メディアグランプリ

ネイルを塗った指先に、日常の変化があった


 

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記事:獅子崎 りさ(ライティング・ゼミGW特講コース)

先日、私は新しいネイルを買った。
マニキュアと言ったほうがわかりやすいだろうか。
メタリックで明るい紫色のネイルである。インターネットでこの色のネイルを見かけて、私はその色の鮮やかさに目を奪われた。
自分の指先がこの紫色に染まったらどんなだろう……。
私は想像に心をおどらせた。
そして、いそいそと店頭に足を運んだのである。

以前の私だったら、こんな色のネイルを買うことなど思いつきもしなかっただろう。
会社勤めをしていて、窓口でお客の対応をすることも多かった。落ち着いたイメージも大事だったので、派手なネイルなどできなかった。
日常的にネイルができない環境だったので、そもそも私はネイルを塗るという発想さえ持っていなかった。

それが変わったのは、その勤めていた会社を退職した日だ。
数年間勤めた会社を辞めることを、私は決めたのだ。

 

会社に行く最後の日、私は同僚や上司にあいさつをして、職場を後にした。
「なんともあっさりしたものだ」
その時の私は思った。
会社を辞めるという決断をするまでに、自分の心の中で多くの葛藤があった。何ヶ月も悩んだ。
本当に辞めていいのか?
それなりに苦労して就職できた会社だ。
このままここで一生懸命頑張ってみてもいいではないか……。
しかし、別の生き方を試してみたい。
でも……でも……。

そして悩みぬいた果てに、退職を決断したのだ。
それなのに、会社勤務の最終日を迎えた私の心は、特別なんの感慨もない、いつもどおりの気持ちとしか言いようのないものだったのだ。
いや、同僚とのあいさつは胸をうった。
私が去ることに涙してくれた人までいて、私も心から感謝を伝えた。
退職までの手はずを整えてくれた上司には、感謝してもしきれなかった。
その思いをどうにか言葉にして伝えた。
そのような最終日をすごしたのだが、会社を後にすると私の気持ちはまっさらになっていた。

こんなものか。
あれほど悩んだのに。苦しんだのに。
会社を辞めるという人生の中の一大転機だと思っていた出来事さえ、日常の一幕として流れすぎていく。
いつも通いなれた会社から駅までの道を歩きながら、あまりにいつもと変わらない景色に、どこか私は拍子抜けしていたのだ。

 

そこに何か変化のスパイスのような物が欲しかったのかもしれない。
ふと思ったのだ。
「ネイルを塗ってみようかな」
唐突に頭の中に思い浮かんだ考えだったが、私はその思いつきにしたがってドラッグストアに向かった。
もう会社は辞めたのだ。ネイルを塗ってもいいではないか。
ためらう理由はなかった。

今まで、ドラッグストアに行くことはあってもネイルの売り場など特に見たことはなかった。
しかし、あらためて見るとドラッグストアにもたくさんの種類のネイルが陳列してあった。
私の心は、コンビニで親に「お菓子を買っていいよ」と言われお菓子の棚を一生懸命に眺める子どものようだった。
さて、どのネイルを選ぼうか。
私はナチュラルな薄ピンク色やベージュといった使いやすそうな色には目もくれなかった。
その時選んだのは、真っ赤な色のネイルと、濃紺にシルバーのラメがたくさん入ったネイルの2本だ。
あまりにいつもと変わらない日常の中で、とにかく日常と逆をいく色を無意識のうちに選びたかったのだろうと思う。

家に帰って、私はさっそく赤いネイルを塗ってみた。
私の指先が、真っ赤な色に染まっている。
その事実が、わたしの心をおどらせた。

 

朝、目が覚めてふと指を見ると真っ赤なネイルが目に入る。
スマートフォンを手に取ると、赤い指先が目にとまる。
私は、真っ赤に彩られた指先とともに、退職後の日々をスタートさせた。

 

会社で上司に退職の意向を伝えた時も、退職願いを出した時も、最終日に同僚にあいさつをした時でさえ、退職という事実に現実感が持てずにいた。
その現実感を教えてくれたのは、結局このネイルだったのだ。
もう毎朝6時に起きることもない。
7時半の電車に乗るために、駅に走っていくこともない。
毎日あたりまえのように通っていた職場。
あたりまえのようにこなしていた業務。
一緒に働いていた同僚たち。
そこから離れることを、私は選択したのだ。
そんな人生の一大転機を、小さな指先が体現していた。
指先を見て、私はようやく自分の生活の変化に気づいたのだった。

 

そんなものなのかもしれない。
大きな変化が目の前にあってさえ、それを示すものはほんのちょっとした、小さなところにあるのだ。
そうであるなら、些細な変化に気付くには、いったいどれほどの注意をはらうべきなのか。
これまで生きてきた中で、見過ごしてきた変化もたくさんあったに違いない。
しかし、その変化の積み重ねで私の日々の生活が形づくられている。
退職という出来事も含めて、それがこれからの私の日常となるのだ。
赤い指先をみて、私はそんなことを考えていた。

私は今日もネイルを塗っている。
新しく買った紫色のネイルだ。
この色が、これからの私の日常を彩っていく。

 
 
 
 

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2019-05-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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