メディアグランプリ

大は小を兼ねない


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:芦野 雅代(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
「4000を超えている可能性もあります。すぐ入院できますか?」
私は驚きを隠せなかった。
 
「この状態を見ると難産になるのは間違いないので、計画分娩しましょう。」
それは、出産予定日の受診で突然、医師から告げられた。
 
赤ちゃんが大きくなり過ぎている。
特に頭。頭が大きくて、これ以上大きくなると下から産めなくなるかもしれないという。
 
40歳の初産で不安もあり、医師の言うことを聞く以外の選択肢が思いつかなかった。
 
言われるがまま入院し、計画分娩の準備が始まった。
陣痛促進剤を使ったが、なかなか陣痛が来ない。
陣痛促進剤が追加される時に、今日これで陣痛が来なければ、続きは明日になるという説明がされて、ドキドキしながら待っていたが、一向に陣痛は来なかった。
翌日も朝から陣痛促進剤。
やはり陣痛が来ないので、スマホで夫や姉とメッセージのやりとりをする。
「陣痛が来たらまた連絡するね!」と。
 
お昼近くなり、念のためLDR(陣痛・分娩・産後回復を行う部屋)に移る。
突然、激しい便意を感じ、トイレへ行くが何も出ない。
トイレから出るタイミングで、激しいめまいと吐き気を感じたその直後に、とんでもない腹痛が襲ってきた。
 
陣痛だ。
 
前日から、陣痛促進剤を投与し続けていた私を襲った陣痛は、あまりにも突発的で、雷に打たれたかのような衝撃だった。
 
その後4時間で家族の立会の元、無事出産となるわけだが、その間の記憶は途切れ途切れである。
 
そんな中、はっきりと記憶に残っているのは、出産直前。
 
「頭、見えましたよ」
「頭、大きいですねー」(スタッフ一同どよめく)
「あと2回、いきんでっ!」
 
バツン……
 
な、な、な、何の音だ?
 
それはまさに無感覚で、一瞬の出来事だった。
今の破裂音は、もしかして……
 
そう、それは話にだけは聞いていた、恐怖の会陰切開の音だった。
 
間もなく、無事に元気な赤ちゃん誕生。
 
母になった私は、おおよそ力尽きていた。
ホカホカの産まれたての赤ちゃんを胸に置かれた記憶があるが、その他は、やはりあまり覚えていない。
 
もはや、自分で産んだと言うより、出してもらった、という感覚に近い。
 
吸引の影響でピッコロ大魔王のような頭に変形したビッグベビーは、3744g。医師の予想よりは小さかったが、標準的なベビーよりは大きく、出生時の体重と頭囲は発育曲線からはみ出した。
 
出産後は、母は分娩台の上で回復を待つ。
勝手に切った会陰を勝手に縫っている医師が、何か話しかけたような気がするが、よく聞こえない。
 
意識が朦朧とする中、大事なアソコを切られたということだけは何となく理解できた。
この先、一体どうしてくれるんだ! 勝手に切って!
いや違う。
切っていただいたのだ。
 
あんなに大きな破裂音がしたはずなのに、なぜか痛みは感じなかった。
 
それはまるで、幽体離脱をして自分の肉体と意識が別々に存在していたかのようだった。
 
身体の一番デリケートで敏感であるはずの部分が、たまたまその日の分娩担当の医師だというオジサンによって、今まさにチクチクと縫われている。
夫がそばにいるというのに、医師のその行為に何の嫌悪感も恐怖も痛みも感じないなんて、幽体離脱でもしなければ到底耐えられる所業ではない。
出産とは恐るべし。
 
あの体験が幽体離脱だったのか、すでに意識が肉体に戻っていたか、それすら定かではないが、その後も自力で立つことも歩くこともできず、病室まで運ばれた。
いや、違う。
運んでいただいたのだ。
 
「皆さん、歩いてお部屋まで戻られてますよ」と、ナースが言っていた。
皆さんは、産後すぐに歩けるのかも知れないが、他人のことは私には関係がない。
 
完全に意識が肉体に戻ってからは、マサカリで恥骨を縦に割られたような激しい痛みと、しびれが襲ってきた。
そして、全く身体に力が入らなかった。
さらに、動こうという気力も残っていなかった。
 
しばらく病室で休んでいると、またさっきのナースが来た。
いや、違う。
心配して来てくださったのだ。
 
「トイレ、行けましたか?」
一人で立てないのに、トイレになど行けるはずもなく、下半身の感覚もなければ尿意もよくわからないことを伝えると、容赦なく尿道カテーテルが挿入された。
おかげさまで、トイレへ行くことから解放され、いわゆる寝たきり状態にしていただいたため、体力の回復に全力を注ぐことができた。
 
翌朝、別のスパルタンナースに立って歩くように強く言われたが、やっぱり無理なものは無理だった。
 
尿道カテーテルが外され、カニ歩きが少しできるようになったのは、出産翌々日の夕方だった。
 
他の出産経験者と比較する必要もないと思うが、私の産後は驚くほど回復が遅かった。
40歳の初産とはこういうものなのだろうか。
私の場合だけであろうか。
出産の感動も大きかったが、それと同じだけ体力や気力を消耗した。
 
「小さく産んで大きく育てましょう」
先人か偉人の言葉を思い出す。
思い出すのが遅かった。
お腹の中で、赤ちゃんが大きくなり過ぎたら、下から産むのがこれほどまでに辛いとは。
愚かな私は、身をもって知ったのだ。
出産に関しては、大は小を兼ねないのだということを。
 
あれから2年が経った。
不思議なことに、あれだけ辛かった産後の痛みはほとんど忘れた。
現在妊娠5か月後半。
今度は適度に運動し、大は小を兼ねないということを肝に銘じ、今度は無痛分娩を選択しようと決めたのである。
 
 
 
 
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2019-05-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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