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勝負の分かれ目


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記事:益田和則(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
遠い昔、私は、プロボクシングの4回戦ボーイだった。
あの夏の日、私は、その後の人生の支えとなる、大切なことを学んだ。
今でもあの日のことを、鮮烈に覚えている。
 
……
 
「やばい 足にきた!」
 
試合は、まだ始まっていない。
試合当日の朝である。目覚めた時、左足にしびれを感じた。立ち上がって足を動かしてみると、膝のあたりに鈍い痛みを感じるものの、左足全体に感覚がない。
 
背筋に、冷たいものが走った……。
 
過酷な減量のために、数日前より、自分の体が自分の体でないみたいに感じていた。体はカラカラに干からびており、体温の調整機能もまともに機能していない。真夏であるのに、夜になると手足に寒気を感じる。毛布にくるまりながら、「どうか、試合の日までもってくれ!」と、自分の体に向かって祈った。
 
そして、試合当日の朝、恐れていたことが起こった。とうとう、足にきてしまった。
ボクサーにとり、特に、私のように足を使って戦うアウトボクサーにとって、足が使えないことは致命的だ。足だけじゃない! 体全体が、戦う前に疲弊しきっている。こんな状態で、リングに立てるのか?
 
追い込まれた……。
不安と怖れが、じわじわと体を侵食していく。
 
振り返えれば、戦いはおよそ二か月前、試合が決まった時から始まっていた。
プロデビューしてから2戦をこなしていたが、いずれもジュニアフェザー級で戦った。今回の試合は、それより一つ軽いクラスのバンタム級での試合だ。いつもより、さらに2キロの減量が必要だ。脂肪、水分、いらないものをすべてそぎ落とした上での、さらなる2キロだ。自分との過酷な戦いになることは、目に見えていた。
 
試合の2週間前、練習後に計量したら、まだ2キロ強のオーバー。
ここまでは、練習で体重を落とせたが、ここからは、疲労をためないため、激しい練習ができない。したがって、食事と水分補給を、極端に制限することで落としていくしかない。
 
試合前日になった。
ここ数日、ほとんど食物を口に入れていない。軽く動いた後、体重を測ると、ほぼリミットまで落ちていた。それを見ていたベテラントレーナーが、「よく落とした。ついてこい!」と言って、ジムの隣にあるキッチンABCに連れて行ってくれた。
 
「ほら、食え! これだけ食ったら、明日の計量まで、何も口に入れるな!」
 
皿の上には、こぶし大ぐらいの千切りのキャベツが乗っていた。それだけだ。これ以上、細く切れないぐらいに細く切ったキャベツの一本一本の間に、水滴が光っている。少しずつ、味わいながらキャベツを口に含む。細く切ったキャベツの柔らかさとみずみずしさが、からだ中に広がっていく。キャベツをかみしめながら、ここまで漕ぎつけたことに対するある種の達成感と、皆さんの心遣いに感謝する気持ちを同時に味わった。
 
「もう少しだ。やり遂げなきゃ!」
 
そして、試合当日の朝を迎えた。
オフィシャルな計量のため、試合会場である後楽園ホールに向かった。。足に痛みを感じながら、会場を見上げながら一人つぶやいた。
 
「最初から倒しに行く。やらなければ、やられる。動けなくなる前に、倒す!」
 
自分に足りなかったのは、この覚悟だ。
私は、過去2試合、僅差の判定負けを喫していた。いずれも体調は万全であり、厳しい練習を通じて、リングに立つために必要な自信と力を身につけていた。しかし、効果的な一打を当てることができても、一気に攻めることをためらった。
「まだ、早い?」この一瞬のためらいが、勝機を逃していた。
 
なぜ、攻めきれない……。
 
大学生活とボクサーの二束のワラジを履く私には、逃げ道があった。
なにも手を抜いてるわけじゃない。人一倍、練習もした。力もつけた。しかし、ボクシングで食って行こうとする者と、背負っているものが違う。覚悟が違う。ボクシングを全うするということは、チャンピョンになるか、体を壊されて引退するか、いずれかの道を辿るということである。私には、体を壊されて、これから開花するはずの人生を台無しにしたくないという思いが、心の奥底にあった。その思いが、一歩、前に踏み出すことをためらわせていたのかもしれない。
 
夜になり、戦いの時が来た。
花道に立ち、リングを見据える。恐怖が闘志に変わる瞬間だ。真っ白な滑り止めのパウダーをリングシューズで踏みしめてから、ゆっくりとリングへ上る。やっとたどり着いたリングだ。スポットライトが発する強烈な光と熱気が体を刺す。そして、陶酔感に包まれる。
 
いつもの私なら、ここで、すべてが完結してしまう。
厳しい練習に耐え、そして、恐怖を闘争心に変えることができた。それだけで、十分であった。戦う相手は、敵ではなく、私と同じ努力をしてリングに上がってきた仲間に思えた。広い会場で、ただ一人の同志として映った。打ち合うことが歓喜そのものであった。たぶん私は、この陶酔感に浸るために、ボクシングを続けていたのかもしれない。
だから、勝てない。
 
しかし、今日は違う。
先にやらなければ、やられる。たぶん、体は、最後まで持たない。最初から行く。減量が、私を、強制的に逃げ場のないところへと追い込んだ。
 
ボクサーは、舞台に立つ役者と同じだ。
ケツまくんなきゃ、舞台に立てない。追い込まれ、逃げ道を絶たれ、開き直ってはじめて、自分の感性や闘争心が解き放なたれる。無意識のうちにかけていた安全弁を解放することで、秘めていた力が発揮できる。お客さんは、その瞬間を見に来るのだと思う。
 
ゴングが鳴った。
獲物を追う獣の目に変わっていた。
にらみ合いの後、右ジャブが、相手の顔面をとらえた。相手の顎が上がった。間髪おかず、無心でワンツー、ワンツーとパンチを繰り出す。そして、左ストレートが、相手の顔面をとらえた。左のこぶしに、コンクリートの壁をたたいた時のような、固くて重い感触があった。
 
1ラウンド、1分47秒。ノックアウト。
戦いは終わった。
……
当時の私は、田舎から出てきた世間知らずで、無為に青春を浪費する大学生だった。そんな自分が歯がゆかった。そんな時、通りがかりのジムで、黙々とサンドバックを打ち続ける若者に惹かれた。スポットライトを浴びたリングで、体全体で自分を表現するボクサーがまぶしかった。そして勇気を出してその世界に飛び込んだ。単調な練習が続く地味だが充実した日々。そして、リングでの一瞬の輝き。
 
誰が、田舎を出るとき、ボクサーになると思ったか。
人の人生なんてどうなるか、わからない。
それならば、自分の心に正直に向き合って、生きるしかないのではないか。
そして、どんな人にも、その人にとっての勝負の瞬間というものが訪れる。その瞬間に、自分のすべてをかけて挑むこと。それが、生きるということではないか……。
 
うまくいく時も、行かない時もあると思う。
 
だが、その先には、必ず、今までに見たことのない風景が、目の前に広がっていると、私は信ずる。
 
 
 
 
***
 
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2019-07-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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