【文章の目的】なぜ、言葉にして伝えることは難しいのか?~こわれかけの空気清浄機の話
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記事:ヒラタアキ(ライティング・ゼミGW特講)
いざ、文章を書こうと思うと、なかなか言葉が出てこない。
そんなもどかしい気持ちを、常に抱えている。
言葉が出てこないということは、考えているようで、実は何も考えていないということである。
私は、長いこと、ずっと悩み続けてきた。
「自分が何を考えているのかがわからない」と。
何かを言うと、「黙ってなさい」と注意される。
黙っていると、「ちゃんと言いなさい」と注意される。
そんなやりとりの連続が、私の心を複雑にしてしまった。
黙ってなきゃいけないのか、言わなきゃいけないのか、サッパリわからない。
もちろん簡単なのは、「黙る」ほう。そうして口を閉ざすうちに、いつしか心も閉ざしてしまったようである。
何を考えているのかが、本当にわからない。わからないから、書けないのだ。
記録するだけなら簡単だ。
今日の出来事、会議で決まったこと、本で読んだ内容……。それらを、自分の感想をまじえずに、ただ記録するだけ。それならできる。
「メモをとる」ことも、その大部分は、ただの「記録」である。
「記録」とは、小学生の頃に身につけたスキルだ。
学級日誌、絵日記、授業での板書。見たままを書くだけ。自分の考えなんて、書いた記憶がない。
せいぜい、「うれしかった」「良かった」「感動した」くらいである。
大人になった今、せつに思う。
「記録」からはもう卒業し、「自分の言葉で書く」習慣を身につけたい、と。
それが、私が「書こう」と思った動機である。
そもそも、言葉はなぜ発達したのだろうか?
言葉を手に入れる前は、鳴き声やシグナルが仲間との交流手段だったことだろう。それでは不十分となり、「もっとちゃんと伝えたい」と思ったのではないだろうか。
言葉が発達した背景には、「伝えたい気持ち」が先にあったのではないかと私は思う。
ただ、言葉は後から手に入れたものであって、本能ではない。どうすればいいかは、本能ではわからないということだ。
言葉を獲得する前の年月のほうが、はるかに長かったからだ。
だから、訓練が必要なのだ。「言葉にする」訓練とは、具体的には「文字にする」ことである。
その過程は、芸術とも似ている。
人間はその昔、「雨」を描くことができなかったそうだ。
雨は、とらえどころがない。漠然としたイメージでしかなく、それをハッキリとした形で表現することは難しかったようだ。
というよりも、形にするという発想自体がなかったのかもしれない。
なんとなく頭がモヤモヤしても、「寝て忘れてしまおう」と思うことは多いものだ。頭の中のモヤモヤを、「形にする」という行動には、なかなか移せない。
けれども、「なんとかして雨を形にして表現したい!」 そう強く願った人物がいた。
それは、浮世絵師の歌川広重。
なんと歌川広重は、「雨」を「線」で描くという手法を編み出した、世界初の人だそうだ。
西洋の画家が日本画に強く影響を受けたという話はよく聞くが、その具体例のひとつが「雨」の描写だった。
「雨」を「線」で描く。今では当たり前のことだが、その昔は、誰も「雨」を描けなかった。漠然としたものは、漠然としたままだったのだ。
言葉にならない「モヤモヤ」、「イライラ」、「ワクワク」。
私たちは、すべてをイメージでとらえている。きっと本能とは、そういうものなのだろう。最初はイメージでしかない。
それを文字という形にして、ハッキリと見せる。漠然としたものを、漠然としたままにしない。それが、伝える力だ。
だから、文字にしよう。自分の言葉を手に入れよう。
そのためには、何か1つの体験をするたびに、ここから何を学んだのか? なぜ自分はそう感じたのか? それをひとつひとつ、丁寧に掘り下げていくといい。
そして、この体験をとおして、自分は人に何を伝えたいのかを、考えに考えぬくのだ。
文字にすることを訓練するようになってから、私は思った。
紙とペンは、言葉の空気清浄機なのだ、と。
外にある様々な情報を頭の中にとりこみ、それをクリーンなものに変えて、また外に出す。
「伝える」という目的を考えたとき、汚いものを汚いまま吐き出すよりも、クリーンにしたほうが喜ばれる。「記録」だけでは伝わらない理由が、ここにある。
クリーンにして伝えると、「黙ってなさい」とは言われなくなった。
そうだ、人は「言いたい」のでも「書きたい」のでもない。「伝えたい」のだ。
そして、「伝えてほしい」のだ。
「伝えたい」気持ちが、言葉を発達させる。「伝えてほしい」気持ちが、言葉を求める。そのことを、遠い遠い祖先が、教えてくれている。
私の伝え方は、こわれかけのラジオならぬ、こわれけの空気清浄機だったのだ。
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