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メディアグランプリ

「1泊1500円だからね」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高橋恭子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
幼い頃、私の両親は小さな花屋を営んでいた。店がある場所は自宅から車で30分。店が忙しい日には夕方に母が一旦自宅に戻り、私と3歳年下の妹に夕食を食べさせて再び店に戻るというようなこともあった。1年で最も忙しいお盆と年末の時期には、私と妹は自宅から車で1時間ほど離れた錦糸町の親戚の家に4、5日間預けられていた。今思えば、母が夕食を作りに自宅に戻ることも難しいほど仕事が忙しかったのだと思う。
 
そんな事情を知らない私と妹にとっては、このお泊まりは従兄弟たちと会える年に2回の楽しいイベントだった。
 
親戚の家は祖父母と叔父夫婦、単身の叔父に加え5人の従兄弟が暮らしている大家族で、2人だけで留守番をすることが多かった私たちは、この賑やかな親戚の家が大好きだった。
 
9歳の時だったと思う。冬休みに入り、いつものように親戚の家に泊まりに行った時のことだ。年が明け、いつものように両親が車で迎えにきた。自宅に帰るために父の車に乗ろうとしている時、車の脇に立っていた母が「子ども達がお世話になりました」と叔母にお礼を言った。
 
私がそのまま後部座席に乗り込み、窓から従兄弟たちに「またね〜」と手を振っている時、それは起こった。お礼を言い終えた母に、叔母が笑いながらこう言ったのだ。
 
「またいつでも連れてきていいよ。1泊1500円だからね」
 
叔母のその言葉が聞こえた途端、驚いたと同時に心がキュッと凍ったように固まってしまった。
 
1泊……1500円……?
 
「1泊1500円ってどういうこと? 私たちが泊まるのにお金がかかってたの?」「叔母さんが今まで優しかったのも、泊めてくれてたのも、お金をもらうためだったの!?」「お母さんは私たちの世話をしたくないから、お金を払って親戚の家に預けてたってこと?」次から次へ嫌な想像が頭に浮かんできた。
 
いつもなら家までの車中、妹としりとりをしたり、首都高から見えるオレンジ色の東京タワーを探しながら帰るのがお決まりだったのに、その日は「1泊1500円」という言葉がずっと頭から離れなかった。
 
私たちの世話が面倒で叔母にお金を払ったのか、母に直接聞いてみたかった。でも助手席にいる母にそれを尋ねることはできなかった。妹にも聞かれてしまうし、叔母との会話を聞いていたことを知られるのも怖かった。大人同士の秘密の取引を盗み聞きしたような後ろめたさがあったからだ。理由はほかにもある。母に「その通りよ」と肯定されてしまうのが怖かったのだ。
 
翌年も、その翌年も、私と妹は親戚の家に連れて行かれた。でも私はもう、妹のように無邪気に笑うことはできなかった。夕食の時に叔母が「おかわりは?」と私に聞いてきても「いらない(後で追加料金を請求されるかもしれないし)」なんて勘ぐるようになっていた。
 
母のことも「私たちの世話が面倒で、自分が楽をするために親戚に預けていたんだろう」という目で見るようになっていた。母に店の手伝いをするよう言われれば「食べさせてやってるのだから、その分くらいは働くのが当然でしょ」と言われている気がした。
 
小学校高学年になり、実際に私が店の手伝いをするようになると、親戚の家に泊まりに行くことは無くなった。引越しをして店と自宅が近くなったことで、預ける必要がなくなったのかもしれない。でも私は「自分が店の戦力として認められたから、預けられなくなったのだ」と思った。
 
店の手伝いは一生懸命にやった。冬休みに学校の友達が遊びに出かけていても、私は夜遅くまで正月飾りを売っていた。「店の役に立つ」それが私が親戚の家に行かされずに、家にいてもいい理由だと思い込んでいた。そのいっぽう、母から頼まれる家の掃除や洗濯の手伝いは、とことんやらなかった。当時の私は「必要とされたい。でも母を楽になんてさせてやるものか」という矛盾した思いを抱えていた。
 
そんな反抗的な思春期を経て、母との関係はますます悪くなっていった。そして大学進学を機に、私は一人暮らしを始めることになる。本音を言えば、一人暮らしをするために、あえて地方大学を受験したというのが正しい。大学生活はとにかく楽しかった。アルバイトと恋愛と勉強で24時間が埋め尽くされ、物理的に実家から距離を置いたこともあり、次第に母との関係でイライラすることも無くなり、あの日のことも思い出すことはなくなっていった。
 
その後、社会人となった私は結婚して出産。3人の子宝に恵まれた。妹も結婚して子どもができると、週末にどちらかの家に集まって、子どもたちを遊ばせる事が多くなった。ある日、我が家に遊びに来ていた姪が、夜になっても帰りたがらないことがあった。妹が玄関先で上着を着せようとしても、泣いて抵抗する。翌日も休みだった私が「じゃあ今夜はウチに泊まっていけば?」と言うと、姪は喜んで走っていった。妹は「じゃあお言葉に甘えて。面倒かけてごめんね。食費くらいは置いていくよ」と言った。「別にそんなこと気にしなくていいよ」と断ったが、妹はそれでは申し訳ないからと財布を出した。そして、
 
「1食500円として3食だから……1500円でいい?」
 
と言ったのだ。
 
1500円。あの日の記憶が一気に蘇った。
 
私は慌てて「お金はいらない」と子どもたちに聞こえないような小さな声で伝え、急いで財布をバッグに戻させた。こんな会話、絶対に子どもたちに聞かせてはならない。
 
そして、あの日に聞いたこと、私がそのとき感じたことを初めて妹に告白した。ひと通り話を聞いた妹は「そんな深刻に考えることかなぁ。お姉ちゃん、考えすぎじゃない? さっきの私みたいに食費として渡してただけでしょ」と言った。
 
「え? 考えすぎ?」
 
拍子抜けとはこのことだ。私が20年以上も悩んでいたことを単に考えすぎだと言うの?
 
「じゃ、じゃあ、なんでわざわざお金を払って私たちを預けてたと思う?」
 
「忙しくて構ってあげられないし、従兄弟たちと過ごす方が私たちが喜ぶだろうって思ったんじゃない?」
 
「あれは、両親の優しさだったってこと……?」
 
9歳の私にとっては大金に思えたけど、よく考えてみれば1500円は”お金のために”大人がどうこうする金額ではない。それに幼い子を2人同時に預けるのだから、せめて食費くらい払わなければと思うのも、大人なら当然だろう。確かに、妹の言う通りだ。
 
なんと言うことだろう。私は20年以上も、あの日の出来事を勝手に勘違いして、拗ねていたというのか……。
 
思いもかけない形で、私の20年間の心のわだかまりは、この日あっけなく解けてしまった。
 
後日、この話を母に話してみたところ「そんな事あったっけ? そんな昔の話なんて覚えてないよ」と笑っていた。そして当時の私の必死の抵抗も、ただの反抗期としか思われていなかった。
 
あの日のことに囚われてたのは、私ひとりだった。
 
タイムマシンがあれば、9歳の自分に会いに行って教えてあげたい。
「あの日のことは、あなたの勘違いだよ」
「大丈夫。あなたはちゃんと愛されてるよ」と。
 
もうすぐ令和最初の母の日。久しぶりに店に手伝いにいこうかな。
それとも実家の掃除でもしてあげようか。
 
 
 
 
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2019-04-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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