ふるさと
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記事:海風 凪(ライティング・ゼミ日曜コース)
電車から降りると、心なしか塩のにおいがする。
海まで4分。海とはいっても貨物船が入る岸壁だけれど。
明治から昭和にかけて、北前戦で栄えた古い町。昭和50年代ごろまでは、工場の煙が盛んに出ていた町。漁港と海水浴場と、大型船が入る港が同居した不思議な海辺の町。
それが私のふるさと。
春。諏訪神社の春祭り。3日間ある祭りのうち、本祭りの日は小学校が半ドン(午後休み)になる。神社に屋台が立ち並び、どんど焼きを食べ、スマートボールで遊ぶ。綿菓子とカルメ焼きと、くじ引きに金魚すくい。
夜は屋台のアセチレンのガス灯が、オレンジの幻惑するような光で周囲を照らす。
春祭りは山車が出る。港町だから荒っぽい。夜は山車をぶつけあうが、昼は子供にも山車を引かせてくれる。曲がり角では「エッサーエッサ! エッサーエッサ!」の掛け声とともに山車を回転させて曲がっていく。この掛け声が好きだった。木遣り歌が体に染みついている。
夏。港まつり。舞鶴の港から海上自衛隊の巡視船がやってきて、希望者を乗せて湾を一巡。夜は櫓が建てられ盆踊り。「みなとまつり音頭」で踊る。数十年たった今も、そのフレーズをまだ覚えている。
秋。秋祭り。農村ではないから五穀豊穣を祝うわけではないが、冬に向けての楽しいひと時。
冬。雪の季節。今では温暖化で雪の降る日が少なくなったが、子供のころは雪のない正月が珍しかった。道路に融雪装置もついていなかった時代、道路の雪かきは大変だった。雪だるま、雪合戦、寒いけど、子供の遊びはそれなりに楽しい。
弥生3月、春の始まり。雪が緩み、そこここにできる水の流れ。春の柔らかい日差し。春を全身で感じる喜び。
18の時、大学進学のため故郷を離れた。
それから数十年。東京での暮らしのほうがもう長い。結婚して、現在の地に住居を構えた年月が、すでにふるさとでの年月を超えた。なのに、いまだに自分のふるさとが恋しい。
どこにいても目に入る立山連峰の山並みと、背景の青い空、広がる海、遠くにかすんで見える能登半島。青空に沸き立つ入道雲。沈む直前に、あたりをオレンジ染め上げて海に落ちていく夕日。そして始まる夜の闇と輝く星。
ずっと探していた。ふるさとを離れてからずっと。自分の生きていく場所を。
ふるさとに住んでいたとき、その生活が苦しかった。「〇〇の家の子供」という形容詞が付いて回る。今とは違って、比較的狭い世界の中で皆が暮らしていた時代、親の職業だとか、家の格だとか、噂話が大手を振っていたころ。比較的目立つ家と職業であった祖父を持つ私は、何かにつけ「〇〇の家の子供」といわれることが多かった。悪い意味ではなかったのだろうが、それが苦しかった。自分という人間の形容詞にいつもついて回るその呼称から離れたかった。大学に入り、地元を離れた時はうれしかった。そのしがらみから自由になれた気がした。
東京にはなじめなかった。華やかだけど、人が多すぎて。にぎやかすぎて。もともとが人とのコミュニケーションが得意でない私にとって、東京の大学生活はとても疲れるものだった。
夕暮が好きだった。あたりをオレンジに染めて、夜の闇へと移り変わっていく時間。ふっと何かに誘われてしまいそうな刻。都会の夕暮は慌ただしい。移り変わる時間の危うささえも、あわただしさに取り込まれてしまいそうだ。
それから探し始めた。自分が生きていく場所を。あちこち旅をし、自分にとって居心地のいい場所を探していた。どこかの地方都市。ほどほどの大きさで、自然もある海辺の町。
けれど、それはかなわなかった。理由は結婚。当時付き合っていたいまの夫と結婚した。そうなると自分の希望だけで済むところは決められない。結果として、今東京に住んでいる。家もある。子供たちにとっては、今の場所が生まれ育った土地になる。
しかし、子供たちにとっても、ここはふるさととは言えないようだ。単なる家のある場所。そうなったのは、多分に土地柄に関係しているように思う。この場所にはつながりがない。隣家がどういう人で、何をしているのか。顔すら知らない。隣家は地域とかかわりになることを、極端に避けている。また子供会や、町内の集まりといったものもない。自分の地域に誰が住んでいて、何をしているのか全く知らない。地域と住民、住民どうしのつながりがほぼないのだ。
家と学校、あるいは職場の往復。地域活動というものがない。
こうなってみてはじめて、ふるさとというのは土地と、地域と、人が作るものなのだと思い知る。あれほど嫌だったしがらみが、実はふるさとの核をなしていたのだと知る。
鮮やかな思い出は、すべて土地の風景と、行事と、人に結びついている。
子供にふるさとを与えてはやれなかった。それが大きな後悔。
これから巣立つ子供たちは、いつか自分のふるさとといえる土地を見つけられるだろうか。
自分が自分でいられる、心穏やかに暮らせる、そんな故郷を見つけてほしい。それが故郷を与えてやれなかった母の願い。
ふるさとは遠くにあって思うものでも、悲しくうたうものでもなく、ふるさとは心のよりどころで、いつでも帰れる暖かい場所なのだから。
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