fbpx
メディアグランプリ

決断のきっかけ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:タンツ(ライティング・ゼミ平日コース)

「落ちた……」
「え?」
「また、落ちた……しかも、絶対受かると思ってた所……」

ここ数年で、日本でも転職をする人が増えて来たように思う。私もまた、転職活動中だ。自信と希望を持って面接と試験を受けたり、履歴書を送ったりする訳だが、要件を見て飛びついた企業から、早速不採用通知の電話がかかって来た。

締め切りに間に合うように速達で送ったかいもなく、恐らく自身の書類がその企業に届いた数分後、電話はかかって来る。
「厳選なる審査の上、誠に残念ながら……」
厳選な審査は数分で出来るのか、と突っ込みを入れたくなったが、あえて控えておいた。
まあいい、一社位、人間だから落ちる経験があっていい。

しかし。
その後も続々と、不採用の通知ばかりが来る。
今までにない、経験だった。それも、極めて苦痛な経験だ。

思えば、就職試験で落ちた事は今までなかった。
就職試験は特殊な分野という事もあったからか、これまで百発百中で受かって来た。
だから、私の頭の中に「不採用」などという文字はなかった。友人達がどうして落ちるのか、分からなかった。当時は気持ちも分からず、彼らを励ましていたのを思い出す。

だが実際、自分に次々と「不採用」の通知ばかりが来ると、気合いも自信も吸い取られて行く。友人達は、あんな中もよく頑張っていたものだと分かる。
対して私は、不採用通知が来る度に深く落ち込んでしまう。

そんな時、まずは自信をつける為に内定をもらおうと受けた、競争率が低めの企業からも、まさかの不採用通知が来る。冒頭の文は、まさにその出来事だ。
この時ばかりは、何度も目を疑った。だが、その文字は何度瞬きをしても変わらなかった。

ここまでどの企業にも受け入れられないのは、人生で初めてではないだろうか。その上社会人になりたての数年前と違い、体力も落ちたのか、頭痛や身体の不調が私を襲う。

合わないから、ハラスメントまがいを受けるからと、何の疑いもなく辞めた会社の事を思い出す。
「多少はみんな、我慢して頑張ってるんだよ」
「世の中、そんな甘い事ばっかりじゃないから、よく考えた方がいいよ」
そんな友人や家族の助言に耳も貸さず、またすぐに一発合格出来ると信じ込み、疑いもなく退職届を出した。でも、こんな事になるのなら、彼らが言う様にあそこで踏ん張っているべきだったか……。

何十社も受けた末、自分の希望に合う企業に受かった親友に、悔しさを吐き出した。
「私も何度も書類審査の時点でも面接でも落とされたから、その悔しい気持ち、分かるよ」
私は当時気持ちに寄り添う事すら出来なかったのに、彼女の寄り添おうという気持ちが有り難かった。

彼女は、めげずに履歴書を送り、面接試験を受け続ける事を勧めてくれた。
だが、私のモチベーションや闘志は完全になくなっていた。

週末もまた、面接試験があった。この様な状態で受けても仕方がないように感じた。実家に戻りくつろぎながら、試験対策をする気にもなれなかった。

「明日、キャンセルするしかないかな」
「その方がいいなら、そうしたら」
母はあくまで、自分のしたい様にしたらというスタンスだった。
「よし、やめようかな。とりあえず、電話する前にジムでリフレッシュしに行こう」

母とジムに行った。車の中で、最近とことんついていない事について自虐的に笑った。
「結構久しぶりの絶不調だね」
「うん。学生だった前回も総崩れだったけど、今回はもう社会人で生命にもかかわってくるから、ますます深刻~」
「まあまあ。前も絶不調から上がって行ったじゃない」
「確かに。新年度、車の教習所に行き出してから全てが前向きに動き出したんだった」
「でも、教習所の5月の中間テスト、あなた頭痛がひどくて悩んでたじゃない。受けるか受けないか」

