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四十過ぎのおっさんが大学生から学んだ親離れの極意


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記事:長谷川高士(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「もういいかげん、ほっといてくれ」
 
高校生の頃の私は、母の強すぎる干渉から逃れたい一心だった。都会に対するあこがれもあったが、東京の大学を受験したのは、ひとえに一人暮らしがしたかったからだ。現役で見事に第一志望への合格を果たし、私は自由になった──はずだった。
 
「もういいかげん、ほっといてくれ」
 
あれから二十六年たった今も、同じことを思っている。口から出かけた言葉を飲み込めず、そのままぶつけてしまうことすらある。今年で七十二歳になる母に対して。
私の母は見た目が若い。その分、気も若い。今日の行き先から夕飯の心配まで、四十過ぎの息子に対して、相変わらず事細かく干渉してくれる。
 
「いつになれば、子離れしてくれるのか」とため息をつく私に、もう一人の私がささやく。「親離れしてないのは、お前の方ではないか」と。親は子に思い通りになることを願い、子は親に認めてもらうことを望む。内容はどうであれ、互いに求め、望み合い、一歩も譲らない。そんな解決しがたい同じような状況を、防災の現場で目にする。
 
市民は公助に期待し、行政は市民に自助を求める。公助とは行政が行う防災行動であり、自助とは市民一人ひとりが自分のために行う防災行動のことを指す言葉だ。例えば、市民の多くのは「避難所は市役所の職員が運営するもの」だと思い込んでいる。かたや行政は「避難者自身で避難所を運営して欲しい」と考えている。限られた市役所の職員だけで避難所の運営をするのには無理がある。市役所の職員だって被災者なのだ。市民の思い込みも強く、両者は一歩も譲らない。そんな話を各地の自治体職員から聴く中で、耳を疑うような話があった。
 
「謎の使命感でした」
二年前に大学を卒業した男性は、私にそう教えてくれた。彼は通っていた大学で大きな地震に遭った。その大学は市によってあらかじめ決められていたいわゆる「正式な避難所」ではなかったが、震度六強の激しい揺れとそれに続く終わりのない余震に恐怖した近隣の住民の多くが安心を求めて学内に避難してきた。
 
「大きな揺れの直後、避難するために歩いて大学に向かいました」と彼。
学内に着くと、一部の学生が、届けられたアルミブランケットや水などの物資を避難してきた住民に配っていた。彼もすぐにその活動に参加した。水を受け取った一組の夫婦が言った言葉が彼の火をつける。「水をもらってもトイレが心配で、飲めない」
 
彼は思った。この人たちはトイレの場所が分からずに困っている。ここは僕たちの大学。僕たちがやらなくて誰がやるんだ、と。
 
その夫婦をトイレに案内すると、彼は即座にSNSでまわりの学生に呼び掛けた。「トイレの場所が分からず、トイレを我慢している人がいるかもしれません。僕ら学生から声をかけてあげよう」
 
こうして彼はトイレリーダーとして三日間の避難所運営の中核を担うことになる。断水の中、プールの水を運び、つまってしまった便器に手をつっこんで掃除するなど、他の多くの学生と同じく、無我夢中で避難所となった大学が避難者にとってできる限りよい場所であることに力を尽くした。彼ら、彼女らの多くは、最初からその役割を与えられていたものは、ほとんどいなかった。自分たちを動かしたもの。それを彼は「謎の使命感」と呼んだ。
 
学生達の奮闘を見守り、必要に応じて全力で支援した先生の一人は、それを「所有感」と表現し、私に教えてくれた。「僕らの大学だから」という感覚なのだと。
 
ボランティアとして避難所の運営にあたった学生は、その場にいた者の「一、二割程度」だそうだ。残りの八割以上は避難者であることを選んだ。それが正しいとか間違っているということではなく、少なくとも一割の学生は、自ら支援者になることを選んだのだ。
 
子離れや親離れというのは、今までの役割を手放すことなのだと思った。親は、これまでの親としての役割を手放す。子は、これまでの子として役割を手放す。
 
今までの役割というのは大抵の場合、心地良い。心地良いから今までその役割をやり続けている。だから、手放すときは痛みを伴い、恐怖を伴う。そして私たちは、ついつい手放そうとするその手にグッと力を込めてしまう。手放すには、その痛みや恐怖を乗り越えるだけの勇気とエネルギーが必要なのだ。
 
避難者であることは心地良い。でも彼ら、彼女ら学生は、その心地良さを手放し、自ら支援者になるべく役割を変化させた。僕たちの大学だから、大好きな大学だから、大切な大学だから……。愛着と誇りが彼らを内側から動かした。
 
母の干渉から逃れたいと言いつつ、子という役割の居心地の良さに甘え、それを手放し切れないでいるのは私だった。親に甘える子、親が何かを施す対象としての子。そんな子としての役割を手放した先に、本当の意味での親に対する感謝があるのかもしれないと思った。
 
防災も人生も、当事者自らが自分の役割を変化させることが、行き詰まった状況を解決してくれる鍵となる。そして役割の変化をもたらすものは、勇気と誇りと大切な人を思う愛である。
 
 
 
 
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2019-07-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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