令和の時代に幸せなのは?~アリとキリギリス~
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記事:永石美季詠(ライティング・ゼミ日曜コース)
「むか~しむか~し、あるところに、毎日せっせせっせと働く勤勉なアリと、毎日楽器を弾いたり歌ったりして遊んでばかりいるキリギリスがおりましたとさ」
私が小さいころ、寝る前に布団で色んな物語を話して聞かせてくれたのは、夜勤も当たり前の病院勤務だった母に代わって、いつも父だった。普段は真面目な父だが、お茶目なところもけっこうあって、話してくれる物語はいつも何かのパロディだった。いくつかの物語をローテーションで話して聞かせるのだが、毎回、初めてその話をするような調子で恭しく話し、話し終えると、さも「今日も面白かったでしょう」と言わんばかりの満足気な様子だった。そうやって、私の幼い心には、父のオリジナル哲学のようなものがいつの間にか浸透していったのかもしれない。
よく聞く童話のアリとキリギリスは、冬になって食べるものがなくなったキリギリスが、アリに何とか食糧を分けてもらい、今後は将来を考えて行動しようと改心するというものだ。しかし父版の物語の結末はこうである。
「アリは毎日こつこつと懸命に働いて食糧を蓄えましたが、その労働に終わりはなく、一生働き続けなかればなりませんでした。一方キリギリスは、毎日遊び回り、冬の間はアリの食糧を分けてもらって、一生楽しくすごしましたとさ。」
そして必ず、最後に私にこう聞いた。
「さぁ、あなたはアリとキリギリス、どっちがいいかな?」
先日、金融庁が出した報告書に関するニュースが、テレビやネットで話題になった。年金とは別に、2000万円の貯蓄を奨励するような内容であった。結局政府は報告書自体の受け取りを拒否したが、自分の老後がかかっている国民にとっては、もうなかったことにはできないだろう。年金制度をどこまで信じていいか、頼っていいのか、不安視していた多くの人は、自分の足元が思った通りかそれ以上に危ういと知ってしまったのだから。ついにこんな時代が来てしまった、裏切られた、というぼやきが、あちきちから聞こえているような気がする。
ただ、私はここでひとつの疑問を持った。この、「裏切られた」という感覚は、どこからやってくるのだろうか。小さい頃から、私が母や学校から教えられてきたことは、こうだ。
「こつこつ頑張っていれば、必ず報われる」
「だから今は、つべこべ言わず細かいことは考えずに私たちの言うことを聞きなさい」
すると自然と、十数年後の私の本音はこうなる。
「自分は、言われた通りに、誘惑に負けず、真面目にこつこつと、将来のためにがんばってきた。将来のために今を犠牲にし続けてきたのだから、自分の未来が明るいということは、誰かにきちんと、保障してもらわなければ困る」
ここで、父版「アリとキリギリス」の物語を思い出してほしい。真面目で従順な者は必ず報われる、という論理を、物語の初めから終わりまで一貫して通してもらわなければ、アリは損するだけ、キリギリスは得するだけなのだ。そんなの、だれも許したくない。でも、年金制度の危うさに対して国を糾弾するよりも先に、自分の人生哲学をちょっと疑ってみる、その方を私はおすすめしたいと思う。思考停止の状態で、自分の人生の舵を他人に渡していないかどうか。ちょっとだけ、考えてみてほしい。
私は18歳のとき、それまで周囲の言われるままに歩いてきてしまった自分に気づき、絶望した。でも、過ぎた時間はもう戻らない。その後は自分の人生の舵を取り戻すため、たくさんの時間とエネルギーを費やした。真面目に、こつこつ、自分で選択し続けた。嫌なことも苦しいことも、自分から向かっていく勢いだった。でもしばらくして、また気付いてしまった。これでは、終わらないラットレースだと。真面目なアリでいれば報われるはず、という論理に、もう一度はまってしまっていたのだった。
では、どうすればよいのか。そのモデルもまた、父版のキリギリスが教えてくれた。キリギリスは普段は遊びまわっていても、食糧がなくなればアリを頼ってしのぐことができた。つまり、真面目に働くアリからも窮地には助けてもらえるようなキリギリスは、おそらく、ただ遊んで暮らしていたわけではないのである。
遊んでいるように見えて、キリギリスは自分が得意な楽器の演奏でアリの疲れを癒し、励ましていたに違いない。しかも、遊んでいると見えるほどに自然に、楽しそうに。そして、助けが必要なときには素直に頼り、また得意なことで貢献する。アリは自分の習性に従って、こつこつとがんばり、ときにキリギリスに癒されながら、進んでいく。こんな循環社会ができれば、理想的ではないだろうか。
そういうわけで、私の方針は定まった。自分の好きなこと・得意なことを、自分の意志で選択し、世の中に貢献していくこと。そんなの甘いよ、というささやきが、どこからか聞こえてきそうだが、実はアリとキリギリスにはもう一つ、別の結末がある。アリから助けてもらえず飢え死にしそうなキリギリスが、アリにこう言うのだ。
「私は自分の人生を十分楽しんできたから、いま死んでも何一つ悔いはない。私の亡骸を、食糧にしてください」
この潔さにあこがれるのは、私だけではないと思う。自分の人生を保障できるのは、この世で唯一、自分だけなのだ。
将来への不安にあおられて、自分の特性や習性を抑圧し続けることは、地球規模で見てもまた、大損なのである。自分を認め、他人の多様性を認めて、エネルギーを交換し合う。そんな循環型社会の一員に、あなたもなってみませんか。
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