「枕カバー1つ分の居場所」がほしい
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:天草野 黒猫(ライティング・ゼミ平日コース
ある日のことだった。
「あ~この枕カバーも随分長くなったな……」
それは八月の晴れた日。
私は、青空に向かって洗ったばかりの枕カバーをパシッと振り伸ばして思った。
それもそのはず。この枕カバーは20年近く使っている。
ヨーロッパをバスハイクしていた頃に、使っていたものだ。それを、そのまま持ち帰ったのだ。大きめの花をあしらった模様もすっかり薄くなってきている。
若い頃、ワーキングホリデーでカナダに滞在した。そのあと、私は無謀にもバスハイクでヨーロッパを廻った。お伴は、3か月有効のバスパスとバックパック。
目的の街に到着して、格安のホテルを探す。
気の向くままに、行きたい国に行き自由に街をさまよう。
貧乏旅行なので、もちろん食べるものは削った。
その分そこでしか見れない、美術館や劇場を回る。
宿に着けば、同じような旅の仲間と声をかけあう。
「どこの国からきたの?」
「今日はどんな所をまわった?」
「あ! 私も明日そこにいく。一緒にいこうか。」
あっという間に、友達ができる。
同じようにバスハイクをしている旅人。
電車で自由に旅行をしている学生。
さまざまな場所から旅をしている若者達。
そして、意外にも海外ではリタイアした年配の人たちもリュックを片手に気軽に旅をしていた。初対面で歳は違っても、同じ旅をしているもの同士。話が弾む
見るもの全てが初めての場所。
歩き周ってくたくたになりつつも好奇心が先に立った。アドレナリンが出ていたのか、信じられない距離を歩きまわっていた。
世界中が大きな寝床だ!
そんな風に最初は思っていた。しかし、旅を続け、1ケくらいたった頃だったろうか。ふと、自分の足が地についていないような気持ちが湧いてきた。そう、まさに浮き草になったような、どこか流されているような気持ち。
こんなに楽しんでいるのに、なぜだ?
ユースホステルのドミトリーのベットの中で、考えていた。
形の見えない疑問とさみしさだった。
そんな思いはよそに、眠れば朝が来る。
夕べの疑問はすっかり何処へやら。
また街を歩きまわり、夕方には寝床を探す。
そのは日は先に宿を決めた。鍵をもらい、ドミトリーの部屋に入る。自分のベットを探し、持ち歩いていた専用の枕カバーでベッドを整えて外出した。近くのスーパーで軽く夕食の買い物をし、食事をしてユースホステルに戻る。
「あーただいまー」
知らず知らずに、自分の枕カバーに向かって私は心の中でつぶやいていた。枕に頭を沈め、ひと息つく。深く深呼吸すると、なんともいえない安堵感。
あ! その時、夕べの疑問の答えがみつかった。
そうだ、得体のしれないさみしさはこれだ。
世界が広すぎて自分の居場所が感じられなかったのだ。
初めての建物、初めての部屋、初めての寝床。枕カバー以外は、毎日が新しいものだらけだったのだ。
枕カバーだけが、毎日同じ私のもの。
私の居場所だった。
それからは、ベッドに帰ると毎日、枕カバーに「ただいま」を呟いた。思えば変な人である。しかし、不思議と心はやすらいだ。新しいことづくめの刺激の中で「枕カバー1つ分の居場所」を私は発見したのだ。
やがて3ケ月の旅も終わり、日本に帰国した。アパートの鍵をあけた時、さらに私は「居場所」の大切さを実感した。馴染みの私の部屋、自分のベッド。自分の枕。
ああ、帰れる場所があるのはなんて大切なことなんだ。
旅で経験した数々の新しい出来事や経験は素晴らしいものだった。
だけど、それとは少し違う、別の大きな発見。大切な収穫だった。
「ただいま」
「おかえり」
そんな言葉をかけあう家。安心して眠れる、自分専用の布団のありがたさ。馴染みの友達の笑顔と他愛ないおしゃべり。全てが今までよりも更に愛おしく感じた。
自由は心地よいけれど、どこか地に足がつかない。
そういえば、樹木希林さんが
「私みたいな人間は、何処へでも飛んで行っちゃう。夫はいい重しなんです」と言っていた。それに近い気がする。
浮き草のような人生の中で、家族だったり、仕事だったり。そういった重しのようなものは、きっと生きていく上で必要なのだ。そして、そこは居場所なのだ。「枕カバー1つ分の居場所」でも安堵感となり、帰るべき重しとなった。小さな居場所でも心地よかった。
世界にはこの「枕カバー1つ分の居場所」もない人もいる。一緒に旅した枕カバーを洗濯するたびに、居場所があることに感謝する。少し色あせた枕カバーは、あの時の気持ちを思い出させてくれるのだ。
そして、また私は旅にでる。新鮮な感動と、今ある居場所の大切さを再認識するために。
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