週刊READING LIFE vol.245

「小さくなってしまった二人へ。これからは私が守るからね」《週刊READING LIFE Vol.245 あの日、涙を流した理由》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/12/25/公開
記事:小城朝子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
師走の喧騒。中でもひときわ賑わう新宿駅の夕方の改札口で、私の瞳は潤んだ。
 
その日は、父の病院の付き添いの日だった。父は2年前に膀胱癌になり、それ以来、都内の大学病院に通院している。

 

 

 

2年前の夏のこと。父が1ヶ月後に癌の手術をすると、母から突然、聞かされた。既に、入院・手術の日程も決まっていた。
父は現在85歳だが癌になるまでは至って健康。小学校に入学してから高校を卒業するまでの12年間、学校を一日も休まずに皆勤賞だったことを自慢にしている。不真面目で学校をサボっていた私とは大違いの父である。
 
仕事も癌で入院する直前まで続けていた。
父は歯科医なのだが、病気で休んだことは1回だけ。我が父ながら尊敬する。しかし、趣味のゴルフの為に診療を休むことは、ままあったが……。80歳を過ぎても診療室に立ち、休みの日はゴルフに精を出す、なかなかのスーパーお爺ちゃんだ。
 
ただ、いくら元気とはいえ、眼もよく見えない、耳も聞こえないと言っている父に、口の中を診てもらう患者さんも勇気があるものだ。父が75歳を過ぎた頃から、母と私が引退を勧めても「今は入れ歯の調整がメインで、削ったり抜いたりはほとんどしていないから大丈夫。それに、患者さんも一緒に歳をとっているから大丈夫」と、全く説得力のない言い訳をしながら、現役を張っていた。
そんな父が癌になり、しかも1ヶ月後に手術と聞いた時は、驚くと同時に、遂にこういう時がきたかと、どこか諦めの気持ちもあった。
 
ただ、解せないことが一つあった。
父は前立腺の調子が悪く、8年前から地元、神奈川県の総合病院の泌尿器科で定期検診を受けていた。にも拘わらず、癌が発見された時は、腫瘍が7cmにも膨れ上がり、内視鏡では手術ができない状態まで癌が成長していたのだ。
 
ちなみに、一つの癌細胞が細胞分裂を繰り返して1cmの大きさになるまで10年から15年ぐらいかかるらしい。ところが、癌細胞は1cmになったとたん進行が突然早くなり、なんと1年から2年で倍の大きさの2cmになり、その後もスピードを増して大きくなり続ける。
しかも、一般的に1cm以下の癌の発見は難しいので、癌の早期発見の為にも、ある程度の年齢になったら定期的に検査を受けましょう、とドクター達は推奨しているのだ。
なので、本来なら父の癌は少なくとも2cmの状態で見つかったはずなのだが、8年間も泌尿器周囲の定期検診を受けながら、7cmになるまで放っておかれたとは由々しきことである。
父は癌になったことよりも、そこまで大きくなるまで癌を見つけてくれなかった病院に通い続けていた自分を嘆いていた。歯科医とはいえ、医療を学び従事し、それなりの情報やネットワークを持っている父としては忸怩たる思いで一杯だったのだろう。
 
しかし「父上様、何故でございますか?」という話があったのだ。
なんと、その病院では担当医がコロコロと変わり、8年の間で6人も主治医が変わったとのこと。確かに、大学病院では若手の先生は関連病院への出向や海外留学があるので、2、3年で担当医が変わることはある。しかし、そこまで大きくない地域に根付いた総合病院で、しょっちゅう担当医が変わることに何故、疑問を持たなかったのだろうか。
「いかがいたしましかた父上。医療に携わってあられるのに、何故、病院事情に頭がお回りにならなかったのでございますか?」と言ったところで後の祭りである。
 
私は、父が定期検査を受けていることは知っていたが、病状や病院の様子までは詳しく聞いていなかった。前立腺という場所が場所だけに、娘としては根掘り葉掘り聞くのが憚られた。しかし、このような事態になり、もっと詳しく病状や病院の話を聞いておけばよかったのに、通院に付き添っていれば事態は違っていたのに、と後悔した。
 
せめてもの罪滅ぼしではないが、すぐさまセカンドオピニオンを手配した。担当医が頻繁に変わり、しかも癌が大きくなるまで発見してもらえないような病院で手術をしてもらうわけにいかない。
幸いにも、直ぐに都内の大学病院で診てもらえることになった。
大学病院の教授は、その癌の大きさに驚き「このままでは手術は無理です」と一言。
癌が大きすぎるため、切除する際に周囲の動脈を傷つけ出血多量で大事になるという話だった。実は膀胱の周囲にはたくさんの動脈があり、手術は難しい部位らしい。
「まずは抗がん剤治療をして癌を小さくして、それから手術にしましょう」と教授はてきぱきと治療方針を説明してくれる。ありがたき、セカンドオピニオン。当初の病院では手術のリスクの説明もなく、即、切除という話だった。予定通りあの病院で手術をしていたら……と考えるだけで恐ろしい。
 
その日から父の闘病生活はスタートした。
入院の前に数々の検査がある。時はコロナの真っ最中。感染のリスクがあるなか、検査の為に2時間近くかけ電車を乗り継ぎ都心まで出てこなければならない。検査も痛みを伴うものが多く、80代の身体には負担が大きすぎる。母と私は「これから通院・検査で大変だけど、一緒に頑張りましょう」と声を掛ける。
父は「検査が辛いのは当たりまえだ。大体のことは想像がつく。とにかく、良くなるためには何でもする」と頼もしい一言。
さすが、医療関係者、治療に前向きだ。
 
