気持ちのいい風邪
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記事:佐竹真悠子(ライティング・ゼミGW)
風邪って、気持ちよくない?
そう言うと変態呼ばわりされそうだが、私は風邪をひいたときのあの感じが嫌いではない。
朝、起きるとなんだか頭が重い、喉が酸っぱくてイガイガする、身体の潤滑油が切れてきしむ感じがする。まあ気のせいでしょと無視して仕事をしていると、どんどん調子がおかしくなってくる。普段意識せずとも働いてくれていた身体の歯車が、急にその存在を主張しはじめる。
「普段私をちゃんと見てくれない罰だからね」と身体がささやいてくる。「頭で考えるだけで生きていると思ったら大間違いなんだから」
そうだ、と私は気づく。私の思考はただこの肉体によって維持されていることをすっかり忘れていたのだ。日夜休みなく食べ物を分解し、体中に酸素を運んで、私が不用心に侵入を許した菌と戦ってくれていたというのに。頭だけで生きている気になっていると、定期的に身体からの恐るべき反逆にあう。こうなると普段あんなにてきぱき動いていた頭は全く使い物にならず、端っこに所在なさげに座っているしかない。身体に服従するしかない日々。それが風邪である。
風邪の症状にも色々あるが、私の一番好きな体調の悪さ加減というものがある。それは辛さのピークを過ぎてから、だいたい38.2℃前後だ。
はっきりとした苦痛は去ったが、身体は動かず、世界がぐわんぐわん回っている。身体が隅から隅まで熱いのに、毛布をどけると震えるほど寒い。カーテンの隙間からうすぼんやりと明かりが差し込み、遠くで下校中の小学生たちの声が聞こえるような気がする。寝すぎてもう眠ることもできず、スマホをいじることもできず、ただ薄目を開けて呼吸を繰り返すしかない時間。
そういうとき私は、
ウッワ~~~~!!!! 生きてる~~~~!!!!
という奇妙な満足感につつまれるのだ。
そもそも私たちは、少なくとも私は、「自分はこの身体で生きている」と感じることが少ない。普段、自分の感覚を自分で統御できてしまうからだ。
暑かったらクーラーをつけ、お腹が減ったらいつでも好きなものを食べ、ハイになりたければ酒を飲む。Netflixを開き、「笑いたい」「感動したい」という気分にあわせて適切なコンテンツを選べば、なりたい感覚になることができる。そうやって思考によって適切な感覚をチョイスして、自分をコントロールしようとする。
仕事だって、もう身体は必要ない。直接会わなくてもスカイプで会議できるし、記憶しておくべきことは全部、第二の脳ことevernoteやdropdoxに保存しておけばよい。その脳を他人と共有することだってできる。そして自分のアイデンティティさえも、SNSの分身に半分以上持っていかれている。多少眠くてもコーヒーを飲んで、疲れてんだけど! という身体の訴えを口笛吹いて無視する。お前は黙って座ってるだけなんだから楽でいいじゃん、などとパワハラ夫のような対応をとってしまう。私たちはまるで水槽にぷかぷか漂う脳のように、考えることだけで生きている気になっている。
体調を崩すとは、その統御がきかなくなるということだ。
何も考えられず、ただ身体の中を”感覚”だけが満たしている、もしくは自分が”感覚”そのものになる。風邪をひいているとき、「自分とはこの身体であり、この感覚なのだ」としみじみ感じるのだ。
こういう感覚になりたいときって、みんなあるんじゃないだろうか?
例えばランニング。私は長らく、「走るだけなんていう単調で苦しい行為を趣味とする人は深刻なマゾヒストであり、頭がおかしい」という確信を持って生きてきた。
しかし最近ジムに通うようになって、ランニングマシンで走るのが気持ちいい。頭をからっぽにして、ただただ一定のリズムで同じ動作をして呼吸を繰りかえしていると、身体の存在がはっきりと立ち現れてくる。
何も考えず、ただ身体の中を”感覚”だけが満たしている、もしくは自分が”感覚”そのものになる、という点において、風邪とランニングは同じだ。
風邪とはすなわち、身体のなかのランニングなのだ。
みんな、ごちゃごちゃした思考を引っ込めて、自分が感覚そのものになる時間がないとやっていけないのだろう。その手段は人それぞれで、筋トレとか座禅とかヨガとか、もしくはセックスとか自傷行為とか酒とかドラッグだったりするのかもしれない。そうやってなんとか生きているのだ。
健康なときにはランニングを、不健康なときには風邪を。
あなたは水槽に浮かぶ脳ではない。あなたとは、その身体そのものなのだ。
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