メディアグランプリ

エンディングノートを書くということ


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記事:綿貫晶子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「そんなの書く必要ないわよ、私のなんて3行で終わるんだから」
 
一人で暮らす母に、エンディングノートを書いてくれ、とお願いしたときの返事だ。
 
親にいざということがあったら……と考えるのは楽しいことではない。けれど大抵の場合、親の方が子より先に逝くことになる。誤解を恐れずに言えば、病気になって長患いをして……ならばまだましだ。双方覚悟ができるからだ。しかし、不慮の事故ということだって起こりうる。そんな時になにも準備をしていないと大変なことになる、と先輩から聞いたあと、母にお願いせずにはいられなかった。
 
その先輩は、事故で母親を亡くした。突然の出来事だった。母親がどれほどの資産を持っていたのか、日々の生活費はどの銀行口座から引き出していたのか、光熱費はどうやって払っていたのか、年金はいくらもらっていたのか、加入していた生命保険会社はどこか。さらに連絡すべき友人たちのリストはあるのか、親戚たちへの連絡はどうしたらいいのか……。近所に住んでいながら、自分の母親のそういったことがまるでわからなかったという。亡くなった人の銀行口座からお金をおろすのがどれほど大変なことかを聞いたのもその先輩からだ。
 
その先輩は、それでもなんとか母親の葬儀まで済ませた。そして一段落ついた頃に親戚たちに「エンディングノート」を配ったという。エンディングノートとは「もしもの時に役立つノート」で、自分に何かあったときに、残された人たちがスムースに事に当たれるようにするためのものだ。不動産や預貯金などの資産についてだけでなく、保険、年金、相続、お墓、葬儀、知人の連絡先など様々な情報を書き込めるようになっている。
 
親戚たちは最初「こんなものを書かせるなんて気分が悪い」と大層ご立腹だったようだ。「もしもの時」のことを考えるなんて、楽しくないに決まっている。しかし、母親を突然亡くした先輩が、その後の諸々の処理がどれほど大変だったかを丁寧に説いた結果、そのノートを受け取った大半の人が書いてくれたという。そればかりか「自分がどういう風に生きてきたのか、残りの人生をどう生きていくかを改めて考える機会になった」と感謝までされたという。
 
その先輩の話を聞いたのは、もう7年近く前のこと。すぐに自分の母にエンディングノートを書いて欲しい、とお願いしたときの返事が、冒頭のセリフだった。当時彼女は70代になったばかり。まだまだ「もしも」を実感できなかったのだろう。あるいは本当に、3行で終わる、と思っていたのかもしれない。
 
しかし70代も後半に差し掛かってきた頃から、彼女は彼女なりに仕舞いの準備を始めたように思う。
4年ほど前には、自分が持っていた宝石類を、私と妹に分け与えた。「死んだ後になって、あんた達に宝石箱覗かれながら『たいしたもん持ってなかったわね』って言われるのは癪だから今のうちに分けておくわ」と悪態をついていたけれど、本当は趣味ではじめた陶芸が面白くてたまらないようになっていて、土をこねるのに指輪なんてもうしないから、というのが理由だった。
 
そしてさらに3年ほどたった今年の春、「お金のこととか、家のこととか、伝えておきたいから二人で一緒に来て」と私と妹を呼びつけた。家の権利書はここ、保険関係の書類はここ、定期預金がこれだけ、現金はこの口座にこれだけ、クレジットカードの引き落としはこの口座、携帯電話や光熱費はこの口座からで……と、私たちを呼びつけた日の前日付けの情報を母なりにまとめていた。不足している点は、私と妹でインタビューしながら、私がエンディングノートに書きつけていった。
 
恐らく、今年になって大親友を亡くしたことがきっかけだろう。その人が亡くなったという連絡をもらう少し前、母は電話でその人と話をしていた。ついこの前電話で話したその人の突然の訃報は、母に色々なことを考えさせたらしい。4年前に指輪を分けてくれた時に、実はまだ私たちに渡さずに隠し持っていた指輪も、「もういよいよ、本当にしないから」とその時に出してきた。
 
これで母は、人生の仕舞いの準備を終えた。終えたらなんだかすっきりしたようで、これまでにも増して元気に陶芸教室に通い、作った器の写真をLINEで私や妹に送り付け、友人とランチに出かけ、夜中のテニスをテレビ観戦している。便利になり過ぎた世の中について、「もうあと3年で80になる自分にセルフレジで会計しろ、なんて無理に決まっている」と文句を言う。
 
「もしもの時」を考えてエンディングノートを記しておくことは、楽しいことではない。けれど、書いたら書いたで、気がラクになることは間違いない。残されることになる家族も安心する。いうなれば、究極の子ども孝行ではないだろうか。誰の人生だって「3行で終わる」なんてことはないのだ。
 
なんの根拠もないが、母の「もしもの時」はまだまだ先のような気がする。娘たち二人は、もしかしたら自分たちよりも長生きするかもしれない、と仕舞いの準備を終えてますます元気になった母を見て感じている。
 
 
 
 
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2019-05-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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