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メディアグランプリ

サナギの骨


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:佐々木ちはる(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
サナギの中身を、知っているか。草木を這いずり柔らかな葉を貪るでっぷり太った幼虫が、薄い羽をピンと立てて軽やかに空へと飛び立つまでの間。ぴっちりと閉じられた殻の中で、何が起こっているのかを見たことがあるか?
 
有り体に言えば、私は引きこもりだった。季節外れのインフルエンザと肺炎のコンボで4月に長期欠席をした私はクラスに馴染めず、一度しかない高校一年生の時間を浪費していった。中学からの友達でつくったグループラインは、夏の大会に向けて厳しくなっていく部活動の愚痴やイケメンな先輩の話、「夏休みは新しくできた友達と海に行くんだ」といった話題で盛り上がっていて、中途半端な自分は余計に隅へ隅へと追いやられていくようだった。
 
新任だという丸メガネの若そうな男性教師は、週に一度家にやってきた。「まだ一年生だし大丈夫」「やりたい部活は見つかった?」「将来の夢を聞かせてよ」……私の中には一つも反響しない言葉ばかり投げかけては、ざらざらしたわら半紙に印刷されたクラス通信をおいて帰っていく。小学生じゃあるまいし、クラス通信ってなんだよ。新任の教師が私のために作ってくれていたことも知らないまま、季節は夏に差し掛かろうとしていた。
 
「自分のことを例えるなら、サナギだと思う」
 
それは何度目かの家庭訪問で、担当は理科だという教師に向かって呟いた一言だった。固くて頑丈な殻に閉じこもったまま、身じろぎ一つせずに、ただ生きるだけの私。己が何者になるのかもわからず――いや、何者かになれると思っていること自体、馬鹿らしい。「チョウにもガにもカブトムシにもなれないまま、死ぬ方のサナギだと思う」と言い直す。頑固な脳みそと固く結んだ不機嫌な口元を突き破る気力は、あの時の私には残っていなかった。
 
そんなとき、先生は言った。「サナギの中身を知っているか」と。よく知らないけれど、昆虫はみな細くて軽くて薄っぺらいから――人でいうところの「皮」と「骨」しか持たない生き物のような気がして、私は「骨がある」と答えた。食べ物を食べる消化器官も、卵をつくる生殖器官もあるはずだけど、無力なサナギの中身には必要ないと思って言わなかった。学校に行かなくなって二ヶ月、どこにも行かない私の体もずいぶん軽くなっていた。
 
「虫が、好きだったんだよ」先生は急に「子供の頃の話なんだけど」と前置きして、親戚の家に遊びに行った時のことを話してくれた。メガネの先の目は私を見ていなかったし、どこか遠い庭先の、土と草のにおいに塗れた思い出の中にいるらしかった。
 
「先生は虫が好きで、バッタもチョウもダンゴムシもカマキリも、みんな捕まえてきて絵を書いてた。ツノも触角も節のある体も、細かく作ったおもちゃみたいでかっこいいよくてさ。自由研究はもちろん、虫の観察日記だったよ。……で、あれは法事のときだったかな。母方の実家に遊びに行って、田舎の一軒家の庭で一人、虫取りをして遊んでた。下草の中に逃げこんだ虫を追いかけた俺は、ちょうど自分の腰ほどの高さの木の枝に、薄緑色のサナギを見つけたんだ。ツヤがあって、葉脈みたいな模様のついた姿。カブトムシやクワガタムシよりかっこよくて凄いものにみえたんだ。こっそり枝ごと家に持ち帰って、絵を書いて。それから、サナギの中身が気になった」
 
先生は少し下を向いてバツが悪そうにしながら「好奇心旺盛な子供だったんだよ」と言い訳した。後悔はしてないらしい先生の顔は、子供を叱る大人の顔をしたまま、わんぱくな小学生の目をしていた。
 
「ピンセットで薄皮を引っ張ると、まだ変態したてだったサナギは簡単に破れた。中から出てきたのは何だったと思う? 皮よりも薄い緑色をした、どろどろの液体だよ。かっこいい虫たちの何にも似ていない物がでてきて、すごく驚いたのを覚えてる。次の日、見慣れない街の知らない図書館に出かけていって、昆虫図鑑を調べると『いも虫はサナギになると、その体をとかして、チョウになるじゅんびをします』と書いてあったんだ。小さかった俺は、どろどろしたサナギの中身が怖くて、悲しくて、泣きながら帰ったよ。ポチの犬小屋の後ろに埋めたサナギのことはずっと、忘れられそうもない」
 
私は想像した。サナギの中で、幼虫の体が徐々に溶けていく様を。生き物には思われないどろどろした液体が、ツノやハネをもつ成虫になっていく神秘を。虫は嫌いだし、先生の話は意味がわからなかったけど、小さかったときの先生が泣いたのはわかる気がした。サナギは強い。体を溶かして、全く違うものになりながら、醜く脆い姿で必死に生きている。
 
「さっき、サナギの中身は『骨』って答えたろ。理科の先生としてはバツをつけなきゃいけないが、俺はお前がサナギだというのなら『骨』があると思っているよ。今は何も見えなくて、どこにも行けなくて、どろどろしたものを抱えているとしても、それは『サナギ』の時には当たり前のことだから……」
 
そこから先は、教師お決まりのクサい「お節介」と「お説教」が始まって、よく覚えていない。それでも「私というサナギの中に『骨』がある」という言葉だけは、ずっと耳から離れなかった。どろどろと溶けた私の中で、一つだけ硬い骨がある。それは溶け残った幼虫の最後の一欠片かもしれないし、成虫になりはじめたものの一部なのかもしれない。どっちでもいいな、と私は思った。必死に生きるサナギの柔らかな中身に、偏屈な硬い骨があることが重要である気がしたからだ。今の私は過去の私でも未来の私でもないが、「何者でもない私」ではないのだ。
 
「まあ無理はしなくていいからさ、来られる時に登校しような。みんな、待ってるからさ」
「明日から、行きます」
「え、なんだ。どうした? 急に」
「行きます、学校。私……私は『骨』のあるサナギだから」
 
どうやら先生は「私、実はホネのあるヤツなんです」という自己紹介をされたのだと勘違いしたようで、「その意気だぞ」と肩を叩いて帰っていった。本当は、そうじゃない。私は「骨」を手放さないサナギとして、生きていくのだ。
 
社会人になった、今。幾度となく変化する環境に順応すべく、私は何度もサナギになり、何度も私の内側を溶かしてきた。不登校からの復帰、友達との喧嘩、片思いと失恋、就職と結婚。纏う殻に合わせるまでのどろどろした私を通り越して、成長という名の変態を繰り返していく。私の殻の中にはいつでも偏屈でいびつな「骨」がある。どろどろに溶けた私の中で消えないそれは、たった一つの「変わらない私」がいることを教えてくれるのだ。蝶になって飛ぶことが素晴らしいわけではない。サナギもまた、蝶でもなく芋虫でもない生を生きているのだから。
 
 
 
 
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2019-04-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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