お片付けは永遠に
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:月山ギコ(ライティング・ゼミ日曜コース)
大学生だった頃、いつも行動を共にしていた友がこう言った。
「今週、地元の父親が私の部屋にくるの。私の部屋はものすごく散らかっていて、それを見たらきっと殺される。お願い、助けて!」
殺されるなんて、大げさだなぁと思った。
でも彼女は必死だったし、他でもない親友(と私は思っていた)の頼みなら、手伝いにいくか。そんな軽い気持ちだった。
「悪いんだけど、私はバイトがあるからいけない。掃除用具とか軍手とかはコンビニとかで買ってもらっていいから」
そう言って、彼女は私に、部屋の鍵と、住所が書かれたメモと2000円を渡し、消えた。
「おお。私がひとりで掃除するのか……」
そして私は後々、深く後悔することになる。あまりに安易に彼女のお願いを快諾してしまったことを。
その部屋は、もはや部屋ではなく、“ごみ箱の中”というアートみたいだった。
まず、床が見えない。あちこちにゴミ袋が散乱し、いつ食べたものか分からないコンビニのお弁当のカラ、ペットボトル、缶が散乱していた。ひとり暮らし用のキッチンのシンクは汚れた皿で溢れていた。衣服もどれがキレイでどれが使用済みなのか不明で、とにかくすべて、あらゆるものが山積みになっていた。
私はサーッと血の気が引くのを感じ、心の中で
「ひぃぃぃ~!!!!」
と叫んでいた。
その部屋には私ひとりしかいないのだから声を出してもよさそうなものだが、ひどい悪臭でこの部屋の空気を吸うのもイヤだったのだ。まるで何かの罰ゲームみたいだった。
念の為言っておくが、私自身も片付けはとても苦手だ。
しかしこれは、この彼女の部屋の状態は、もはや『片付けられない』という範疇を越えている気がした。私は彼女に対して、同情すら覚えはじめていた。
「しょうがない。もう腹をくくろう」
私はそのアートな部屋でしばし立ち竦んだ後、意を決して軍手をはめ、悪臭に耐えながらひたすらゴミ袋にゴミを詰めまくり、床を拭きまくり、なんとか部屋のような空間を作った。
それでもあまりにゴミを溜めすぎたその部屋の床はいくら拭いてもシミが取れず、天井まで染み付いた匂いを数時間で消すのは不可能だった。
結局彼女とは大学卒業後、一切連絡を取っていない。きっとすべてが恥ずかしくて、それを知っている私と関わるのももう嫌だったのだろう。
あれから約20年が過ぎた。
半年前に産まれたばかりの娘がハイハイやつかまり立ちを始める前に、誤飲、転倒などあらゆるトラブルを回避するために、本気で家を片付けたいと思っている。
しかしもともと整理整頓が苦手な上、娘はちょっと私の姿が見えなくなると泣いてしまうし、4時間毎の授乳に1日2回の離乳食の準備と片付け、大人用の食事の準備と片付け、洗濯、などの通常業務で私の片付けエネルギーはすべて吸い取られてしまう。
打開策として、大雑把に「ここに何のカテゴリーを置くか」だけを決めて、その日片付けられるところは片付けて、できなかったらスルーする。そうして無理なく片付けるようになってから、前よりはずいぶん部屋がスッキリするようになったし、「片付けなきゃ!」とイライラすることも減った。
そもそも、部屋が散らかっているからといって、人が死ぬわけでもないし、罰金を取られるわけでもない。それなのに、なぜ人は、片付けられないことがこんなにも負担になるのだろう。
きっと、部屋とは自分の姿そのものなのだ。
人に自分の部屋を見せるということは、自分の本心をさらけ出すことと同じ。
あの頃、私に部屋の掃除を依頼した彼女は、ある意味私に心を許してくれていたのかもしれない。
しかし時に、本音を言い過ぎると関係が破綻してしまうことがあるように、あまりに正直すぎる、汚い部屋を恥ずかしいとも思わないで人に平気でさらけ出してしまうのも問題だ。
だから「部屋をキレイにして人を迎えたい」というのは、「少しいい自分を見てほしい」という感情の現れで、それはとても自然なことなのだと思う。
キレイな自分でありたい、という気持ちを忘れないこと。でもいつもパーフェクトでなんかいられるわけがない。寝癖がついているときだってあるし、化粧がうまく乗らないこともある。
理想を描きながらも、無理のない範囲でリラックスして自分と向き合っていくことで、バランスを保っていられる。
部屋も同じなのだ。
毎日いくら片付けようとしても片付かないのに、お客さんが来る、となるととたんにごちゃごちゃした部屋の隅の雑貨やトイレの汚れなどが気になりはじめ、ものの2時間で見違えるように部屋がキレイになっていく。そしてお客さんが帰ってしまうととたんにまた散らかり始める不思議。
人に見せるときはちょっと背伸びする。でも家族だけの時は少しくらいサボってもよし。そのくり返しなのだ。
だから片付けは、人生は永遠に続く。
いい時もあれば悪い時もある。波があるのが当たり前と思えば、散らかった部屋も、愛おしくなり、明日はキレイにしてあげようと思えるのだ。
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