メディアグランプリ

桜の時、今だけがここにある


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:江原あんず(ライティング・日曜コース)
 
「メールでのご報告でごめんなさい。離婚することになりました」
冬の寒い朝に届いた、女友達からのメール。私はびっくりし、コーンフレークを食べていた手を滑らせて、スプーンを床に落としてしまった。
うそでしょう……?
飛び散った牛乳のしずくを雑巾で拭きながら、数年前に出た2人の結婚式のことを思い出した。それは、たしか人前式で、生涯の愛を誓う2人を私も見守ったのだ。
 
詳しいことは書いてなかったけれど、そのメールは「応援してもらったのに、こんな結果となり、ごめんなさい」という言葉で締めくくられていて、なんだか切なかった。
 
友人は、大丈夫だろうか。
元恋人との別れを引きずっていた私には、誰よりも別れの痛みがわかった。恋人との別れでさえ、心がえぐられるような体験だったのに、1度は生涯を共にすることを決めた旦那さんとの別れは、どれだけ堪えるものなのだろう。
彼女の心情を考えると、一気に食欲がうせてしまい、私は目の前のコーンフレークが入ったボウルをえいっと向こう側へ押しやって、代わりに携帯の画面に集中した。
 
「報告ありがとう。いつでも、連絡ちょうだいね! (私もまだジュクジュクした傷を抱えているから、良き理解者になれるかも) 暖かくなったら、お花見でもしよう」
今はシンプルな言葉が一番いいだろう。なんども書き直し、打った文章を送る。そして、ストーブのごうごうとした音が響く部屋で、時間が彼女の傷を癒してくれますように、と祈った。
 
それから数ヶ月後、長くて冷たい冬が終わり、桜のつぼみがふっくらし始めた頃、彼女からメールが届いた。
「今週末、花見でもしない? どこかでコーヒーを買って、公園でさくっと!」
 
久しぶりに見る彼女は、別人だった。もともと胸元まで伸ばしていた清楚な黒髪をバッサリと切り、ミルクティーみたいな明るい茶色のショートヘアで現れたのだった。
「え? やっぱり失恋したから髪切ったのかって? うん、そうだよ!」
聞いてもいないのに、彼女は自虐し、いたずらな顔で笑った。
 
私たちは近くのカフェで買ったコーヒーを片手に、まるで誰かがスプレーでペイントしたみたいに、見事なピンク色に染まった木々たちを愛でながら、公園を散歩した。すっきりと晴れた空の下、家族連れや恋人たちがシートを広げ、思い思いにくつろいでいる。子供のはしゃぐ声が遠くてこだましていて、それは平和な午後の風景だった。
 
私たちは、運良く空いたベンチに座り、横並びになった。意識的なのか、無意識的になのか、あまりお互いの目が見えないようにして。
 
「びっくりした? 離婚のこと」
彼女は切り出した。
 
「うーん、びっくりはした。けどさ、未婚アラサーの私からすると、結婚を決めたことも、離婚を決めたことも、勇気のあることに思えるんだ。だから両方を経験したことを、素直に尊敬してる」
 
人に比べたら、あっというまの結婚生活だったのかもしれない。それでも、短い人生の中で、1度でも、一生を共にしようと覚悟し合った人がいる。それはどんな結末であれ、私にはひどくまぶしく、尊いことに思えた。
 
「結婚した時は、本当に幸せだった。でも、面白いくらいに、物事って変わっていくんだよね。いろんな経験をすれば、今まで知らなかった感情も湧いてくるし、性格も変わっていく。それは誰にも止められなくて、生物として、とても自然なことなんだよね。数年前の私は、変わっていく関係なら、結婚をすることで繋ぎとめたいって思って、結婚した。でも、変わっていく2人を、無理に縛り付けておくことは、やっぱり健康的じゃないというか、自然の原理に反しているんだよね」
 
彼女はそう言ったあと、しばらく、ぼおっと空を仰いだ。青い空には、すじ雲がすまし顔をして、ゆっくりと流れていた。
 
「離婚の悲しみは乗り越えつつあるけど、今回のことで変わらないものなんてないなぁって思ったの。それで、だとしたら、どんなに心通じ合っても、永遠に取っておくことが難しい、人と人の絆って一体なんなんだろう? それが、最近のテーマだよ」
 
「……そうね」
私には、彼女の言うことが、痛いほどわかった。長く付き合った恋人との関係が終わり、私もまさに同じことを思っていたから。
壊れた時には跡形もなくなってしまった、2人で何年もかけて大切に紡いできた絆……、あれは一体なんだったんだろう? そんな疑問が、喉に刺さった魚の小骨みたいに、未だにちくっと痛み、うまく飲み込めていない。
 
「もう恋なんて、しないとか言っちゃう?」
私が問いかけると、彼女は笑って「さあね」と言った。
 
「でも、わかったことは、変わらないものはないから、今がすべてだなぁっていうこと。結婚で誓ったのだから、お互いにずっと同じ気持ちでいれると信じきっていた私は、本当にばかだった……。感情は儚い。自分の意思とは関係なくこの手をすり抜けて、まばたきしている間に形を変えちゃうこともある。良い意味で危機感を持って、彼との時間を大切にできていたら、また違ったのかもしれないね」
彼女はそう言って、目を細めて遠くの木々を見ていた。
あと数週間で、この公園の桜は散りゆき、今、公園を覆うピンクはまるで幻想だったかのように、跡形もなく消えゆくだろう。こんなに綺麗に咲いた、美しい景色が大好きなのに、その変化を、私たちは誰一人、止めることができない。
 
「桜っていいよね。短命だから、みんな無理してでも花見して、その時間を大切にしようとする。そんな感じで、私も次に出会う人とは、今日も愛せることは奇跡! って思いながら、儚い時間を大事に抱きしめて、歩いていきたいなぁ。いつになるか、わからないけどさ」
 
私は、そう言った彼女を思わずハグした。すると、彼女は「あぁ。桜が綺麗だ……。きれいでほんと、泣けてくるぜ」と言って、私の肩にもたれかかり、少し泣いた。
 
来年の桜は、誰と見ているのだろう? 私たちは、どこにいるだろう? 油断すると、不安は津波のように押し寄せてくる。
それでも、私たちには、今しかない。きっと、あとから振り返れば、桜の命くらい一瞬で過ぎてしまう人生の中で、私たちにできることは、今の景色を、全力で愛し、心に刻むことだけだった。
 
きっと、彼女も同じことを思っていたのだろう。
小指のはらで涙を拭いた彼女が、ふと、呟いた。
「でも、今、桜が綺麗で、幸せだよ。一緒に見てくれる人がいるから、幸せだよ」
 
そのとき、ぶわっと吹いた風が、私たちの心に渦巻いていた不安を、宙に舞う花びらと一緒にかっさらっていった。その風が起こした花吹雪の美しさと儚さを、私たちは春が来るたびに、思い出すだろう。
 
 
 
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2019-04-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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