メディアグランプリ

シャボン玉に触れたくて


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:奥村まなみ(ライティング・ゼミ 火曜コース)

最近、どうも、あいづちが気になる。
誰かと誰かの会話を耳にしていても、話の内容よりも、そのあい間に聞こえてくる「ふんふん」「へぇ~」「あ、そう」などのあいづちが気になって仕方ないのだ。

先日、電車に乗っていた時のこと。
よくしゃべるおばちゃんと、あまりしゃべらないおばちゃん2人の、何気ない会話が聞こえてきた。しゃべるおばちゃんは、自分の息子の話なのだろうか、子どもの頃はどんな子だったとか、今はどこにいて、どんな仕事をしているとか、そんな類の話をペラペラとしていた。
しゃべらないおばちゃんは、特に何か気のきいたコメントをするわけでもない。「そ」と「う」のたった2文字の組み合わせからできた「そう~」というあいづちを、なかなかのバラエティに富んだイントネーションで会話にはさみこんでいた。そして、それが、しゃべるおばちゃんの舌をますます滑らかなものにしていた。

そんな「そう~」は、私に学生時代に通っていた、塾の先生を思い出させていた。
その先生は、口調がとても丁寧で、学生に対しても敬語で話しかけるような人だった。
普段は無口で、ちょっとシャイな男子も、その先生の前ではよく話していた。先生の口からも、また、「へ」と「え」の組み合わせからできた「へえ~」というあいづちが連発されていた。私は、ひそかに心の中で、先生に変なあだ名をつけて傍から見ていただけだったが、今から思えば、それは、ただ単なる「へえ」ではなかった。話す側が、心を許して、自然とつづきを話したくなるような、そんな「へえ」だったのではないかと思う。

これは、あいづちと言っていいのか分からないが、32年間続いて、数年前に惜しまれつつも終了したお昼の生番組での、観覧客が口をそろえて言う「そうですね~」が、私はなぜか好きだった。言わずと知れた司会者タモリの、ちょっとふざけた投げかけに、間髪入れずに言われる「そうですね~」
それは、一種の言葉遊びのようなものだったが、この意図的なあいづちが、番組と観覧客に一体感をもたせていて、生放送という緊張感を解きほぐしていた気さえする。

タモリと言えば、毎回出てくるゲストの話を短時間で引き出し、トークをもりあげる会話上手で知られている。しかし、よく聞いていると、タモリの言葉数は意外と少ないのである。よく言われる「話し上手は、聞き上手」というやつだとは思うが、私からすると、そのあいづちはプロ級。あいづちにも、プロがいるのだなと思う。

「アイヅチニケーション」
「あいづち」により生まれる「コミュニケーション」

あいづちが気になってしょうがない、自称あいづちフェチの私が、勝手につくったコトバである。日々そこかしこで、これを発見しては、密かにその威力を感じている。

もちろん、うっとりするあいづちばかりではない。
時には、冷たいあいづちにだって遭遇する。同じ「へ」と「え」の2文字構成なのに、こころない、投げやりなそれは、もはや聞く耳を持ってはおらず、話を盛り上げるどころではない。

会話にあいづちというものが、「無」の場合もある。おおよそ、そういう会話は、どちらかがどちらかに、言葉をかぶせて話をしている。あいづちフェチとしては、何かが滞っているような気がして、最もストレスを感じる会話。まさに、アイヅチニケーション不足……である。

きらいなあいづちだって存在する。
うそくさい。わざとらしい。おおげさ。

他にも、電話での会話のような、顔の見えないあいづちも、ちょっと苦手である。誰もが一度は、経験したことがあるのではないだろうか。実際に会って話している時の「へえ」と、そうでない時の「へえ」の違いを。全く同じトーンで発せられているにもかかわらず、表情から切り離された「へえ」には、冷たくないものを、冷たく感じさせる危険な何かがある。ゆえに、投げかける側も、受け取る側も、ちょっと注意が必要かもしれない。

とは言っても、顔の見えない最高のあいづちを私は知っている。それは、私のお気に入りのラジオから聞こえてくる。それは、わき役に徹していながらも、主役であるパーソナリティの話を、実に引き立て、円滑にしている。
それは、気にも留めなければ、生まれては消え、うまれてはまたすぐに消えいくシャボン玉のようなものだ。そのシャボン玉に触れたくて、いつもその周波数にチャンネルを合わしてしまうのだ。

わたしの好きなあいづち。
それは、話し手の何気ない言葉に対して、承認するでもない。同意するでもない。反対するでもない。称賛するでもない。発した言葉を、そのままそっと、両手ですくいあげてくれるようなあいづちである。

そんなあいづちを聞いていると、とても愛を感じるのだ。
電車で出会ったしゃべらないおばちゃんからも、塾の先生からも、タモリからも。
そこには、あいづちが、「愛づち」になっている瞬間がある。

こんなにもあいづちが気になるのは、もしかしたら私は、とても愛に飢えているのかもしれない。アイヅチニケーション不足とは、どうやら私のことらしい。

「きょうは疲れたな~」
そう呟いたわたしの足元から、思いがけず「にゃーん」というあいづちが聞こえてきた。
思わず笑みがこぼれ、何だか今日あったことを話したくなる。
どうやら、ここにも、あいづちのプロがいるらしい。

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2019-04-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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