メディアグランプリ

リアルを超えた先にあるのは、枯れ尾花か


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:岸本苑子(ライティング・ゼミ夏休み集中コース)
 
 
「はぁ……最高だった……。本物だった……」
 
 
映画『ライオン・キング』を見た。
ご存知の方も多いと思うが、この映画は1994年ディズニー制作のアニメ映画『ライオン・キング』の、完全CG化だ。
すべてがCGで作られている映画は、世の中たくさんある。
なぜ今回の『ライオン・キング』が話題になっているかというと、これまであった「アニメを3Dにしました」というCG化ではなく、「完全にリアルな自然界を創り上げた」からだ。
 
 
見た目は実写、中身はCG。
人呼んで、“超実写”化。
久しぶりに見る、“超”という字の正しい用法だ。
 
 
スクリーンに映し出される、壮大なサバンナの風景に息をのんだ。
小さなシンバのやんちゃさが愛らしく、王者ムファサの堂々たる佇まいに震えた。
大地を駆ける動物たちは、昔テレビで見た「野生動物」の動きに何ら矛盾がないようだった。
にも関わらず、そこには「役者」としての演技があり、たいして表情筋が動かないはずなのに、葛藤や戸惑いや決意が、手に取るように伝わってきた。
 
 
ものすごいものを見た。
物語のよさは言うまでもない。
元のストーリーに手を加えずにやりきったのは、英断だ。
だから、見終わったあとに感じたのは、ひたすらに技術力への称賛だった。
 
 
技術は、実写を超えた。
 
 

実際には見たことも行ったこともないアフリカの大自然を、わたしは「本物だ」と感じた。
 
 
これまで、「実写映画」の背景や小道具として使われてきたCGが、一気に主役に躍り出た。
そんな映画だった。
 
 
同時に、こうも思った。
映画館でのあの感動は、本当に映画から生まれたものだろうか。
 
 
わたしは小学生のときに、アニメの『ライオン・キング』を見た。
 
 
とても夢中になって、ビデオ(!)を買ってもらって、何度も見た。
ほとんどの歌を、そらんじられるほどだった。
シンバと一緒にサバンナを冒険し、シンバと一緒に悪に立ち向かった。
サバンナの青空の美しさを感じていた。
 
 
そのころのワクワクを携えて、わたしは映画館に向かった。
かつて思い描いた風景が、目の前に広がっていた。
 
 
でも、と思う。
 
 

ムファサの瞳に、息子を思う愛情を見せたのは、映像だろうか、わたしの記憶だろうか。
王国を取り戻すために戦うシンバの顔に、後悔と葛藤をにじませたのは、演出だろうか。
 
 
それとも。
 
 
人というのは不思議なもので、自分の見ているものに、感情を上乗せしてしまうことがある。
たとえば、能で使われるお面は、正面から見るとぼんやりとした無表情だ。
しかし、楽しい場面ではわずかに上向き、悲しい場面ではわずかに下向きに構えることで、笑顔にも泣き顔にもなるという。
技巧の妙だが、それだけではない。
観客は、「ここは悲しい場面だ」とか、「これはさぞ嬉しいだろう」という状況を、舞台上のあらゆる情報から無意識に判断して、表情を補正して見ている。
 
 

あるいは、日を浴びて咲くひまわりが、「楽しそうに」見える。
雪景色のなかにぽつんと佇む駅舎が、「淋しそうに」見える。
 
 
「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」とは、よく言ったものだ。
 
 
わたしが見たのは、アニメ版の思い出が見せた、幻影なのだろうか。
 
 
物語に触れたときに湧き出る「感情」や「感動」は、どこから来るのだろう。
スクリーンに映し出される動物たちの演技をみながら、わたしは「リアルであること」と「人の想像力」に思いを馳せた。
わたしは原作の『ライオン・キング』を知っている。
“原作”がある以上、そのリメイクが、原作の影響を免れることはできない。
今回の超実写化は、アニメ版をカメラワークや場面の切り取り方まで、かなり忠実になぞっていたのだから、それが顕著だった。
正直なところ、わたしはアニメ版での感情を引きずって見ていたと思う。
ここで感動ポイントが来るぞ、ほら来た! 泣ける!! と思って見ていた。
 
 
だからといって、そういった思い出補正をはぎとったとして、そこにあるのが無意味な枯れ尾花だとは、思えないのだ。
 
 
CGだからと言って、無機質なわけでもないのだ。
アニメーターがアニメーションの絵を手書きで生み出していたように、CGはクリエイターがパソコンを駆使して生み出している。
世界をすべて創れるからには、そこには緻密な計算がある。
すべて計画された世界の中で、観客が感情をうまく乗せられるように、演出がされている。
 
 
人の想像力は、対象がシンプルであるほど活発になる。
アニメ版では、人間の表情を模して誇張した、目や眉の動きによる感情表現が、アニメならではの技法でキャラクターの心情を語る。
その一方で、観客の想像力は、雄大なサバンナの景色と野生の力強さを見ていた。
 
 

超実写版では、視覚的なリアルさが現実となった。
映画の一場面と実際の野生動物の映像を見せられたら、どちらが「本物の動物」か、分からないほどの精緻さ。
その代償として、より動物らしくなったかれらは、表情や仕草による表現力を、大幅に削られてしまった。
それを補うのは、観客の想像力だ。
 
 
『ライオン・キング』は日本で公開されてようやく1週間。
わたしのように、アニメ版の思い出を携えて見に行く人も多いだろう。
超実写版で、はじめて物語にふれる人も大勢いるだろう。
まっさらな状態でこの物語にふれる人が、どのような感情を読み取り、どのように感動するのか、あるいは感動しないのか、とても興味深い。
 
 
しばらくは、人の映画感想を読み漁ってみよう。

 
 
 
 
 

***

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2019-08-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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