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目標を持たない人生でいいじゃない


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記事:池田和秀(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
私は50年生きてきた中で、まともな就職活動をしたことがない。
といっても、仕事をしてこなかったわけではない。
 
大学を卒業した後は、13年間ひとつのところに勤めたし、訳あって退職した後も、インターバルの時期をはさみながら、何らかの仕事をしながらここまで人生を進んできた。
でも就職活動をした経験がない。
 
なのになぜ仕事に就けたのか。
 
それはひとことで言ってしまうと、人との縁だった。
 
大学生の時は、私は研究者になりたかった。だから大学院に行って、いずれはどこかの大学で研究職に就くのが目標だった。
ところが、結局その道には進まなかった。
どうしてかというと、別の道からのお誘いがあったからだ。
 
それは最終学年になった時のことだ。
大学で当時所属していた団体の先輩が、「こっちで働かないか」と声をかけてきたのだ。
研究職を目標にしていた私は、最初、持ちかけられた話に乗り気ではなかった。
けれど、何回か話のやり取りをしているうちに、研究したかった分野を実社会で経験できるとの誘い言葉に納得感を得はじめ、そのチャンスをつかむことにした。
採用にあたって、トップ面接などはあったが、世の学生たちがする就職活動をまったくしないまま、社会人となった。
 
この仕事は13年間続けたのちに辞めることになったのだが、その後の展開もやはり人との縁だった。
 
退職後の私は、すぐに次の仕事にはつかず、インターバルの時期を過ごしていた。
そうして以前から好きだった北欧フィンランドに旅行に出かけたのだが、この旅が、次の人生の展開につながる転機となった。
それは、フィンランドの音楽大学で学ぶ日本人留学生と知り合ったことだ。
この縁をつかんだことが、次の仕事につながっていった。
 
この日本人留学生と語り合う中で現地の教育方法のユニークさに興味を惹かれた私は、これを日本の人たちに紹介したら面白いと思うようになった。
 
そして、日本に戻ってきたあと、ライターとしての本格的な経験はなかったにもかかわらず、音楽雑誌の編集部に企画書を持ち込んだ。
すると編集者が興味を持ってくれ、交渉を重ねることもなく企画が一発採用となった。
ただし条件があった。「自費取材で行くならば」というものだ。
現地への渡航費や滞在費をはじめ、要する費用を考えれば大赤字にしかならない取材だったが、「このチャンスをつかむべし」と考えて、全額自腹で取材し、記事を書いた。
 
『小さな音楽教育大国・北欧フィンランド』のタイトルで掲載されたたこの記事は、私にいくつもの執筆依頼を呼び込んでくれた。
別媒体の編集者から声がかかったり、オーケストラ・コンサートのプログラム・パンフレットなどに原稿を書かせてもらったりすることができた。
 
1人の日本人留学生との縁をつかんだことが、ここまでの展開に広がったのだ。
 
その後の私は、ライター稼業での成功を目標に一直線に邁進して、とはならなかった。
いくつかのステップを経て小学生向けの文章表現教室の講師になった。
これも、自分から就職活動をしたわけではなく、人との縁が呼び込んだものだった。
 
フィンランドの音楽教育が、考える力と自ら学ぶ力を育てていることを知った私は、それが音楽教育だけのものか、それともフィンランドのすべての教育場面に共通するものなのかが知りたくなった。
そこからフィンランドの幼稚園や小学校などの現地取材を重ね、そこで得てきたことをワークショップで伝える活動を始めた。
対象は、教育のあり方に興味を持つ大人たちだった。
ちょうどその頃は、フィンランドが学力世界一の国として注目を集め始めたときだった。
私が企画したワークショップには、子どもを持つ親御さんや教育現場の方、社員教育に関わるビジネスマンなど、多くの方が参加してくれた。
 
ワークショップの開催を順調に重ねていた中で、ある時、参加者の一人が、私にこんな話を持ちかけてきた。
 
「今のワークショップは大人向けだけれど、子どもたちを相手にすることに興味はない?私の知り合いが責任者をしている文章表現教室が講師を募集しているのだけれど、よかったら紹介しますよ。あなたのワークショップと共通するコンセプトでやっているから合うんじゃないかな」
 
そして、私は、この縁を見送らず、つかんだ。
またもや就職活動をすることなく、この教室で働くことになった。
 
その後の私は、この教室の講師として今も小学生たちとの日々を過ごしている、とはならずに、さらなるいくつかの展開を経て、今は心療内科のカウンセラーとしての毎日を過ごしている。
 
実は、これも人との縁だった。
自分から「カウンセラーになろう」と思って就職活動をしたわけではなく、今のクリニックの責任者から「やりませんか」と声をかけてもらって、自分でも思いがけなくカウンセラーをすることになったのだ。
 
このときまで、自分ではカウンセラーをしようとは思っていなかったし、自分にできるとも思っていなかった。
 
だが、声がかかったということは、自分に次のステップへの入り口が訪れたんだ、と私はとらえた。そして声をかけてくれた相手は、私にできると思ってくれたから、声をかけてくれたはずだ、と考えた。
そして、カウンセラーの仕事をスタートした。
 
背景としては、かつてワークショップを主催していた時に、傾聴スキルを身につけたくて、カウンセラーの勉強をしていたことがあった。
さらに自分が家族関係で人生が行き詰ったときに、ある心理療法でその悩みを解消し、そのメソッドを深めたくてカウンセラー資格を得ていたことも、ここにつながった。
私がワークショップや子どもたちの教室で取り組んでいたことも、教えるのではなく、相手の中にあるものを引き出すことだったから、カウンセリング的アプローチともいえる。
そう考えると、これまで自分がこれまで経験してきたことが、すべて今につながっているように感じる。
 
人生の目標を定めて、それに向かって一本の道を進もうとするのも一つの人生のスタイルだろう。
私の場合は、そうではなかった。
人の縁を通して目の前に現れた機会が新しいステージとなり、人生が展開してきた。
 
だから、これから3年後、自分がどうなっているかは、わからない。
人生は、出会いによっていくらでも新しく展開していくのだから、今見えている目標にとらわれる必要はない。それだと自分の可能性を狭めてしまうことにもなる。ステージが上がれば、目標も新しいものになっていく。
だから、「この先どうなっていくかわからない」ことが楽しみだともいえる。
 
「自分探し」という言葉があったり、自分に向いている仕事がわからなくて悩んでいる人を見聞きしたりするけれど、そこで考え込むのではなく、「人との縁をつかむ」ことと、「まずはやってみる」ことの中で、自分が持っている可能性は開けていくのではないかと、ここまでの人生をたどってみて思っている。
 
 
 
 
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2019-08-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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