メディアグランプリ

月の光を浴びて想ったこと


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:益田和則(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
人は、誰かを愛さないと生きていけない
そして、愛するがために苦しむ
それを失った時に……
 
この日、私にとって、「愛するということ」について考えさせられる日となった。
 
台風が去った後、青い空が広がり、うだるような暑い日が戻ってきた。
夕暮れになり、東村山市にあるハンセン病患者の療養所「全生園」を訪れた。樹木希林さん主演の映画、「あん」の舞台となった場所である。「明日の全生園を考える」という検討会に参加するためだ。
 
初めて訪れた全生園は緑に囲まれていた。しかしながら、都会の公園の軽やかな緑ではなく、まわりの世界から遮蔽することを意図して作られた、深くて重い緑であった。
 
私は、ハンセン病について、「あん」の映画、およびその原作を読んで興味を持つようになった。原作者のドリアン助川さんは、子供の頃、「フランダースの犬」を読んで、この世の不条理に怒り狂い、泣き叫んだそうである。(一応、私も「フランダースの犬」で泣いたひとりである……)。私が、彼に匹敵するほどの正義感を持っているかどうかは疑わしいが、常に「魂が打ち震えるようなこと」に出会いたいと願っている。私を突き動かす何かがここにあると、そんな予感が私を全生園へと導いた。
 
会場には、村山市在住の方々や、入所者の方など50名近くの方が参加していた。私の隣では、車いすに座った年配の女性が熱心にお話を聞いていた。この問題に真摯に向かい合っている姿勢が、そのまなざしから伝わってきた。
 
本日のプログラムは、NHKが取材したハンセン病についての特番のビデオ上映、続いて、全生園が誕生した頃の写真を見ながら、その当時の様子を説明頂いた。そのあと、全生園の今後の在り方についての話し合いがなされた。
 
まず、NHKのビデオの中で、他の療養所の入所者の姿が映し出された。80過ぎの男性が、療養所の窮状を訴えておられる。カメラが、病で指を失った手や、歪んだ口元を生々しく捉えている。その映像に圧倒されて、話されている内容がなかなか耳に入ってこない。
 
そして、この老人を見ていると、以前、ドキュメンタリーで見た映像が頭の中によみがえってきた。ハンセン病を患った若者が、家族や、友達など愛する人たちから、生木を裂く様に引き裂かれ、療養所に強制収容されてくる様子を捉えたものであったが、その光景がまざまざと蘇ってきた。愛する人達との決別、強いられた別れ。
 
彼らの苦しみや悲しみは、想像を絶するものであろう。
 
しかしながら、普通の人生を歩んできた私にも、生きている限り、苦しみや悲しみを背中にしょって生きている。そして、いずれ年老いて、醜く朽ち果てて生を閉じる。私にも、最愛の妻を亡くしたことをはじめ、幾度となく、愛する人との別れがあった。人それぞれ、人生の中で享受する喜怒哀楽の大きさは異なるだろう。しかし、人として生きる限り、その根っこにある本質的なものは、なんびとも変わらないような気がする。
 
私は、彼の中に自分を見ていた。
 
NHKビデオに続き、古い写真を用いての全生園の歴史を紹介いただいた。正直な話、昔の建物がどうだったか、どのように拡張していったかなど、私には、あまり興味が持てなかった。
 
そんな中、一枚の写真が、私を惹きつけた。
暗い想いに浸っている時に、一枚の写真が、暖かい月の光のように、私の心にぬくもりを与えてくれた。
 
平屋建ての木造家屋が写っている。憩いの場であるらしい。開け放たれた広間に、10人余りの女性が、輪になって座っている。みんな、浴衣のような着物を着ている。精一杯のおしゃれをしているのであろう。目の前には、お気に入りの湯飲み茶碗と、みんなで作ったであろう、おいしそうなお菓子が並んでいる。近視の私には、その表情まではよく見えなかったが、写真全体から、穏やかで楽しそうな雰囲気が伝わってくる。まるで、写真の中の女性たちが動きだし、おしゃべりの声が聞こえてきそうな、生き生きとした姿をとらえた写真だった。
 
私は、この写真を見るためにここに来たんだと感じた。
 
ハンセン病そして療養所について、今までに知りえたことは、つらく悲しい話が多かった。実際、この女性たちも、たいへんな苦難を背負って生きたはずだ。しかし、彼女たちは、ここで、お互いが理解できる真の仲間を見つけた。そして、彼女らの苦しんだ時間に比べれば、ほんの一瞬であったかもしれないが、確かに、楽しいひと時を持つことができたのだ。もし、彼女らが、生まれた土地にいたら、周囲の人だけでなく、家族からも敬遠され、もっと、悲しく孤独な生涯を送っていたかもしれない。語弊があるかもしれないが、強制的に収容され、非人道的な扱いを受けたことは決して看過すべきことではないが、この療養所があったからこそ、痛みを分かち合える真の友と巡り合えたことも確かではないか。
 
「どんな境遇においても、心の持ち様によっては、苦しみや悲しみの中から、喜びを見つけることができる」という事を、彼女らが証明してくれている。
それが生きるという事だ。
その想いが、私に勇気を与えてくれた。
 
小説「あん」によると、入居者の方が亡くなると、残された友人たちが、亡くなった人を想い苗木を一本植えるそうだ。
 
苗木を植えるのは、もちろん亡くなった人のためでもあるが、残された人たちのためだと思う。これから先も、生き続けなければならない人たちのためだと思う。
「私には、愛する友がいる。死んでも、私は、その人たちの心の中で生きていける」
という想いを持つことで、全生園での日々を、希望をもって生きて行くことができたのではないか。
 
全生園は、外の世界と隔てるために、冷たい鉄のカーテンのように、樹木で囲まれている。しかし、そんな敷地の中にも暖かい営みがあり、友への思いが込められた樹木が、着実に敷地内に根を下ろしてきたのだ。
 
ここには、喜怒哀楽、とても濃密な日常があったんだ。
安穏な日々を送る私は、「本当に生きていると言えるのだろうか」というような疑問さえ湧いてくるのであった。
そんな想いを抱きながら、全生園を後にした。
 
自転車に乗って帰る途中、踏切が開くのを待っている時、ふと空を見上げた。
澄み切った夜空に、まん丸で黄色いお月様が、ポツンと浮かんでいた。
月は、夜空に一人きり。孤独な存在だ。
しかし、何の見返りを求めることもなく、絶え間なく、穏やかで温かい光を降り注いでくれている。
 
しばらく見つめていると、胸に熱い想いがこみあげてきた。
生きるという事は、孤独だ。そして、人の心は、悲しいくらい、もろい。
 
私は、月を見上げながら、心の中でつぶやいた。
愛する人との別れはつらい。
しかし、愛する気持ちを失わない限り、その人は、心の中で生き続ける。
 
私が愛した人たちも、どこかでこの月を眺めていると思うと、心が穏やかになるような気がした。
 
踏切が、私を励ますように勢いよく開いた。
 
 
 
 

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2019-08-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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