親を亡くすのは信号機のない道路を走るようなもの
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:横尾美香(ライティング・ゼミ 平日コース)
私は昨年の8月に父親を見送りました。同居をしていたわけでもなく、家庭を持ち孫がいても不思議ではない年齢になっており20年近く前から心臓を患っていて80歳を超えた父親が亡くなることは特別なことではなくごく当たり前のことだと思っています。
心臓が悪く大量の薬を服用し年々しんどそうにしていた父でした。
今年はもつかな?お正月は迎えられるかな?そんなことを思いながら過ごしていた数年でした。昨年の7月に「薬の見直しをしたい」父がそう望み入院となりました。
そして父は帰っては来ませんでした。
高齢者特有とでも言うのでしょうか、入院と同時に体調を崩し薬を減らすどころか点滴だらけになり肺炎を起こして一ヶ月半で亡くなりました。
入院中父の「なんでこんなことになっちゃったんだろう?」その言葉に「そうだよね。なんでだろうね?」それしか答えることができずに仕事の合間に毎日母と面会に行きました。
長女の私はいつも父から頼りにされていて葬儀やその後の事務手続きは全てこなしました。
父から母に負担にならないようにと託されているようでした。
これまで以上に母に寄り添い実家に行く回数も増やし、一人で朝を迎える母が不憫で同じ市内にいながらも実家に泊まることが多くなりました。
父がいなくなりぽっかり心に穴が空いたようでした。以前にペットロスになったことがありますがその時とはまるで違います。ペットの場合は「守るべき対象がいなくなった喪失感」
父の場合は「照らしてくれる明かりが無くなった不安感」のようです。この年齢ですから親が恋しくて涙することはありませんが「親が亡くなるとこんなにダメージを負うものなのか」それほどの喪失感でした。
まるで信号機のない道路を走るようです。親の指示通りに生きてきたわけではありません。
それでも「進むべきか、止まるべきか」その選択を私は無意識に父の背中を見ながら生きてきたのかもしれません。
母親の存在と父親の存在は同じ親でも大きく異なります。母は太陽のように明るくポジティブな人です。父は料理人だったこともあり神経質で厳格な人でした。私の中では母とは友人のような関係で会っていても楽しくどちらかと言うと父は軽口がたたけない「先生」のような存在でした。心臓の病気もあり「じきに死んでしまう人」そんな風に見ていた私でしたが、いざ父がいなくなってしまうと「右も左もわからない」状態でした。こんないい年をしてこのザマはなんだ! と思うほど迷いました。
私の目の前にあったはずの信号機の明かりが切れてしまったようです。暗闇の中でも存在している信号機。その明かりが見えません。
父が亡くなってから父の部屋の整理も私の役目です。お洒落だったので大量の服と帽子。ありとあらゆる場所から出てくるメモ帳にお料理のレシピが書かれています。それらに触れるたびに父とおしゃべりをしているようです。その時間が楽しくて実家にいる時は父の部屋に入り浸っています。
そんな時間を過ごすうちに、信号機の明かりが少しづつ点滅を始めます。父が私の問いかけに答えてくれているように感じます。「ありがとう」「よくやってくれているね」
その声が聞こえるようです。そのたびに信号機の明かりが輝きを取り戻します。
成長し独立するまでは「親の存在」は子供の目の前に大きく立ちはだかります。独立すると自分の生活が一番で親の存在が薄くなるように感じます。
「いて当たり前」自分より年上の親なので自分より先にいなくなるのが当たり前なのです。
それなのに「いるのが当たり前」と、子供はいつまでも思ってしまうようです。
私にとって母は「太陽」です。いるだけで安心して温かい気持ちになれます。父はとっさに「信号機」と思いました。様々な場面で色を変えて「行っていいよ」「止まって」「注意しなさい」直接そんな会話をしたことはありませんが、父のことを思うとそんな存在だったようです。
子供を思う親の気持ちは永遠だと聞いたことがあります。これからも父は信号機となり私の行く末を見守り、指示を出してくれるのだと思っています。
昨年の「父の日」に私は父に「甚兵衛」を送りました。忙しくしていて手渡しではなく郵送で送りました。父から「いま一番欲しいものでした。ありがとう」のLINEが届きました。
それに袖を通すことなく父は旅立ちました。父の部屋にはハンガーにかけられた「甚兵衛」が寂しそうでした。
「いるのが当たり前」そう思っていて忙しいのを言い訳に同じ市内にいながら郵送で送りました。父の棺に「甚兵衛」をそっとかけました。「ごめんね、ちゃんと手渡しすれば良かった。そしたら目の前で袖を通してくれたかも」私の唯一の後悔です。
そんな私に父の信号機は青色を点滅させます。「ありがとね」
父の日を前に初投稿を父に捧げます。
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