メディアグランプリ

ろうそくに、ひとの祈りの溶ける先


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:武田紗季(ライティング・ゼミ特講)
 
 
京都は東山に青蓮院門跡という場所がある。わたしはこの場所が大好きで、ちょっと気持ちを落ち着かせたいときや、自分の思っていることに確信を持ちたいとき、ただただぼんやりしたいときに訪れる。
 
初めて宸殿に足を踏み入れたのは今から十年ほど前で、そのときの感覚は今でも忘れられない。体にざわざわと鳥肌がたって、細胞が震えた。それまで細胞が震えるなんて表現がわからなかったけど、そのときわかった。あれは確かに細胞が震えて、そのあと空気と隙間なく混じり合うような不思議な体験だった。
それから、庭に面した引き戸から見える風景。知っている、と思った。実をつけた橘も、枯れ枝になって春を待つ準備をしている桜も。初めて訪れたにも関わらず。
 
しばらくして、護摩行が始まった。夜のはじまりの藍色の空気のなか、ろうそくが揺れて読経が響く。低い声の振動と、ゆらゆらと揺れるろうそくが溶け出す。祈り、願い、悲しみや救い、そんなものを包むような空気が満ちて、わたしは自分がここにいるけど、ここには存在しないような感覚になる。人々の託した護摩木が燃えて、声の振動にさらに祈りが溶ける。溶けた祈りはどこへ行くのか。そこは天国とか地獄とか、亡くなったひとや神様がいるとかではなく、ただ何もかもが許される空間が広がっているといいなと思う。
 
不思議な空気が心地よくて、それ以来どうしようもなくなると呼ばれるように訪れる。いい歳をした三十路の女が、ひとりで畳に座ってぼんやりしていたり、こっそり膝を抱えて泣いたりしているのは傍目にみると相当あぶないが、ここでは放っておいてもらえるのでありがたく居座る。行くぞ! と日にちをあらかじめ決めて行くときもあるし、もうどうしてもだめだ、どうにもならない、このタイミングを逃すとだめになる、と朝を迎えるのを待って飛び込むときもある。何がだめになるのかはわからないけど、この瞬間を逃すと自分がギリギリ立っている線の向こう側へ行ってしまいそうになるときがある。冬の寒い朝、観光客のまばらな京都の街を歩くのは気持ちいい。だけど、切羽詰まった自分の状況を余計に感じて自然と早足になってしまう。はやくあの空気を吸い込みたい、廊下から見える庭の橘のきれいな橙色が懐かしい。
 
自分の中の諸々を、一旦ゼロに戻す。わたしにとって青蓮院はそんな場所だ。過不足なく、完璧なゼロに戻れる。仕事が生死に関わる仕事なこともあり、日常はずっと緊張状態だ。でもそんなの自分で選んだ仕事だし、納得もしている。だけれどどうしても、抱えきれないこともある。揺れまくって罪悪感と使命感とに挟まれてぐちゃぐちゃになるときもある。正しいことがわからなくなるときもある。そんなとき、誰かにぶちまけるわけにもいかず、そっとここを訪れて、この空気に抱きしめてもらう。わたしの目の前から消えたあのひとが笑っているように、楽しい幸せなことだけの空間で安らかに存在しているようにと祈る。
 
わたしは、誰かに苦しみや悲しみを話して気持ちが楽になったとしてもそれは一時的な安楽で、結局は自分で向き合うしかないと思っている。だけど、また明日から頑張るために、一息つく場所はいくつあってもいいと思う。ここに行けば安心で、駆け込み寺のような。そう、青蓮院はゼロに戻れる場所であり、そしてわたしの駆け込み寺だ。
 
さて、不思議な話がありまして……そんなにあなたが青蓮院を好きなら案内してほしいと、友人から声がかかって行ってみた。誰かと一緒に行くのは初めてだった。ひとりで訪れるときはもう、だいたいお決まりコースで、まず襖絵をみて、宸殿で好きなだけ座り、青不動さんをみてご挨拶をして終了なのだが、このときは違った。友人は宸殿を通り過ぎて奥の方の突き当りの展示を熱心に見ている。板張りの廊下はしんと冷え切って、ただ待っているのは寒いな、わたしはもう一回畳で座ってぼんやりしてこようかな、と思いはしたがなかなか言い出せない。何となく廊下を挟んでいつもの庭と反対側の板壁をみると、白い孔雀が描かれていた。そっちには最初に来て以来行ってなかったから、気づかなかった。その孔雀の羽の模様はとてもとても、わたしに似ていた。絶句していると、気づいた友人も寄ってきて「あれ、これ紗季さんだね。紗季さんの顔が羽に浮き出ているね」……うっすら気づいていたけどちょっと怖いから言葉にしてほしくなかったな、うん。
 
あれから、何回も変わらず青蓮院をおとずれ、宸殿に座っている。でも、あの白い孔雀の描かれた板壁は、どこにもない。嘘でしょと思って探したけど、全くない。もはや幻だったのじゃないかと思うけど、しっかり写真には撮ってある。あの日、帰って夫に写真を見せたらやっぱり同じ感想で、さすがに認めざるを得なかった。白い孔雀がいたから、わたしはここの空気が大好きになったのかもしれない。その孔雀も、今はただただ人々の祈りが溶けた空間を漂っていてくれたらと祈る。
 
 
 
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2019-04-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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