メディアグランプリ

魔法が解けてペットボトルを捨てられなくなった日


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記事:長谷川高士(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
ペットボトルを捨てられなくなった。
何も考えることなく平気で捨てていたペットボトルを、ある日を境に、そのままゴミ箱へ入れるのをためらうようになった。
 
ゴミの分別についてことさら意識が高いわけではなく、どちらかというと正しく分別しない不良排出者の私。言い訳にならないが、不良が板に付いてしまったのには理由がある。会社での私は、ほぼゴミを分けない。
 
水道工事業を営む私の会社には、産業廃棄物の仮置き場がある。仕事で出たゴミの内、段ボールなど処理費が安くなるもの、金属など買い取ってもらえるもの以外は、もれなくその仮置き場へ行く。仮置き場が一杯になると、産廃業者に依頼して取りに来てもらう。「混載」といって危険物以外は何でもアリだ。
 
産廃業者のトラックを社内では”UFOキャッチャー”と呼んでいる。車体に付いた巨大なアームで、クレーンゲームさながらにゴミをつかみ、文字通り荷台に「混ぜ載せて」処理工場まで運んで行く。分別され、適正に処理されたことを後に届く「マニフェスト」と呼ばれる記録によって確認する。当社では、分別をお金で買っているわけだ。分別を人任せにするクセは、日常生活にも影響した。
 
家での私も、ほぼゴミを分けない。
私の住む共同住宅は、管理会社が依頼した処理業者によりゴミが収集される。大きな保管箱が敷地の一角にあり、定期的にそこへ収集車がやってくる。恥ずかしながらそれが何曜日なのかを私は知らない。箱があるからいつでも出せてしまう。ゴミの出し方のルールはあるのだが、常識を逸脱していない限り、そしてその保管箱に入っている──あるいは付近にある限り収集車は持っていってくれる。保管箱が常に清潔に保たれているので、そう理解している。ゴミも資源も、可燃も不燃も、構わずにその箱へ入れる。書いていて恥ずかしくなるほどの不良っぷりだ。
 
そんな私が、ペットボトルを捨てられなくなった。
私は、ペットボトルのその後を知ってしまったのだ。
 
ペットボトルのリサイクル工場、というものがある。工程の中に「包装フィルムとキャップを外す」という作業がある。ボトル本体、包装フィルム、キャップはそれぞれ異なる素材でできており、分別し、ボトル本体のみを使用することで再生の純度を上げる、のだそうだ。その手作業は過酷だった。ひたすらフィルムをむきキャップをひねる。むいてはひねる、の繰り返しで夏場のペットボトルゴミ最盛期には、腱鞘炎になる作業員も多い。
 
「自分のせいで知らない誰かを腱鞘炎にしたくない」
不良排出者の私を更生させたのは、たったこれだけのことだった。以来私は、ペットボトルをゴミとして捨てられなくなった。包装フィルムとキャップをきっちりと外し、リサイクルへ出したくて仕方なくなった。自分が排出するもののリサイクル率を上げることに夢中になり始めている。ついには「そもそもペットボトルを買うのを控えよう」とすら思い始めてきた。この劇的な変化を私にもたらしたもの。それは、見えていなかった先の世界を見たことだった。
 
トイレに生ゴミを流す人がいる。
そう聴いて驚く人も多いが、実在する。トイレのつまりは水道工事店への依頼の中でトップクラスに多いのだが、その原因──つまり「つまらせたもの」は多彩だ。ボールペン、芳香剤のフタ、未開封のタバコなどはまだわかる。誤って落としたであろう過失感が見て取れるからだ。わからないのは生理用品、下着、注射針、そして生ゴミだ。過失が発生する余地がない。パンツやネギはトイレに誤って落としはしない。
 
「便器には何か仕掛けがあって、便が処理されていると思っていた」そうだ。
生ゴミをトイレに流していた人の言葉である。便器にはそんな仕掛けはない。入って来た便は、便器を出て行くときも同じ便だ。故意にトイレに便や紙以外のものも流してしまう人たちは、見えざるトイレの先の世界を、自分にとって都合の悪いもの、嫌なものを消し去ってくれる魔法の世界だと思い込んでいる。ついこの間まで不良だった私は、自分のことを棚に上げ、彼らに出会っては専門家風情でため息をついていた。でも今は彼らを笑えない。とても笑うことなどできない。
 
トイレのその先は、最後には海や川へとつながっている。魔法はないが自然の力がある。私たちが出した便や汚した水は微生物によって自然に戻れるくらいまできれいになる。自然の力で処理できないものを流せば、その機能は破綻しかねない。生ゴミもパンツも微生物の手に余る。またそこには、機能を保つために日夜働く人が居る。災害などで下水道の機能が失われれば、流れてくる汚水を受け止めることはできない。繰り返すが魔法などない。そこで働く人たちの苦労と努力があるだけだ。「流さないで」と言われた時は、流してはいけない。
 
文明と技術の進歩は分業を生んだ。分業は、作業のみならず世界も分けた。そして私たち見えなくなった「先の世界」を都合良く空想する魔法を自らにかけることを覚えた。
 
先の世界の入口がゴミ保管箱でありトイレだ。
私の魔法を解いてくれたのは清掃作業員兼お笑い芸人だった。彼は「分別しろ」と言わず、ただ先の世界の現実を目の前に見せてくれた。妻が描くマンガという強力なツールを使って。水道屋兼啓発家である私は、どんなツールを使おうか。考えたらものすごくワクワクしてきた。
 
 
 
 
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2019-07-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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