メディアグランプリ

今も心に引っかかる言葉


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:西田千佳(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「あんたのこと信じてたんだけどな」
 
一番慕っていたお客さんの言葉に、私はひどく落ち込んだ。
言われて当然の裏切りをしていた。その言葉に止めを刺された。
でも、その言葉で私は成長できた。
 
大学を卒業して、私はOA機器の販売会社に営業で採用された。
「何か人の役に立つ仕事がしたい」その思いで選んだ仕事だった。
昔から人と話すことは好きだったが、かけ引きは苦手だった。そのため、初めての契約は同期の中で最後から2番目だった。
 
なかなか営業成績は伸びなかったが、顔つなぎできるお客さんは増えた。
その中に、ずっとその会社を贔屓にしてくれるお客さんがいた。一級建築士の男性で、年はちょうど私の父親くらいだった。娘さんは私と同い年だと聞いた。そのせいか、その男性には可愛がってもらえた。
 
週に一回、男性の事務所を訪ねていた。時間が空いたら顔を出していた。半分以上は私の時間潰しだった。
男性と世間話をすることで、他の客先でも仕事以外の話ができるようになった。だんだん客先を回るのが楽しくなっていた。
 
「初めてうちの事務所に来た時、この子営業でやっていけるの?と思ったよ」
男性の事務所の担当となって半年が過ぎた頃、そう言われた。「でも、近頃、優秀な先輩たちと同じ顔つきになってきたね」何となく、父親に褒められたような気がした。素直に嬉しかった。
 
男性からの紹介で、契約を取ったこともあった。男性との世間話の中で、私の本音が出ていたのかもしれない。私のことを心配して紹介してくれたのだろう。
お陰で社会人一年目はノルマを達成できた。
 
社会人二年目になり、その年の前半は、調子良く営業成績を伸ばすことができた。
男性に鍛えられた話術のお陰もあった。製品の紹介や購入するメリットなど、客先に合ったアプローチの仕方も身についていたように思う。偶然とタイミングが重なって、スムーズに売上げが伸びた。営業成績トップの同期と肩を並べられるくらいになった。
 
そんな中、主力製品の新型が発売されることが決まり、発表前に会社から旧型製品をさばくよう指示が出た。
 
既にノルマは達成していたが、同期と営業成績の上位を争っている最中だった。
「このチャンスを逃すな」直属の上司や先輩からはっぱをかけられた。営業である以上、一度はトップを取りたかった。
 
上司と、すぐに「落とせそうな」客先を見直すことになった。
上司が真っ先に挙げたのが、私が慕っていた男性の事務所だった。買い替え時期を迎えそうなOA機器があったからだ。
私は男性のところは後回しにしたかった。一番の味方である男性には、必要なものを必要な時期に、できれば新製品を勧めたかった。
 
でも、私は、手の届くところにある営業成績トップの座と、一年以上もの間親身になってくれた大切な客である男性を天秤にかけてしまった。
結局、私はトップを取ることを選んだ。
 
私は男性の事務所を訪ねた。男性は、私の訪ねてきた意図を汲んでくれた。期末であることとノルマや営業成績のことは、私が口に出さなくても理解してくれたようだった。
私は男性に旧型製品の提案をした。
その時使っていたものより使い勝手がよくなり、経費の大幅削減につながるとアプローチした。そして、見積額を出した。
男性は、あっさりOKしてくれた。「君からまだ何も買ってなかったからね」
 
ひどく心が痛くなった。
 
男性は、期末の締め切りに間に合うよう契約してくれた。
 
最終的に、その期の営業成績トップの座は取れなかった。だが、男性の契約によって、主力製品販売台数のトップになることができた。嬉しいはずなのに、私の心は晴れなかった。
 
その数か月後、新製品が発売された。
私が伝えなくても、男性は知っていた。同業者から話を聞いていたみたいだった。
 
いつものように男性の事務所に顔を出した。話が途切れた時、男性がボソッと言った。
「あんたのこと信じてたんだけどな」男性は寂しそうな顔をしていた。
「すみません!」私は頭を下げた。
「謝られると、余計悲しくなるな。でも、君の役に立てたんなら、それでいいじゃないか」男性は微笑んだ。私は何も言えなくなった。
 
男性の恩に報いるなら、私の都合を優先すべきではなかった。
男性は裏切られたと思ったはずだ。でも、それは口に出さなかった。
 
それから、男性の事務所に顔を出す回数は減っていった。
男性の寂しそうな顔を思い出すと、だんだん足が遠のいた。他の客先に行くのも辛くなっていた。
結局、その期のノルマは達成できなかった。
翌年、私はその男性の担当を外れた。
 
その時のもやもやを抱えたまま、私は会社を辞めた。
 
その後、私は別の仕事に就いた。だが、今も男性の言葉を思い出す。
当時は私の説明が足りず、男性を納得させないまま契約させていた。私の大きな反省点だ。
社会にもまれて、それぞれの立場を考えられる今なら、きちんと説明して、納得させて契約させることができると思う。今なら大切なお客さんの寂しい顔は見なくて済んだはずだ。
 
男性の言葉は、私を成長させてくれた。ずっと私の心に引っかかっていたからだ。
できるなら、もう一度会ってお礼が言いたい。そして、昔のように世間話をしたい。
 
 
 
 
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2019-09-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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