メディアグランプリ

芝居の魅力は、白いご飯のようなもの

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:小川智子(ライティング・ゼミ特講)
 
 
「お芝居の魅力とは、あなたが他の誰かの人生を生きられるということにあるのでしょう」
中学二年の私は小論文の課題を返され、最後のページにあった先生の赤ペンに首をかしげていた。
確かにわかる。
愛読していたガラスの仮面で北島マヤも月影先生に言われていたっけ。何の取り柄もないあなたでも、舞台の上では千の仮面を持つことができる……
でも、私の中に言葉にならない違和感が残っていた。
 
それは受験のための小論文の練習で、テーマは「部活について」だった。
本当なら「成長」とか「仲間の輪」など、中学生らしい先生受けする書き方はあったのだろうけど、演劇部にいた私は「演じるということ」に絞って辿々しく書いてみたのだった。
 
その頃の私は自信のない子どもで、クラスにいても空気位にしか思われていなかったように思う。家にいても居場所がなく、出来の良い兄弟といつも比べられていた。自己主張も極力しない。どうせ否定されるのがオチだ。
仲の良い友達は数人いたけれど、それ以上誰かに自分のことをわかってもらいたいとは思わなかった。自分と人との間に、いつも冷ややかな境界線を引いて混じろうとはしない。私はそれでいいと思っていた。でも、あの頃はたぶん寂しかったのだと思う。
 
放課後の部活だけが唯一深呼吸できる時間だった。
セリフを読む。言葉のひとつひとつを読み解いていく。パズルのピースを埋めていくように少しづつ人物像が出来上がる。舞台の上で、その人物が動き語る時に自分の存在を忘れられる。それが嬉しくて次々と役を演じた。自分以外の人物になれるのは別の窓が開いたような感覚がして確かに楽しい。けれど、楽しさはすぐに溶けてなくなり、役が終わるととたんにつまらなくなってしまうのだ。否定的な自分を忘れるために役を演じる……こんなことを繰り返しているうちに、私は自分というものが段々わからなくなってしまった。
芝居をするのはとても楽しかったのだが、これ以上続けると「自分」が手の届かない遠くに行ってしまいそうな気がして、しばらく演じることを遠ざけてしまった。
 
あれから30年以上が過ぎた。
その間に、就職し結婚し子育ての時間を過ごした。毎日更新で様々な出来事がやってきては、笑ったり泣いたり現実の生活をあたふたと生きた。寂しい自分を見つめたり、否定的に考えている時間はずっと少なくなった。
家族の世話に翻弄され「私は何をしているのか?」と考え込む日も確かにあった。でも、頼りなかった私は圧倒的に逞しくなった。何が起きてもとりあえず楽しめる。
そう、生きる経験値が上がったのだ。
毎日家族としっかりご飯を食べ、眠る。職場でも気にせずに人と関われるようになった。
 
大人になってまた芝居をやりたいと思ったのは、つい最近だ。
昨年から劇団のワークショップに参加し始めた。不定期開催で、メンバーは老若男女いつも違う顔触れだ。毎回テーマが決められていて、発声・自己アピール・朗読等の基礎や技術的なことを指導してもらえる。
久しぶりに感じたのは、背中のゾクゾクと胸元のワクワクする感覚だった。
発表の時、舞台に上がってもさほど緊張しない。どんなふうに演じようか、そればかり考えている。
ずっと封印してきたけれど、やっぱり好きだったんだね。自分にそう言ってみた。一瞬ではあったが、体の中がホカホカとあたたかくなった。
 
そして、もう1つ別な発見もあった。
 
あの頃の私は「どんなふうに演じたら自分がトンガって見えるか」ばかりを気にしていたような気がする。自分以外の者になりたくて、わざと振り切って演じたり、刺激的な演じ方を追い求めていた。
 
でも、歳をとった今の私は他のことを見つめ始めている。
自己紹介で「自分に自信がないから参加しました」という若者がとても多い。
その言葉を聞くと、あの頃の自分を思い出す。
「この人はどんなふうに演じたいのだろう」「この人に自信を持ってもらうには」
一緒に参加するうち、自然にそう考えるようになった。
素人の私が考えるようなことではないかもしれない。でも、サポートにまわる演技をしていくと、相手が活き活きとしてくるのがわかり、互いの境界線が薄くなる。幾重にも重なる殻のようなものがなくなっていく。そして演技に現実味が増すような気がするのだ。
 
この間参加した時の帰り、解散になったあとでのこと。
「今度は、いつ出られますか?」
「どこかの劇団にいらっしゃるんですか?」と、2人の参加者に声をかけられた。
(あなたと一緒にまたやりたいです)と言われているのかと思ったらしみじみと嬉しさが込み上げて、不覚にも涙が出そうになった。
その日は主役の若者の脇で、私はひたすら「犬」を演じた。彼女がとても恥ずかしそうにしていたので、私は全力で犬になり、彼女に絡み、舞台上をリアルにしようとした。その演技がとても楽しかったらしい。
私に足りなかったもの、本当に欲しかったものはこれだったのだ。他者になりきることも楽しいが、やはりそれだけではなかった。封印していた時間が、私に思わぬプレゼントを持ってやってきた瞬間だった。
 
それは、「分かち合うことから生まれるもの」。
 
あの頃は余裕がなく自分ばかりを見つめていた。生きた経験や寄り添う力が足し算されたからこそ、「他者を演じること」が思いもかけず「自分らしさ」を掘り起こし、私に見せてくれたのだと思った。
 
やっぱり芝居が好きだ。毎日でもやっていたい。私にとって芝居は白いご飯のようなもの。1日3回毎日食べても飽きない白いご飯。当たり前にあって、昔も今も変わらず側にある。口に入れれば、温かく幸せな気分に包まれる。それが嬉しくて、とてもありがたい。
そして、できることならどんなオカズも引き立てられるご飯のようになれたらいいなと思う。オカズと一緒にいることで、私の中の「自分」が知らないうちに引き出されてくる。薄味の私に存在感が生まれる。そんなことに気づけたからだ。
 
自分の輪郭がモヤモヤしている皆さん、
芝居をやってみませんか?
 
 
 
 
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2019-07-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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