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メディアグランプリ

「声音の記憶をなくしても、それでも」


 
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:蘆田真琴(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
私は物覚えがあまりよろしくない。
 
“よろしくない”どころか興味の薄いことなどは、覚えたそばから砂時計の砂がサラサラと零れ落ちていくように忘れてしまう。
 
特にひどいのは、辛いことがあった期間の記憶の保持である。例えば、その期間にあった出来事や、新しく覚えたはずの仕事の内容まで忘れる始末だ。一生懸命思い出そうとするが、頭の中で記憶を探るだけでは、思い出すことは殊更難しい。
 
それでも時間と行動を糸口に探りながら、何とか思い出しては生活している。よほど印象に残ることは覚えているし、仕事のことも地道にやっていれば少しずつ思い出してくるので「まあいいか」と気楽に生きている。
 
そんな私がここ数年“忘れてしまった事”と“忘れられない感覚”を同居させていることがある。
 
3年程前、母方の祖母が亡くなった。
 
今まで「亡くなった」と聞いて、声をかける機会がないまま最期のお別れになってしまったケースばかりだったが、彼女には生きているうちに会うことができたのだ。
 
病院を訪ねた私は、祖母の手を添えるように緩く握って母や親戚と話していたが、ふと右手小指辺りに圧力を感じた。
 
彼女は私の小指と付け根辺りを、強く握っていた。
 
うっすらと開いては閉じする瞳に、私が見えているのか、私に誰か別の人を見ているのか、それはわからないけれど信じられないくらいの力だった。
 
私も同じように彼女の親指の付け根辺りを握り返した。それに反応して更に握る力が強くなった。
 
他の人と話している時は声が出せるのだが、彼女に対して何か喋ろうと思っても、声が詰まって言葉にならなかった。声をかける代わりに、祖母と私はお互いに手を握り返しあっていた。
 
指を握られた感覚が消えないまま面会の終了時間がきて、私はようやく出せた「ほな、な」と間の抜けた声をかけ彼女と別れた。
 
それから数日後、セレモニーホールで彼女の葬儀が営まれた。実感が湧かないまま、葬儀日程は粛々と進められた。
 
「この記憶も、いずれ薄れていくのだろうな」とぼんやり考えながら参列者席についていたが、そうはならなかった。
 
セレモニーホールの司会者が棺の蓋を封じる前の「最期のお別れ」の時に言った言葉と、その後で聞いた話がどうしても忘れられないのだ。
 
「人が死ぬ時に最後まで残っている感覚は聴覚だそうです……どうぞみなさま、最後まで声をかけてあげてください」
 
その言葉を始まりに、参列者が花を棺に入れながら次々と声をかけていく。私も最後の、あの間抜けな声と言葉を彼女に伝える“最後”の言葉にするわけにはいかなかったので、嗚咽で詰まらせながら短く「ありがとう」とだけ言った。
 
葬儀が終わり、記憶も徐々に薄れゆく数ヶ月後。突然誘われて参加した飲み会で、話の流れは忘れたが記憶の話になった。
 
「記憶ってね、声、顔、思い出の順番に忘れていくらしいよ」
 
その話に紐づけられ、引っ張られるように私は葬儀の司会役の話を思い出していた。
 
そういえば、祖母の声がもうはっきりとしない。
 
それだけではない。先に亡くなった祖父二人の声も思い出せなくなっていた。
 
声に関する記憶は既に残っていなかった。
 
顔はどうだ?
 
かろうじて顔は思い出せる。思い出も大丈夫だ。
 
「思い出せないのは酔っているからだ」といわゆる“飲んべえのエゴ理論”でその時は自分を正当化したものの、翌日酔いが覚めた状態で思い出してみたが、やはり声音はどうしても思い出せなかった。
 
私は初孫だった。だから、孫の中では誰よりも一番長く可愛がってもらったのに、どんな声だったかもう思い出せないなんて……
 
私は愕然とした。
 
事切れる一番最後まで残っている感覚で捉えることができるものを、真っ先に無くしてしまうなんて。
 
忘れたくないのに、何一つ零したくないのに。
 
思っても願っても、薄れてしまったものを思い出すことが困難になってしまう人間の記憶の儚さに、私は胸を掻きむしられるような気持ちになった。
 
でも、声を忘れてしまってもまだ残っている記憶がある。
 
小指を握られ、それを私が握り返したあの感覚だ。それに紐づいた気の抜けた別れの時の言葉も……
 
“人は記憶を失いながら生きていくものだ”ということは、これまでの人生経験上、十分承知している。実際人間はそうでないと辛くて、悲しくて生きていけないのかもしれない。
 
それでも、零れたはずの懐かしい記憶を、時々でいいから何かをきっかけに思い出せたらいいと思う。
 
3年経った今でも右手の小指の付け根に残る、彼女の最期の“声なき言葉”の感覚が蘇ることがある。
 
思い出すタイミングは激励だったり、感傷だったり、内省だったり様々だ。
 
そんな時、私はその感覚をまたいつか思い出せるように、あの時彼女がしたのと同じように、左手で右手の小指の付け根を握り返す。
 
声音を忘れてしまっても、まだ“思い出”という“記憶が含む声”が残っているじゃあないか。
 
こうして「時々思い出しながら、日々少しでも前進していけたら」と思い、大切なことは出来るだけ忘れないように、私は今日もこうして“文章”という形に記憶を変換し続けている。
 
 
 
 
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2019-04-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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