障害のある手が財産になった日
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記事:池田和秀(ライティング・ゼミ平日コース)
私は産まれたときから右手と右足に障害がある。
一見しただけではわからないので、友人や職場の同僚の中にも、障害があることに気づかず、ただの左利きの人だと思っている人がいるくらいだ。
そのくらいの重さの障害ではあるのだが、日常生活では、当たり前のことが当たり前にはできない。
右手は細かい指の動きができないため、パソコンのキーをたたくときも右手は人差し指の1本しか使えない。
握力も左手の半分以下で、爪切りを握りしめる力もないので、左手の爪を切るときは、膝立ちに座って、膝と右手の間に爪切りを挟んで使っていく。
手が完全には開ききらないため、握手も上手くできない。初対面の人に握手を求められたときに、断るわけにもいかないので、右手を差し出すと、私の手を握りしめた相手は、骨ばった感触に違和感を感じて、怪訝そうな顔をする。
障害の原因は、脳にあるらしい。
私はこの世に産み落とされた瞬間に、普通の赤ちゃんとは違って、「オギャ―」とは泣かなかったそうだ。そして取り上げた医師にバンパン叩かれてやっと声をあげたらしい。その間は呼吸が止まっていたわけだから、それで脳に影響が出たのかもしれない。
以前、脳ドックを受けたときに、古い梗塞の跡があると医師に言われたことがある。右手足に関わる脳の部分に不具合があるということだった。脳ドックの担当医は、「産まれたとき鳴き声をあげなかったことが原因かもしれないし、お母さんのお腹の中にいたときに何らかの異変があったのかもしれない。今となってはわからないけれど」と言っていた。
ほんの一部が小さく丸く抜けた自分の脳の映像を見ながら、「これが自分の原点か……」と思ったことを覚えている。
古い梗塞跡に自分の原点を感じたのは、小さいときから、そして大人になってからも、「この手が動いたら」と思い続けて生きてきたからだ。
特に、子どもの頃はこの右手のために、ずいぶんと悔しい思いをしてきた。
体育の授業では、鉄棒ができない、跳び箱も飛べない。
なのに授業では「できるようになるまで」といつまでも練習をさせられる。
どんどんと跳び箱の段が増えていく他の子たちの姿を横目に、飛び越せない跳び箱の上にしりもちをついていた。
球技も思うようにはできず、チームに加わるのが嫌だった。
音楽では、たて笛の穴が押さえられず、家で練習していてもテストの課題曲が吹けなくて、癇癪を起こして笛を壁に投げつけたこともあった。
中学から高校の頃は、友だちが次々とギターを始め、バンドをつくって盛り上がっている姿を見て、「自分も手が自由に動けば、ギターやピアノが弾けるのに」と淋しい思いをしていた。
楽器を弾けない悔しさは、大人になってからもずっと持ち続けてきた。
シオマネキというカニをご存じだろうか?
片方のはさみだけが大きく、もう一方のはさみは申し訳程度の存在でしかない生き物だ。
私が心の中で持ち続けてきたセルフイメージは、そんなアンバランスな手を持った、シオマネキそのものだった。
私にとって、動かない右手の存在は、人生の障害物であり重荷でしかなかった。
「この右手が動いたら人生は変わるのに」とずっと思い続けて生きてきた。
ところが、今から6年前、その思いから完全に解き放たれる日がやってきた。
それは、ある心理療法にもとづくセミナーを受講して、「思うように動かない右手」をテーマに、「このことが自分の人生にとってどんな意味があるのか」を掘り下げていったときのことだ。
じっくりと時間をかけて、そのことを探っていったときに、「この右手こそ自分のかけがえのない個性なのだ」という気づきが出てきたのだ。
「普通に動く右手だったら自分の人生は、まったく別の人生だったかもしれない。この右手で産まれてきたからこそ、自分にしか経験できない人生を歩んでこれたのだし、自分の持ち味も自分のよさも、全部この右手があったからこそなんだ」という思いが、心の深いところからわき上がってきたのだ。
それ以来、動かない右手を悔しいと思うことも、辛いと思うことも、この右手が動いたらなあと願うことも、まったくなくなった。
もし、「右手が動かない自分は不幸だ」と思い続けていれば、私は一生不幸を抱えながら、得られないものを求めながら、人生を終えていただろう。
このとき私がしたことは、人生と自分自身の存在を「もともと完全であり完璧だ」という前提において、動かない右手の意味を捉えるという作業だ。
自分にはマイナスにしか思えないような出来事でも、あえて「完全で完璧」であるという前提で捉えてみる。
そして、その出来事について、「これでよかった」と考えて、そのよかった理由を考えてみる。
このことに徹底して取り組んでいったときに、そのマイナスの出来事が自分の人生にもたらされた意味が、気づきとして出てくる。
自分の中では嫌でしかなかったことが、人生全体をとらえたときに意味あるものだったと解ったときに、得られたのは心の深いところからの自己肯定だった。
こうして、長年私の心を曇らせていた、思うように動かない自分の右手は、私のかけがえのない「財産」になったのだ。
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