そうだった。語学研修が翌月の6月から数ヶ月控えており、5月に全ての試験に合格出来なかったら、語学研修から帰って来た数ヶ月後にまた教習所に行く必要があった。
しかし、頭痛では集中できず、直前にテキストを見る気力すら、しんどくて持てない。
5月中に教習所を卒業したかったが、こんな事になってしまったなら、秋にまた通うしかないなと、当時、諦めモードになりかけていた。
その時母が言った。

「別に、高得点で受からなくても、ギリギリの点でとりあえず受かったらいいじゃない。行かなきゃ、受かる可能性もなくなるよ。送ってあげるから、とりあえず受けに行ったら?」

母の言う通り、試験を受けに行かなきゃ合格する可能性もなくなる。
母の一言に押されて、私は頭痛の中もうろうとしながら筆記試験を受け、ギリギリの点数ながら受かる事が出来た。そのおかげで5月中に、教習所を卒業する事ができたのだ。そこから、私の人生は絶好調の状態まで上り詰めた。

「うんうん。あれは、受けておいてよかった」
「やっぱり受けなさい」
「へ?」
「あの時も受けて後悔はなかったでしょう?せっかく面接試験を受けられるんだから、受けておいで」

当時の教習所の初夏の気持ちよい光が、今の私を優しく照らした様な気がした。
もうだいぶ前の事なのに、あそこから人生の波が再び上がって行った貴重な場所を、私は鮮明に覚えていた。
懐かしさが、込み上げて来た。
「うん……受けて来る。ありがとう」

翌日、その日の快晴の天気のように、鏡に映る私はスッキリした表情だった。
数週間前の様に、気合いと自信に満ち溢れてはいない。
でも、力みのない、優しい顔をしていた。
メイクをする手も力が抜け、メイクも力いっぱい描いた今までとは違い、ふんわりと日常の様に描いた。

面接試験会場は、普段と同じ様なオフィス街。
でも、いつもと違うのは、面接試験までの時間の使い方。
面接官の質問にどう様に答えたら、自分が圧倒的に優位に立ち採用されるか、考えないと。
少しでも試験の点数を上げるために、問題集を1秒でも多くみないと。
会場に着くまで、いつもはこんな風に慌ただしい面接までの時間、今回は何もしなかった。

ただ、ゆっくり寝た。気持ちよかった。

試験は、苦手分野もあった。
やはり問題が出て来ると、必死にはなった。
でも、気合いが入り過ぎる事はなかった。
自然体で、場の雰囲気に馴染めた。
集団面接では、他の応募者のパフォーマンスに心から笑っていた。
面接が楽しいと思ったのは、生まれて初めてだった。

私は、その日最終個人面接まで進んだ。
面接は身体が闘志と気合いで満ちているのが常日頃だが、この日はびっくりする程落ち着いていて、自然体だった。
そんな自分に、今までの自分が驚いていた。

そして、結果はやって来た。

「採用」

こんなに、採用という二文字が嬉しかったのは、生まれて初めてじゃないか。
励ましてくれた親友や母たちと、抱き合って喜んだ。
当たり前と思っていたことは、こんなにも有難い。今までおごって生きて来た自分を反省し、謙虚に頑張ろう、と私は自分に誓った。
社内研修は、なかなかストイックだと聞いている。しかし、今はそれすらも楽しみだ。
何事も、やってみないと始まらない。

転職は私に、教習所での懐かしい思い出と、どんな状態でも挑戦することの大切さを思い出させてくれた。
誰にとっても、転職は何か大切なことを思い出せるきっかけになるんじゃないだろうか。
 
*** この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。 http://tenro-in.com/zemi/70172

天狼院書店「東京天狼院」 〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F 東京天狼院への行き方詳細はこちら

天狼院書店「福岡天狼院」 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階

天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN 〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5

【天狼院書店へのお問い合わせ】

【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


2019-03-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事