に伸びたわけでもなく、下がったわけでもなかった。志望高にも無事に合格。妹さんの受験の時にまた少し指導したが、バイト先のパン屋さんからもらったというパンを時々ふるまってくれていた。そんな私が、この緊急事態に行っても良いものだろうか。悩んだ挙句、彼女の入院している病院と病室名を聞き、日曜日にお見舞いに行くことにした。
「Aさん久しぶり!」
彼女が好きそうなかわいいアレンジメントとお菓子を抱えて病室をのぞいた。Aさんはびっくりした顔でこちらを見て、
「わー!先生!来てくれたの?」
とうれしそうに笑ってくれた。
お花を渡すと、はっとしたように顔を覆って
「やだ恥ずかしい!」
と照れたような反応。入院中だから当然パジャマ、手術の後で髪はそられ、薬のせいで顔がむくんでいる自分の姿を私に見られたことが恥ずかしかったそうだ。相変わらず、素直で可愛いらしい彼女の様子を見て、心から無事でよかったと思った。
「Aさんはどんな時でもかわいいから大丈夫よ」
と伝えると、照れたようにウフフと笑った。
それから、お菓子は食べられると聞いたので、あとで食べてねとお菓子の箱を渡した。どんなお菓子が好きだとか、どこのケーキ屋さんが美味しいとか、お友達とどんなことをするのが流行っているとか、ひとしきり話して病院を後にした。家庭教師で通っていたころと同じような雑談だった。
病室の外でお母さんから聞いた話では、しばらく学校には行けないこと、おそらく留年確定であること、後遺症が残るかもしれないこと、腫瘍は全て取れきれなかったとのこと、再発するかもしれないということだった。
病院を出て、車に乗り込んでから声を殺して泣いた。なんで彼女に、という悔しさと、思ったより明るくしている彼女の強さ、こんな時に私を頼ってくれたありがたさ、いろんな感情でぐちゃぐちゃだった。
Aさんはなんで私に会いたかったのだろう。私にできることなんて何もない。先生って立場は先生とか言われているくせになんてちっぽけなんだろう。ずっとそう思っていた。
それからしばらくして、Aさんのお母さんから連絡があった。
「あの時は、わざわざお見舞いに来てくれてありがとうございます。Aは中学生の時、先生に会って、将来のことを前向きに考えるようになりました。楽しそうに、大人になったらこんなことをしたい、こういう仕事をしたいと言っていたのを思い出したんです。先生のことを本当に信頼していたし、憧れていたんです。今は何とか退院して学校にも通っています。(留年することで)お友達と離れてしまって大丈夫かと心配したのですが、学校も楽しく通ってくれています。アルバイトも再開したんですよ!」
ぱたぱたという足音と、「先生!」という明るい声は今でも忘れない。いつもはだしで玄関まで出迎え、帰りは見送ってくれたAさん。明るさと前向きさ、優しさはきっと変わらないだろう。
「インテリアの仕事に就きたい」
彼女の夢はかなっているだろうか。もし違う道を歩んでいても、Aさんならきっと大丈夫。
先生にできることは少ない。私がしたのは彼女の言葉を聞き、彼女と一緒にいただけだ。それ以上も以下もない。結婚し、子供を産み、塾の先生になった私は「一緒にいる」ということが、先生にできる最大のことであると確信している。
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