「だけどな……やはり辛いな」
 
父が顔を曇らせる。この歳になっての突然の大病。頭の中では分かっていても、中々気持ちがついていかないのだろう。
自分にも家族にも、そして患者さんにまで厳しい父。なんで父はいつも不機嫌で怖いのだろう、なぜ母は父と結婚したのだろうと疑問に感じるぐらい、なかなかストロングな父である。
しかし、弱音や愚痴は聞いたことはなかった。九州から出てきて、全くのゼロから開業して50年近く一線で治療をしていた。そんな父が初めて愚痴をこぼした。
 
「やっぱり辛いな。お酒を飲めないのは……」
 
そこか!!
母と顔を見合わせ、呆れながら大笑いした。父は大のお酒好き。365日いや、400日ぐらいお酒を飲んでいる。今日は休肝日といっても口だけだ。最初の10分は黙々と食事をするが、結局「ビールを持ってこい」となる。
そんな父にとってお酒が飲めない日々が続くのは苦行以外の何物でもない。
検査や診察の度に「やはりお酒はダメなのでしょうか」と先生方に聞く始末。「良くなれば飲めるようになるから」と、傍で母と私は父をなだめ、先生方に謝る……。そんな、お決まりの通院パターンが確立された。
 
そして父がお酒を止めてから2ヶ月が過ぎた。この間に、抗がん剤の治療をし、数々の検査をこなし、いよいよ入院・手術となった。
その頃の病院はコロナの厳戒態勢で、家族といえども、お見舞いはもちろん、手術の立ち合いもできない。電話で先生の連絡を待つしかない。
入院当日、最後の検査を終え、父を病室の手前まで見送った。
「入院中に『お酒が飲みたい』と看護師さんを困らせないでね。良くなったらお酒が飲めるようになるから頑張ってね」と父を励まし病院を後にした。
 
2日間に及ぶ大手術を経て、父は無事に一命を取り留めた。しかし、その後も癌が再発したり、感染症になったりと入退院を繰り返し、結局、1年のうちに5回も入院することになってしまった。その後も、毎月の通院が続く。当然、お酒は飲めない。
 
やがて、毎月だった通院が2か月に1回になり、癌の再発の危険も少なくなってきた頃だ。
 
「お酒、飲んでもいいですよ」教授の言葉だった。
 
すっかり耳が遠くなってしまった父は、「えっ?」と不思議そうな顔をする。
教授は、さらにゆっくり大きな声でもう一度言ってくれる。
 
「おさけ、のんでも、いいですよ」
 
一瞬の間をおいてから、父の顔がほころぶ。父が子供のように笑っている。いつも、しかめっ面で、私が子供の頃は、ただただ怖いだけだった父の顔。こんな、無邪気な父の笑顔を見るのは初めてだった。
 
父が禁酒をしてから、2年以上が経っていた。
 
その日の夕方、父と母を食事に誘った。
冷えたグラスに並々と注がれた生ビールがテーブルに並ぶ。
「禁酒解禁おめでとう!」と乾杯をする。
「久々なんだから一口ずつ、ゆっくり飲んでね」そんな母と私の言葉も聞こえない父は、グビグビとビールを飲み干す。
「やっぱりビールは最高だ」これまた、子供のような笑顔を向ける父。
「これからも美味しくお酒が飲めるように、元気でいましょうね」と、母は父の耳に顔を近づけて語りかける。元々、口数の少ない父は、そんな言葉も聞こえないふりをして、黙ってグラスに口を運び続けるだけだった。
 
久々の美酒を堪能し、父と母を新宿駅の改札まで送った。
コロナがひと段落した師走の新宿は凄まじい人混みだ。
改札口を通り抜けたとたん、二人の歩く速度は遅くなった。そうか……。私なりに、ゆっくり歩いていたつもりだったのだが、それでも二人にとっては速すぎたのかと、申し訳なさで一杯になる。周囲の人にぶつかりそうになる二人。それでも、私の方を振り向いて手を振る父と母。そして、二人は駅の構内をウロウロする。どうやらホームが分からないようだ。
 
そんな二人の姿が目に映っているにも拘わらず、私は改札の外で立ち尽くしたままだった。二人の傍に駆け寄りホームまで送らねば、慣れない人混みに揉まれている80代の両親を救けねば、と分かっているが足が動かない。
どんな時も常に親であった二人が、とても小さく見え、その小さくなった両親の姿が哀しかった。
 
動かない足の代わりに、私の瞳は動き出す。頬に冷たいものを感じた。
無事に乗るべき電車のホームに降りていく二人の姿が、水浸しの瞳の中に揺れながら見えた。
 
「今まで歩く速度が速くてごめんなさい。ホームまで見送らなくてごめんなさい」と心の中で呟いた。
と同時に、これからは私が両親を守る番なのだと、新たな覚悟が芽生えた。
 
さあ、これからはできる限り実家に行こう。父の大好きなお酒を持って。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
小城朝子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

神奈川県生まれ。部品加工会社の元経営者。
今年の3月、報道ステーションの特集で天狼院書店の存在を知り一目惚れ。恋心を貫き、6月からライティングゼミを受講し、10月よりライターズ倶楽部の講座を絶賛受講中。

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2023-12-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.245

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