17世紀のオランダにタイムスリップした理由
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:吉田 健介(ライティング・ゼミ日曜コース)
「あれ?」
目の錯覚だろうか。
空気の塵が見えたような、気がした。
窓から射す光。それに照らされる少女の顔。
光の当たっていない所と、光の射す明るい所とを、部屋に舞う塵が静かに飛び交い、僕は真珠の耳飾りを付けた少女と見つめ合っていた。
数年前、僕はオランダのデン・ハーグにいた。
休暇を使って、ヨーロッパの美術館を回っていたのだ。
デン・ハーグにあるマウリッツハイス美術館。
そこにはフェルメールを見にやってきていた。
確かに見たのだ。
いや、確かに立っていたのだ、僕の目の前に真珠の耳飾りを付けた少女が。
光と光の射していない所を舞う部屋の塵が見えたのだ。
紛れもなく、その現場に僕も立っていたのだ。
フェルメールは17世紀に、オランダで活躍した画家である。
日本にもファンは多く、ここ最近は、定期的に日本でも見る機会は増えてきた。
その瞬間に立ち会ったような、タイムスリップしたような感覚。
あの時感じた感覚をもう一度味わいたい。
そんな気持ちで大阪市立美術館で開催されているフェルメール展に足を運んだ。
オランダで数年前に見た『真珠の耳飾りの少女』は展示されてはいないが、フェルメール自体、普段はなかなか見れるものではない。だから1日仕事を休み、朝一番から大阪に足を運んだ。
「どういう風に見てるの?」
僕は美術大学を出て、今でも油絵を描いている。
そのせいか、周りの人から同じようなことをよく聞かれる。
「どう見ていいのか分からない」
「どう見るの?」
僕はその度、困ったように
「自由に見たらいいんだよ……」
と苦し紛れに答える。
きっとそんな言葉を期待していないんだろうな、と分かってはいながら。
「遠近法がね……黄金比がね……」
「ここに描かれているナイフには〇〇の意味があってね……」
「これは聖書の〇〇の場面を描いた絵で……」
西洋の油絵を鑑賞するとき、こういった類の言葉をよく聞く。
油絵コースを卒業し、今も制作をしている身でありながら、僕はそういった知識が全くない。
きっとこうした説明が欲しくて、知人達は僕に聞いてくるのかもしれない。
どう見たらいいの、と。
ざっくりとした歴史は知っているが、絵に込められた意味的なものに関しては全く分からないのだ。
だから
「自由に見たらいいんだよ」
と答えると、だいたい
「ふーん」
と、掴み所のない雲の形を眺めたような言葉が返ってくる。
その度に、何となく申し訳ない気分になっていた。
今回は、自分がどう感じたのか分析してみよう、そんな気持ちで会場に入った。
数年目に『真珠の耳飾りの少女』を見て感じた、タイムスリップの理由をはっきりさせたかった。
「画面の奥に見えるんだよ」
かつて、画塾でデッサンをしていたとき、先生が、良い作品や、ハッとさせられる作品についてそう語っていた。
描かれたモチーフが、画用紙の奥に存在する。
それはつまり、描いた作者と、置かれたモチーフの間に、距離感や空気といった見えないものが感じられる、ということだ。
「……奥にある」
フェルメールの作品を見たとき、まずその言葉が蘇って来た。
彼の絵は、描かれた情景がキャンバスの「奥」にあった。
この企画展では、フェルメール以外の作品も多く展示されている。
しかし、フェルメールから感じる奥行きについては、何というか、見ていて心地よかった。
目に気持ち良く馴染むものがあった。
そして、自分がそこに立っているかのような気分になった。
現実に起こっているような、一種のリアリティがあった。
よく見ると、技法的にもそう感じさせる仕掛けは散りばめられていた。
例えば、正方形の床タイル、部屋に置かれた机、窓枠。
線路の上に立つと、奥へ続くほど線路は小さくなって、1つの点に集まったように見える。
奥行き、というやつだ。
通常人間の目は、1つの点に集まろうとする「線」の形があると、遠くへ向かう奥行きをより感じやすくなる。
この場合の線の役割は、線路そのものである。
つまり、床にある正方形のタイルや、部屋に置かれた机や窓枠が、奥行きを感じさせる「線」の役割を担っているのだ。
だから、画面の「奥」に、描かれた情景が存在しているように見えたわけだ。
まるで目の前で起こっているかのように見えるのである。
また、より「奥」を引き立てているものがある。
それは、手前に描かれたもの。
例えば、『恋文』という作品。
この作品には画面左手前に扉が描かれている。
今まさに開けたかのような扉。
自分が手をかけながら扉を開けて、部屋を見ているような気になる。
しかも扉は開ききっていない、開けている最中。
その隙間から見えた部屋の瞬間。
ふとした瞬間だが、時間を感じさせてくれた。
こうした演出が、憎たらしいほどにかっよかった。
なんだかずっと見ていられた。
実は、今回見たフェルメールの作品では、オランダで見たような、塵は舞っていなかった。
もしかしたら、僕自身が、現地の空気を吸い、現地の光を浴びていたからこそ、絵の中にタイムスリップできたのかもしれない。
実際にオランダまで行った意味はあったというものだ。
フェルメールの描く世界は、どこか見る者をハッとさせてくれる。
オランダであれ、大阪天王寺であれ、素晴らしい作品なので、色々な人に見てもらいたいものである。&
僕は土産コーナーで『恋文』のポストカードを買い、会場を後にした。
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