メディアグランプリ

逃してはいけない、手紙を書くチャンス


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:井村ゆうこ(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「お母さん、今まで育ててくれてありがとう。こころから感謝しています」
 
結婚披露宴のクライマックス、新婦から両親への手紙の朗読が始まった。読み進めるにつれて、涙をこらえきれない花嫁。うつむきがちに、耳を傾けている母の目にも、涙がひかる。そして、思わずもらい泣きする新郎や親戚、友人たち……。
 
誰かが私の手を引っ張って、会場の裏へと連れていく。
 
「お前が泣いてどうするんだよ! まだ仕事は山ほどあるんだぞ。急いで顔洗ってこい!」
 
かれこれ20年以上前のことだ。当時大学生だった私は、サービス業の中でも時給の高かった、ホテルの披露宴会場で、配膳のアルバイトを始めた。豪華な披露宴会場の裏側は、まるで戦場だった。決められたタイムスケジュール通りに、フルコースの料理を順番に出し、各料理に合った飲み物をサーブ。お酒がすすむほどに、予測不可能な動きをとる人々の合間をぬって、空いた皿やグラスを下げていく。会場の裏とキッチンをつなぐ道では、進行が遅れているテーブル担当者へと、怒号が飛ぶ。大安吉日の、披露宴が立て込んでいる日に至っては、スケジュールがよりタイトとなり、嵐のような一日が、猛烈な勢いで過ぎ去っていく。
 
そんな、立ち止まることを許されない状況の中で、私は泣いてしまった。
いつもなら、手を動かすことに精一杯で、耳に入ってこない新婦の声が、この時は私の動きを止め、こころにしみ入り、涙腺を刺激した。
理由は明白だ。新婦の父親の姿は、花嫁の目の前にはなく、その代わりに、親族席のテーブルに置かれた小さな写真の中に、笑顔でおさまっていたのだ。
 
「お父さんが亡くなってから、いつも一生懸命働いてくれたお母さんに、たくさん苦労や迷惑をかけてきてしまいました……」
 
同じように、父が他界し、母に女手ひとつで育てられた私には、新婦の手紙がデジャヴュのように感じられたのだ。これから体験するはずの、未来のデジャヴュのように。ウエディングドレスに身を包み、泣きながら母に感謝の言葉を述べている自分の姿が、ありありと目に浮かんだ。
配膳スタッフの責任者によって、会場を追い出された私は、手紙の結びまで聞くことはできなかった。それでも、新婦の手紙の最後の一文まで、想像できる気がした。
 
それから10年後、私は結婚した。しかし、あの時のデジャヴュは、現実にならなかった。
私は、披露宴を挙げず、手紙も書かず、母に感謝の気持ちを伝えることができないまま、嫁いだ。
夫との結婚に反対だった母への気遣いで、いや、正確に言うと反発心で、披露宴を挙げなかったのだ。
口には出さなかったが、「お母さんがよろこんで、賛成してくれない結婚なんだから、披露宴なんてできっこない」と、子供じみたひねくれ根性を抱えたまま、新たな門出を迎えてしまったのだ。
結婚してから、もうすぐ13年。私は後悔している。
披露宴を挙げなかったことを。手紙を書かなかったことを。母に感謝の気持ちを伝えなかったことを。
 
「お父さん、やっと子どもが生まれたよ。女の子。それでね、やっとお母さんが、結婚を認めてくれたみたい」
 
結婚から7年目、娘が生まれた。娘を連れて、初めて実家に帰った際、父の位牌を前に、手を合わせて報告した。声を出さず、目をつむって父に語りかける時間は、娘の誕生を境に長くなっていった。
小さく、しわしわな体で生まれた娘が、病気ひとつせず、健康に成長していること。
社会復帰したが、保活に失敗して、仕事をやめたこと。
祖母が亡くなって、父が建てた家は売りに出され、新しい家族に引き渡されたこと。
 
目の前にはもういない父には、母に話せないことも、躊躇なく聞かせることができた。
義理の両親が、自分たちの住む家の近くに、息子家族を呼び寄せたがっていること。
会うたびに、年老いていく母が心配だが、自分の生活に精一杯で、何もできていないこと。
自分も親になって初めて、親のありがたみが、身に染みて分かったこと。
 
父には素直に、「ごめんね」も「ありがとう」も言えた。
母には、まだ「ごめんね」も「ありがとう」も言えていない。
 
結婚の時、披露宴を挙げなかった私は、母に自分の気持ちを伝える、絶好のチャンスを逃した。
披露宴のハイライトである「新婦から両親への手紙」は、披露宴というイベントを盛り上げるための演出ではない。普段の日常生活で「愛してるよ」と親子間で言い合う文化を持たない、我われ日本人に与えられた、貴重なチャンスなのだ。子から親へと、気持ちを伝えることができる、またとないチャンスなのだ。
もし、時間を巻き戻せるなら、披露宴をやらないと決めた日に戻って、そこからやり直したい。
 
だから、これから結婚をする若いカップルには、強く勧めたい。
べたな「披露宴」を挙げることを。会場はどこでもいい。ホテルでもウエディングハウスでも、レストランでも、自宅でも。ただ一点、新婦から両親への手紙だけは外さずに、入れて欲しい。新郎から両親への手紙もあれば最高だ。きっと、気持ちの良い、悔いの残らない、新たな人生のスタートを切ることができるだろう。
 
また今年も、お盆の季節がやってきた。
今回は実家に帰省しないので、母に会うことも、父の墓前に立つこともできない。
しかし、父には、こころの中だけで、語りかけることができる。
そして、母には、生きている母にだけは、まだ「直接」語りかけるチャンスが残されている。
もう、チャンスを逃してはならない。
 
母が送ってくれた桃を、夕食に食べた娘が、手紙を書いている。
「おばあちゃん、もも、おいしかったよ。ありがとう」
 
私も、ペンを執る。
「お母さん、いつもありがとう。こころから感謝しています」
 
 
 
 
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2019-08-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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