メディアグランプリ

プロの天使


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【6月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:村山結実(ライティング・ゼミGW特講)
 
 
「責任者を呼べ! じゃないと、警察呼ぶぞ!」
男は、真っ赤な両目で鋭く私を捉え、口から涎を流し、身を震わせながら怒鳴り散らした。
狭く味気のない部屋には男と私のふたりきりだった。
 
(こわい)
どうすることもできない私は、ただただその場に立ちすくんだ。
 
「なんだ、できないのか? どういうつもりなんだ」
80年の年月とともに刻まれた顔面の皺一本一本までもが、私への怒りに満ちているようだった。
 
(誰か来て)
心の中で必死に助けを求めたが、
切実な思いとは裏腹に、背にした扉が開くことはなかった。
 
 
 
「おはようございます、お願いしまーす。」
朝礼が終わり、慌ただしい朝が始まる。
「もう、大丈夫だから。あとはなんとかしておくから村山さんは帰っていいよ。
大変だったね。」
 
恐怖で涙が止まらない私に上司や同僚が優しい言葉をかけた。
 
 
きっかけは
朝食のパンにバターが添えられていない、
たったそれだけの出来事だった。
 
朝、私は彼の部屋のカーテンを開け、天気の話題を振り、
テレビをつけ、見やすいように角度を調整し、
テーブルを綺麗に片付け、食事を運び、
熱々のおしぼりを手渡し、朝食メニューの説明をした。
 
そこで彼は、
「バターがない」
ふつふつと溜まりに溜まったフラストレーションが、その瞬間、一気に弾けた。
 
 
 
これが私たち看護師の日常。
白衣の天使の世界。
 
 
「いつも基準はかわらないよ、患者さんが基準。
何が一番患者さんのためになるのか、ただそれだけだよ。
簡単でしょ?」
あの場を収めてくれた木戸さんは、涙目の私にそう言い残した。
15年以上のベテランの言葉は非常にシンプルでわかりやすかったが、
シンプルがゆえに一番難しかった。
 
「看護って、難しいです、わかんないです」
看護に悩む私を、木戸さんはよく飲みに誘ってくれた。
「私も初めはそうだったけどさ。患者さんと日々真剣に向き合っていれば、村山さんも絶対大丈夫」
木戸さんの看護は本当にすごかった。
木戸さんの一言で、患者さんは穏やかになるし、治療に前向きになった。
そんな看護師になりたい、そう思うようになった。
看護って素晴らしい、自分の力でそう伝えられるようになりたい、と思うようになった。
 
 
 
看護師は、単なる患者の世話係ではない。
患者のその日の病状を常に把握して、細かい変化も発見し、適切な治療を受けられるよう調整する。
治療がスムーズに行えるように、患者の心の準備も整える。
治療が適切でないと思えば、医師にだって直接交渉する。
患者やその家族のが辛くてたまらなければ、気持ちのはけ口になる。
それが患者の為なのであれば、時に厳しいことも言わなければならない。
 
「バターがない」
そう言う心臓病の彼に、私は決してバターを渡すことはできなかった。
彼の心臓のためだった。
しかし、私がいくら説明しようと、彼は聞く耳を持たなかった。
怒り狂う彼を目の当たりにし、
私はどうすればいいのか、そしてこれが本当に彼のためなのか、わからなくなっていった。
 
 
 
入院生活は過酷だ。
今までできていたことが病気に侵され徐々にできなくなる。
治療のためと言いつつ、ストレスになる食事や運動制限。
髪が抜ける、太りやすくなるなどあらゆる治療の副作用。
病気以外にも、ありとあらゆるストレスを抱え、
心の病気になることもめずらしくない。
 
「バターがない」
それは彼の心の悲痛な叫びだった。
バターがないことに怒っている訳ではない。
彼は、悲しかったのだ。
自分の身体機能が衰えていくことが。
辛かったのだ。
自分で思うように身動きが取れず、孫ほどの年齢の私に頼らなければならないことが。
訴えていたのだ。
こんな狭いところから早く抜け出させてくれと。
本当に助けを求めていたのは、私ではなく、彼だった。
 
彼の想い受け止めることができなかった私は、完全に看護師失格だった。
悔しかった。
情けなかった。
今まで学んできたことが、何も身になっていなかった。
私は自分を責めることしかできなかった。
 
 
 
3日後、私は再び彼の部屋を担当することとなった。
(こわい)
私は心の声を抑えきれなかった。
 
「こんにちは、今日担当する村山です。よろしくお願いします。」
できるだけまっすぐ彼の目を見て挨拶した。
彼は一瞬びくっとして、私から目を逸らし、口をつぐんだ。
(こわい)
私は、自分の心の声に少し抗って、彼に少しずつ声をかけた。
すると、彼も、少しずつ答えてくれた。
 
(木戸さん、上手じゃないけど、向き合って、一歩だけ前に進めました)
私の心の声はいつのまにか、恐怖から木戸さんへの報告へと変わっていた。
 
 
 
こうやって今日も私は患者さんと向き合う。
プロの天使にはまだ、なれない。
 
 
 
 
***
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2019-05-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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