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負けず嫌いはどうしてボルダリングを始めたか?【フィクション】


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:秋良(ライティング・ゼミGW特講)
 
 
「ぼるだりんぐじむ?そんなよくわからないとこで働いているやつに、娘はやれん」
乾いた喉へお茶を一気に流し込み、腕を組んで顔を背ける。
視界の隅には、娘の理華の怒った顔と、婚約者である省吾の悲しそうな顔。
「……お父さん、昔から先入観で人のこと決めるな、って言ってたよね。ちゃんと話しもせずに勝手に彼のこと決めつけて、自分の言ってること恥ずかしくないの?」
「……ぐ」
理華に、痛いところをつかれてしまった。
自分の発言が、偏見どころか、可愛い娘を奪って行く男に対する単なる嫉妬であることは十分にわかっていた。けれど、歳を取ってからようやく生まれた愛娘が、よりによって自分の全く知らない世界で生きる男の元へ嫁ぐということが、どうしても簡単には受け入れられなかった。
 
「……わかった。じゃあ、君の働いてるところに俺を案内してくれ」
やけくそで呟く。
「ええ?!」
二人の驚いた顔を見て、しまった、と後悔しながら、正は深く椅子に腰をかけた。

 
白いTシャツを着こなす爽やかなスタッフ。
オシャレなEDMがジム中に鳴り響き、奥の方では、正よりも半世紀以上若い少年少女達がストレッチをしている。
これは場違いな場に来てしまった。
正は心の底から思いながら、ジャージの入った紙袋を握りしめた。
省吾は、緊張した顔ながら、丁寧にボルダリングのルールを説明してくれた。
「めちゃくちゃ簡単ですよ。同じ色の石———ホールドっていうんですけれど、これを横の数字と同じ順番で、上って行けばいいんです」
最初は横についていましょうか、と声をかけてくる省吾を制止し、正は一人で壁と向き合った。
 
これでも学生時代は運動部に所属し、社会人になってからもそれなりに身体を鍛えていた。
年を取ったとは言え、女性や子供が軽々こなす壁に上るくらい、造作もない。
おそるおそる、1、と書いてある最初のホールドへ手をかけ、身体を引き上げる。
ふん、大したことないな。
気持ちが高まり、次のホールドへ手を延ばし、足をかけようとした瞬間。
ずるり、と身体が滑り、あっけなく落下事故防止のために引いてあるマットへ足がついた。
思った以上に身体のコントロールが出来なくなっていることに愕然とした。
むくむくと、定年後に忘れていた「負けず嫌い」の感覚が蘇ってくる。
くそう、絶対上ってやる———
正は鼻息荒く、再びホールドへ手をかけた。

 
(…よし、ゴールだ!)
最後のホールドを両手で掴み、鼻高々の気持ちとなる。
上ってきたルートをゆっくりと逆に下がり、ふうと一息ついていると
「ぐう……」とお腹がなった。
朝から黙々と壁を上り続け、気がつけば、とっくに昼食の時間となっていた。
「お水、飲んだ方がいいですよ」
す、と差し出された水を受け取ろうとして、差し出したのが省吾であることに気がつく。
「……君は、どうしてボルダリングを始めたんだ」
壁を上った達成感からか気持ちが大きくなり、思わず質問の声が出た。
ああ、と省吾は照れくさそうに笑った。
「僕、あんまり人と争うのが好きじゃなくて、いろんなこと途中で諦めてきたんですよね。でもボルダリングって、最後までがんばることの良さを教えてくれて。この感覚を世の中にもっと広めたくて、ここで働いてます」
「……ふん、情けない」
憎まれ口を叩きながら、正は省吾のことを少し見直していた。
目標を定め、どうやったら達成出来るか道筋を考え、ひたすら動き続ける。
ボルダリングの魅力は、どうやら自分がついこの間まで打ち込んでいた、仕事の魅力と同じだった。
なかなか、根性のあるやつなのかもしれない。
省吾の見方が、少し変わりそうだった。

 
それから正は、毎週ボルダリングジムへ通うようになった。
体幹を使うボルダリングは、正のようなシニアにも俄然楽しめるスポーツだった。
さらに、このスポーツは彼の気性にとても合っていた。
上っている途中で腕の力が抜け、落下するようにマットに着地することも確かにある。
上を目指すため、空中で左右の手足を入れ替え、身体をねじって進むこともしばしば。
それなりの高さで手足を離すことは、なかなかのスリルだ。
だが、そのスリルを乗り越えたときの達成感が心地よい。
手こずっていた壁がひょんなきっかけで上れるようになった時の興奮はひとしおだ。

 
(また、今回も失敗か……)
ずる、と下がる身体に悔しい気持ちを抱える。
ジムに通いだしてから数週間、正には何回トライしてもクリア出来ない課題があった。
アドバイスをしようとしてくれるプレイヤーやスタッフはたくさん居たが、負けず嫌いな性格が邪魔をして、どうしても素直に聞き入れることが出来ず。
今日こそは、と念入りにストレッチをしてから取り組んだが、あと一歩のところで不発に終わりそうだった。

 
「正さん、そこ、緑のホールドに左足かけて!で、手は斜め上のピンクです!」

 
背後から、聞き慣れた声が飛んできた。
少し切羽詰まったような、省吾の声だった。
正が何度もこの課題にトライするのを知っていて、思わず声が出たのだろう。
他の誰でもない、省吾のアドバイスに従うのは正直悔しかった。
しかし、ジムに通うようになり、省吾の真面目な働きぶりや、周囲からの信頼を何度も目の当たりにしてきた。

 
どんな客にも丁寧に接し、一度ジムを訪れた人間の顔は忘れない。
ジムが快適な状態になっているか常に意識し、空き時間には自分自身の鍛錬に励む。
人として、働く男として、立派な姿をたくさん見てきた。
そんな男のアドバイスは、きっと誰よりも的確だろう。
一瞬のためらいの後、省吾のアドバイスに従い、身体を動かす。
驚くほどすんなりと身体が持ち上がり、勢いをつけて一気に上へ上がる。
手が、最後のホールドへしっかりとかかった。

 
「よかったですね!」
ゴール後、無事にマットへ着地した正に、省吾が嬉しそうに笑みを浮かべながら近づいて来た。
 
まるで自分のことのかのように晴れやかな表情を見ると、自然と言葉が出た。
「……今日は打ち上げだ。君も飲みに来るか」
一瞬の間の後、省吾が顔を輝かせる。
二人で、いや理華もいれて三人で飲み交わす酒は、きっと旨い気がした。

 
※この物語は全てフィクションです。

 
 
 
 
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2019-05-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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