メディアグランプリ

「変われなかった私」を変えてくれた時限爆弾


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:臼井裕之(ライティング・ゼミ土曜コース)
 
「臼井さんの肩書は、放浪センセイね。これで決まり!」
ベトナムのダナンに来てしばらくして、友人にSNSでこういわれた。
ベトナムにふらふらと出てきたので「放浪」である。
こちらでは、1か月の短期でエスペラントを教えている。
だから先生の端くれということで「センセイ」だ。
 
エスペラントというのは、1887年に発表された言語である。
その目的は、母語の違う人たちを結びつけることにある。
20世紀の前半は、英語がまだ今のように広まっていなかったから、
今にも「国際語」になるかとも思われていた。
今では世界各地で、ほそぼそと続いているばかりだ。
 
でも英語と違って、特定の国家や民族に属していない言語で
コミュニケーションするのは身軽で心地がいい。
英語を使う上では、いつもネイティブの規範を参照しないといけないが、
エスペラントは、自分たちで決めていける自由が売りである。
 
ダナン外国語大学が会場のエスペラントの授業では、
3年ほど前に習いはじめたウクレレも弾いている。
語学の勉強に歌は有用なので、歌を教えるためである。
お世辞にも上手ではないではないが、そんなことは気にしない。
「語学教師」ならぬ「語学芸人」だとうそぶいている。
 
二つの称号を併せて「語学芸人放浪センセイ」なのだ。
いや、本当はちょっと前まで、自分の本を出したかったはず……。
天狼院のライティング・ゼミも受講したのも、そのためじゃなかったっけ?
でもベトナムへ来てから、ちょっとこう思うようになってきている。
「これからの人生、『語学芸人放浪センセイ』で渡っていくのもありかな」
 
40年ほど前の中学生だった私が、今の私を見たらビックリするだろう。
鏡を覗くと、日に焼けて前より少し精悍になった顔がこっちを見ている。
「えっ、40年後の僕はこんなに変わっているの!?」
 
あの頃の私は、人見知りで引っ込み思案、自意識過剰でネクラ……。
そして何よりそんな自分がとても嫌だった。
 
「見ていてくれ。明日には変わるから」
中学生の頃、私が友人に繰り返していた口癖である。
今から思えば自分を変えるためには、行動を起こす必要があったはず。
でもそれをせずに、観念的な堂々巡りを繰り返すばかりだった。
「変化したい」と口でいい、それに憧れながら
実は変化が嫌いで、変わろうとしていなかったのである。
 
挙句の果てに自分が変われない犯人捜しを始めた。
結局、中二の頃から独習を始めたエスペラントに罪をなすりつける。
「僕が変われないのは、エスペラントなんかやっているからだ!」
 
そういう堂々巡りの延長線上で,私は大学を選んだ。
そして大学卒業後の職業も決めてしまった。
口先だけ「変化したい」男は、変化が少ない東京の区役所に就職した。
少なくとも転勤の必要はないだろう。
異動があっても自転車で行ける範囲だ。
 
身軽で自由な媒体であるエスペラントが、私を縛るいわれなどなかった。
それどころか後年、エスペラントは私を変えてくれることにもなった。
でも若いころは、そんな可能性にはまったく気が付かなかった。
それは一つにはエスペラントが、巧妙にできた時限爆弾だったためである。
数十年後に突如として爆発して、私を変えてしまうように仕組まれていたのだ。
 
エスペラントという時限爆弾は、私が43歳の時に突如として爆発した。
引火したのは2011年3月11日である。
そう、引き金を引いたのは東日本大震災であり、
またその数日後の福島第一の原発事故だった。
日本中が大混乱に陥るなかで、私は心のどこかで感じていた。
「このままの人生でいいのか? もっと思う存分にエスペラントを生かしてこそ、俺の人生じゃないのか?」
 
それですぐに人生を転換できるほど、ことは格好良くは進まなかった。
たくさんの紆余曲折があり、ものすごく右往左往した。
でも結局、1年後に私は公務員をやめていた。
エスペラントの専門家として、北京へと旅立ったのである。
 
北京での主な仕事はウェッブサイトにエスペラントで文章を書き、
また中国語からの翻訳を直すことだった。
その傍ら、ボランティアでエスペラントも教え始めた。
北京での6年間、異文化の中で生きることの大変さを実感した。
人見知りで引っ込み思案、自意識過剰でネクラであるはずの自分が、
かなり柔軟に異文化に適応できているのが意外だった。
いや、本当は異文化の中を泳いでいくのはとても楽しかった。
 
だからこそ北京生活の後、1年間の日本滞在を経て
今度はベトナムに出てきたのである。
中国にいる間は、何かあるたびに中国と日本を比較ばかりしていた。
私にとって、二つ目の異文化であるベトナムで暮らしてみると、
中国も日本も、前よりも立体的に見えてくる気がする。
あちこちに出かけていく「放浪センセイ」ならではの特権だろう。
「放浪センセイ」は始めてみると、なかなかやめられなさそうだ。
 
これからの私は「語学芸人放浪センセイ」として
人生を歩んでいくのかもしれない。
我ながら面白く、そして満足のいく人生になるように思う。
それもまたエスペラントという時限爆弾を
若き日にそれと知らずに仕込んでいたおかげである。
 
人生は、いくつになっても変えることはできるのだ。
自分では気が付いていないばかりで、
神様は前もって、必要な起爆剤をそっと手に握らせてくれているのである。
必要なのはそれに気付いて、爆発させることだけ。
その刹那、新しい自分への飛躍が待っている。
 
 
 
 
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2019-04-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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