メディアグランプリ

何気ない日常に、「生まれて初めて」という言葉を足してみよう


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:日山公平(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
「これ、赤いビール?」
イタリアンのお店で、友人が手にしていたグラスを見て聞いてみた。
 
「知らねーの? ビールにトマトジュースを加えた『レッドアイ』というカクテルだよ」
「へぇ、そんなのあるんだ。ちょっと一口飲ませて」
 
本来、ビールが苦手な僕だが、どんな味なのか興味津々だったので、一口飲ませてもらった。
何てことない、ビールの苦味とトマトジュースの酸味がそのままミックスされた味だった。
 
その時、僕はその友人に言ってしまった。
「衝撃的なこと言っていい?」
「何だよ」
「実は…… トマトジュースってヤツを、生まれて初めて飲んだかも」
「そうなんだ?  たださぁ、そんなことでイチイチ『衝撃的』なんて言葉使うなよ」
友人から、あきられてしまった。
 
ただ、僕はそんなささいなことでも、「生まれて初めて」の経験ができたことに、喜びを感じたし、それを経験させてくれた友人に心の中で感謝した。
 
僕は昔から、「生まれて初めて」というものにこだわっていた。
笑われるかもしれないが、それは、40歳過ぎたオッサンになった今でも、変わらない。
いや、むしろ歳を重ねたからこそ、ささやかなことに「生まれて初めて」を見出せる感性を養うことができたと言ってもいい。
 
思えば、子どもの頃は、日々「生まれて初めて」の連続だった。
 
生まれて初めて、牛乳を飲んだ時、
生まれて初めて、自転車に乗れた時、
生まれて初めて、掛け算九九が全部暗記できた時、
生まれて初めて、鉄棒の逆上がりができた時、
 
今にして思えば、何てことないことでも、初めてできたこと、初めてしたことに、日々驚きと喜びを感じていた。
 
しかし、学生にもなると、いろんな経験を重ねていき、日常の中で「生まれて初めて」できたことが減っていって、そのステージが上がっていく。
 
生まれて初めて、文学作品を読破した時、
生まれて初めて、大好きな異性と手をつないだ時、
生まれて初めて、海外に行って、その独特の空気を感じた時、
生まれて初めて、英語で外国人と会話して、心が通じ合えた時、
 
生まれて初めて、自分が何かをやりきったこと、何かを成し遂げることができたことで、無上の喜びと興奮に満ち溢れていた。
 
ところが、いつの間にか大人になると「生まれて初めて」という言葉そのものが、ほとんど使わなくなっていることに気づく。
いや、正確には、大人になっても、日々「生まれて初めて」できたこと、したことがあるはずなのに、それに対して、イチイチ「生まれて初めて」という言葉を使わなくなる。
 
初めて任された仕事のプロジェクトを成し遂げた時、
厳しい上司から仕事ぶりを初めて認められた時、
自分が関わった商品やサービスが、初めて世の中でヒットした時、
好きだった人と結婚して、初めて子どもが生まれた時、
 
そこに、わざわざ「生まれて初めて」なんて言葉を使わなくなる。
生きた年月を重ねているのに、イチイチ「生まれて初めて○○をした」なんて言っていたら、あまりに数が多くなるし、キリがなくなる。
だからこそ、いつの間にか「生まれて初めて」という言葉を日常の中で使うケースが少なくなる。
 
もちろん、それが悪いことなのではない。
そんな言葉を使わなくても、喜びや驚きを感じられれば、それで良いのだ。
 
しかし、いつの間にか、ありふれた毎日が「喜びとサプライズの連続」であるということを忘れてしまってはいないか?
ごくごく当たり前の日常の中にも、様々な「生まれて初めて」が隠されているのに、それに気づかずに日々を過ごしていたとしたら、あまりにもったいない。
 
ポケモンGOで、普段何気に歩いている道に、実は思いもしなかった隠れモンスターが潜んでいるかのように、何気ない日常にこそ、「生まれて初めて」というサプライズが、思いもかけないところに潜んでいたりするのだ。
 
生まれて初めて、ローソンの新発売の「悪魔のおにぎり」を食べた時、
生まれて初めて、茶色の蛍光ペンを買った時、
生まれて初めて、南池袋公園の芝生に寝転がった時、
生まれて初めて、カンガルーが出てきた夢を見た時、
 
……などなど、ありふれた日常の中で、「生まれて初めて」という言葉を加えてみると、ちょっとした喜びや驚きが眠っている。
そんな感性になれたのは、まさしく僕が何でもないことに、イチイチ「生まれて初めて」という言葉にこだわっていたからこそだった。
 
日々のささいなことに喜びを感じられる感性があれば、おのずと喜びが増え、さらなる喜びが舞い込んでくる。
人からすればどうでもいいことでも、サプライズを見い出だせる感性があれば、退屈に思える日常も、サプライズの連続となる。
そして、それを感じさせてくれた人やモノに感謝する気持ちが湧いてくる。
 
何気ない日常にこそ、「生まれて初めて」という言葉を足してみよう。
そこにいろんな喜びやサプライズを発見し、感謝したくなるかもしれない。
 
すごい屁理屈をいえば、朝起きる時に「今日生まれて初めて、2019年○月○日を迎える」と口にすれば、少なくとも毎日1つは「生まれて初めて」が誰にでも味わえる。
それを味わせてくれた、地球さんと太陽さんに感謝したくなる。
 
そうなると、日々の生活が「生まれて初めて」を探すゲームになる。
日常そのものが、ワクワクと感謝を探す旅になる。
そうこう書いているうちに、このような文章を書いたのも「生まれて初めて」だった。
 
また一つ、「生まれて初めて」が加わったことに喜びを感じることができて、この機会を与えてくれた天狼院書店さん、ありがとう。
 
*** この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。 http://tenro-in.com/zemi/70172

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2019-03-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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