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レーシック離婚


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記事:芦野雅代(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「どうしたの? そのメガネ」
 
いつもオシャレなSさんが、ある日、ゴリゴリのメガネ姿で現れた。
何があったのか聞かずにはいられないほど、強烈な存在感を放つメガネ。
それは後に、私の人生を大きく変えることになる、運命のメガネだった。
 
私の長年のコンプレックスは、目の悪さ。
小学6年生からメガネをかけ、中学高校とどんどん視力が落ちていった。勉強しすぎたり、ゲームにはまった訳でもなかったが、なぜか視力が落ちた。
コンタクト歴も10年を過ぎた頃、私は運命を変える出会いをした。
 
大学時代の友人の地元の女友達である、Sさんとみんなで一緒にご飯を食べた。Sさんと私は出会って間もなく意気投合。趣味や仕事や恋の話で盛り上がり、それからも多くの時間を共有した。
 
そんなある日、Sさんが、誰もが二度見したくなるメガネをかけて登場したのだ。
冒頭の、運命のメガネだ。
 
近々Sさんは、「レーシック」という近視の矯正手術を受けるため、術前は一定期間コンタクトが着けられないのだという。
 
今から約15年前、当時はまだ聞き慣れぬ「レーシック」という言葉を、私は初めて知った。
 
「レーシック」とは角膜にレーザーを照射し、視力を回復させる手術であること。
人によっては2.0とかまで視力が回復する場合もあるし、もちろんリスクもある。
日帰り手術ではあるが、事前の検査がたくさんあって、その間はコンタクトが着けられないけど、長い目で見たら挑戦する価値が十分にあること。
当時我々が住んでいた町にはレーシックで有名な眼科医がいること。
かかる費用は30万円。
 
期待に満ち溢れた表情のSさんから語られるレーシックの話に、私は胸が高鳴るのを感じた。
何を隠そう、私も家でコンタクトを外せば、メガネ無しではいられず、寝起きは、のび太くんのように手でメガネを探す始末だった。
 
その手術、私も受けたい!
強く思った。
 
後に離婚したが、当時は一回目の結婚をしていて専業主婦だったため、経済的にも元夫の許可が必要だった。
私は元夫に、Sさんから聞いたレーシックについて話したが、手術そのものを否定され、反対された。
細かいことは覚えていないが、主な反対の理由は、「もし、失敗したらどうするんだ?」「成功しても10年後はどうなるんだ?」ということだった。
 
そう、目の手術に失敗したら、最悪、失明してしまうのだ。
 
確かに、失明というリスクは、慎重に検証しなければならない。
それに、レーシックがまだ一般的でない時代に、偏見もあったと思う。割と保守的で、安定志向の地方公務員である元夫を何とか説得することに全神経を集中させた。
リスクを十分に理解するためにも、直接眼科での検査と説明を受けた。
説明を直接聞いて、私の決意はさらに強固なものになった。
 
よし、決めた。
この病院で、この先生に手術してもらおう!
 
起こるかどうかわからないリスクに怯えてばかりいたら、何も前には進まない。
 
なんだってそうだ。
バイクで転んだら死んじゃうかもしれないから、彼氏のバイクの後部座席には乗らない! というのは、自己判断で構わない。それが後に破局を招くことになろうとも。
だが、交通事故を起こすのが怖いから車の運転はしない、ということでは社会生活が成り立たない。
交通事故のリスクを検証したうえで、安全運転に努めることが大切なのであり、その先に、利便性や生活性の向上があるのだ。
 
今回も最悪、失明するかもしれないが、そのリスクを回避するための検査や術後フォローも充実しているならば、その名医を信じて、自己責任で判断するべき事案である。
 
その後、元夫を強引に説得し、バイト代を手術費用に充てた。
 
そして迎えた運命の手術。
事前説明の通りに執り行われ、結果は成功。
 
私は、0.04くらいの視力から、両目とも2.0になることができた。
その後の検査でも問題なく、日常生活には十分すぎるほどのクリアな視界を手に入れた。
裸眼だとピンボケでコンタクトだと昔のテレビくらいの画質だったポンコツモニターが、4Kになったみたいだった。
 
あれから15年。
今も変わらず視力は良好である。
 
術後に変わったのは、コンタクトレンズからの解放だけではない。
手術のわずか2年後に、元夫と離婚した。
 
私は、クリアな視界を手に入れた後、結婚生活において、見てはいけないものや見なくていいものまで、見てしまった。
至極プライベートなことなので、何を見てしまったかは墓場まで持って行くことにするが、世の中には、見ない方がいいことや知らない方がいいことも多々あることを知った。
 
ただし、知ってしまったからには、自己責任で判断すべき事案だったし、全てを知ったうえで、自分で判断したいという欲求が勝った。
だから私は、自分の意思で離婚した。
そこに微塵の後悔もない。
 
今でもあの時、レーシックを受けて本当に良かったと思う。
 
だが、人には勧めない。
非常に画期的で素晴らしい手術ではあるが、怖いのだ。
手術している風景が見える。
点眼麻酔で痛みはないが、執刀医の指先も機具も、見たくないのに、見えてしまう。
 
当時はレーシック難民という言葉もなかったけれど、少なからずリスクはあった。その部分も含めてリスクを十分検証し、自己責任において判断して欲しい。
 
 
 
 
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2019-07-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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