メディアグランプリ

テレビを捨てると面白いことが起きる


 
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:東 みわこ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
「また、Mステの話題についていけなかった」。
これが毎週土曜日に呟く言葉だった。金曜日の音楽番組「ミュージックステーション」を見ていないからだ。小・中・高校と、まともに最後までリアルタイムに見られたことは少ない。ビデオ録画(当時はビデオテープである)しても意味がない。自分の好きなミュージシャンが出演していなくても、金曜日に見て土曜日「昨日のMステ見た?」と言えなければ、登下校の時間は孤独との戦いである。録画を見てようやく、次のMステ放送まで話題参加権を得られるが、そもそも好きでもないミュージシャンの放送回など早送りである。
そのうえ、夜遅くにビデオを再生するとうるさいとのことで、イヤホンでMステを見る。ヘッドフォンではないので、モヤシみたいなボソボソした音楽が耳に入ってくる。
 
Mステが見れない他に、トレンディドラマがリアルタイムで見れない、というのもあった。その時間帯は父のゴールデンタイムなのだ。NHKニュースと教育テレビをひたすら見る。私が頼むからMステ見せてくれと言っても、演歌&歌謡番組を見ろという。なので私は最新ミュージックランキングより演歌歌手の名曲のほうに詳しくなってしまった。
 
苦肉の策は新聞の番組欄を見て「ねえ! 昨日〇〇が歌ったんでしょ! どうだった?」と同級生にインタビューして絡むという始末である。
 
そんな過去があったせいで、大人になってからテレビを見るのをやめた。独り暮らしを始めたときは、テレビを買わなかった。パソコンでテレビ番組を見ることもできないし、新聞もとらないので本当に世の中でなにが流行っているか、分からなくなった。SNSで多少情報を知ることができるものの、自分から知ろうと思わないため分からなさは圧倒的だ。
 
あらためてテレビを見ることについて考えると、それは「他人の後頭部を眺める」ことによく似ていると思った。
 
通勤やお出かけで地下鉄や電車に乗る。あるいはショッピングモールやスーパーなどのエスカレーター。そういった場面で、私は目の前の他人の後頭部をつい見てしまう。
 
「けっこうハゲてるなあ」
「わあ、きれいな髪だ、シャンプーなに使ってるのかね」
「髪の量が多くて羨ましいわ、くせ毛じゃなきゃもっといいのに」
そんなことをつらつらと思ってしまう。
他人の後頭部という、自分に関係のない「どうでもいい情報」。それが、次から次に目の前に現れる。いちいち後頭部対して感想を考える私。
目に入ってしまうから、見てしまう。
見てしまうから、自分の価値観と規準で後頭部に感想を述べてしまう。
恐ろしく無駄な感覚だ。ヒマを持て余してぼんやりテレビを見ているときと同じ感覚である。
 
テレビの一番中毒性の高い部分って、「自分がなにか有益なことをした気にさせる」ところじゃないだろうか。
最新ニュースを手に入れる「私」。話題の俳優の演技を見てメディア臨場感を感じた気になる私。
 
自分は情報そのものと繋がっているんじゃなくてテレビと繋がっているだけなのだ。他人の後頭部同様、つい見てしまうがずっと眺めているものではないのだ。
 
それに気が付いたから、テレビを見る生活を捨てることができた。学生のときの私は生きづらかっただろうと思うけれど、今は情報を選んで見ることができる「YouTube」など、動画配信時代になった。他人と同じ情報を同時に取得して情報の先っぽを揃える必要はなくなった。
 
テレビを持たなくなって10年。自分の生活において「時間」というものに厚みがでて、自分自身に集中している時間が増えた。なにか、「時代に流されない自分」が見えてきた。デメリットはあるだろう、浦島太郎的に「そんなことも知らないの?」って言われることがあるかも知れない。
だがテレビを捨てると自分のクリエイティブな感度が面白いほど上がる。
情報が入ってこないので、自分から狩りにいかねばならない。
 
まずフリーペーパーや地域情報誌を手にとって読むようになる。毎日ポストに投函されるチラシ類も見るようになる。テレビを捨てたら、番組と番組の間に放送されているCMも見れなくなるから、広告というものを紙媒体に求める。そして自分の目で「確かめる」ようになる。ネットニュースやSNSも活用するが、それもまた「文字」情報が大半だ。信用度はテレビとさほど変わらず、低いと思っていい。その中で自分が知りたいことを追求していく。自分が今何を求め知りたいと思っているのかリアルに感じられる体感が、ちょっとずつ積み重なって、いつの間にか生活や仕事の仕方が変わってくるのだ。
 
昔のテレビはブラウン管だったため、テレビにも「後頭部」があった。大画面テレビは部屋の中で場所をとり、重くて値段も高かった。今はテレビに後頭部はないし、大画面でも高級な感じはなくなった。同様に垂れ流される情報も、進化している。くだらない情報はよりくだらなく演出され、ときに笑いを誘い一時は面白さで注目を得ると思う。笑いたいならそれは「今必要な情報」。そうでないなら「無駄な情報」。
だから私はテレビのない生活を選ぶ。
 
 
 
 
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2019-09-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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