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週刊READING LIFE vol.245

人生初のロストバゲージが引き起こしたこと《週刊READING LIFE Vol.245 あの日、涙を流した理由》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/12/25/公開
記事:うえひらまさ代(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ねえあれ、私たちのスーツケースじゃない?」
離陸前、機内の小さな窓からぼんやり外を眺めていた私は、気になる光景を目の当たりにした。
数百メートル離れたところにとまっていたどこかの国の旅客機に、私たちのによく似たスーツケースが積み込まれようとしていたのだ。
 
私は極度に目が悪いし、スーツケースが他人と被るなんてありがちだ。
でも私の、黒に本革でこげ茶のトリミングがされている、ちょっとおしゃれなスーツケースと、友人の、極彩色のカラフルボディに、色々な国のステッカーが貼ってある、目立つスーツケースがセットで運ばれていたら、ほぼ間違いなさそうな気がする。
私はこわごわ、隣に座る友人に窓の外を見てもらった。
 
「頼む、間違いであってくれ!」という私の願いはむなしく、友人はあっさりと無機質に、「ああ、私たちのだね」と答えた。
人生初のロストバゲージ決定の瞬間だ。
スペインから成田へ帰国するため、イギリスでトランジットした時のことである。

 

 

 

私たちが乗った飛行機は、その時ちょうど離陸の体勢に入るところだった。
乗務員、乗客、全ての人がシートベルトを締め、アナウンスも音楽も止まり、座席を正常な位置まで戻して離陸を待っている、とても静かな状態。
 
「どうする?」
私は友人に小さく声を掛ける。
できるなら搭乗機のフライトアテンダントに事情を説明し、他の便に乗せられてしまった私たちのスーツケースを回収して詰み直してもらいたい。
でもそれをするには、かなりハードルが高かった。
 
こんな離陸直前でフライトアテンドを呼びつけるのは相当の勇気が要ったし、私たちは2人とも英語は片言しか話せず、うまく説明できるか分からない。
しかも私たちのせいで飛行機が遅れたなんてことになったら、最悪、損害賠償とか請求されたりするのかも……。
どう考えても最悪の事態しか思い浮かばない。
 
友人と私は目を合わせ、同時にふう~と息をついた。
何も言葉は交わさなかったが、同じことを考えていたことは分かった。
「スーツケースは、日本で取り返す」
 
そのために私たちはまず、スーツケースが間違って積み込まれた飛行機の名前を控えた。
当時は携帯がなかったので、便を調べることはできなかったが、荷物が積み込まれていた時間から大体の離陸の時間を割り出し、これも併せて書き留めておく。
帰りの機内で私たちは、機内食と睡眠以外はずっと、日本に着いたらやるべき手続きを考えることに注力した。
 
ところが、ここで私はあるミスを犯していたことに気づいてしまったのだ。
家の鍵がスーツケースに入っている……。

 

 

 

成田に着いた私たちは、まず乗っていた飛行機の航空会社カウンターへ向かった。
スタッフに事情を話すと、手荷物事故報告書を書かされた。
もしこのまま出てこなかったらロストバゲージとしてスーツケースや中に入っていたもの、また見つかるまでにやむを得ず買い足した生活必需品などの補償がされる。
またはどこかで見つけてもらえて、後日手元に返ってくるのはディレイドバゲージといって、ロストと同じく、生活必需品などの補償はしてもらえる、というような説明を受けた。
 
次に私たちは、行きの成田空港で入っていた海外旅行保険の事故受付センターに連絡した。
今回の件について、どこまでが補償の対象で、こういうことは補償されない、など、より細かい補償内容を説明された。
 
飛行機に乗せられていたのはこの目で見ているから、あそこから紛失ということは考えにくい。
かなり長いフライトだったので既にヘロヘロで、一刻も早く家に帰って寝たいところだったが、スーツケースは絶対に手元に帰ってくるという、根拠のない自信で面倒な手続きを乗り切った。
しかし、実家住まいの友人とは違い、私は家に帰っても入れないのだ。
私は深いため息をついた。

 

 

 

最寄りの駅に着いた私は、ひとまず近所のファミリーレストランに入った。
平日の昼間だというのに混んでいて、近くの主婦のグループがネットワークビジネスの話で盛り上がっている。
私は思わず「ケッ!」と毒づいた。
家の近くまで来ているのに、家に入れない。
この怒りのような、失望のような気持ちをどこにぶつけたらいいのか。
この店は24時間営業だから、今日はここで時間をつぶせるかも知れないけど、じゃあ明日からは?
もしスーツケースが最悪ロストしていたら?
パフェとドリンクバーを頼んだけど、ぜんぜん味がしない。

 

 

 

私は疲れた頭をフル回転させた。
どうせ家に入れないんだから、ホテルに泊まるのは補償の範囲なんじゃない?
この際だから、家の近所のしょぼいビジネスホテルなんかじゃなくて、超高級ホテルに泊まったりして!
 
ちょっと夢見がちな発想もしてはみたものの、いや、でも、私の願いはただひとつ。
ただただ家に帰りたい!!
この時私は、うかつにもファミレスで涙ぐんでしまった。
 
ところがその時私は、家のすぐ近くに鍵屋さんがあったことを急に思い出したのだ。
「カギの救急110番」みたいな、フランチャイズっぽいお店だ。
私が今の家に引っ越してきてからずっとあるけど、人が入ったのを見たことがないくらいヒマそうなところだから腕前は未知だけど、頼んでみる価値はあるのでは?
 
成田空港で連絡していた海外旅行保険の事故受付センターに、私はもう一度電話した。
ホテルの宿泊は、一泊の金額の上限が決まっていて、○○円まで。
鍵を開けてもらうのも補償の範囲でまかなえる、とのこと。
それなら絶対、鍵開けてもらう!
私はすぐさまお会計を済ませ、意気揚々と近所の鍵屋に向かった。

 

 

 

その店はやはりヒマそうだった。
自動ドアを入ると呼び鈴が鳴る仕組みで、奥から店主が現れた。
黒ぶちメガネをかけてひげを生やした、優しそうなおじさんだった。
事情を話すと、鍵を開けられるかどうかはドアの形状にもよるから、一緒に見に行こうと言う。
私はおじさんを伴って自宅へ向かった。
 
我が家は築30年くらいで、塗装がところどころ剥がれた鉄の扉は、新聞受けが付いていて、たぶん牛乳瓶を配達できる仕様になっている形状になっていた。
見るなりおじさんは、「たぶん開けられる」と言う。
頼もしすぎて、恋愛感情が芽生えそうになる。
 
解錠の仕方はこうだ。
まず、ドアの魚眼レンズを取り外す。
レンズが付いていた穴から90度に曲がった太い針金を室内側に入れて、ドアのロックに引っかけ鍵を開けるのだ。
 
確かに魚眼レンズはドアに後付けするものだから構造的には外せると思うけど、見る限りレンズはドアにぴったりと埋め込まれていて、何かの道具で開けられる感じがしない。
加えて、針金がロックに引っ掛かるのか不安にもなる。
 
ところがおじさんは工具を使って、いとも簡単にレンズを外して見せたのだ。
おお、すごい!
解錠まであと一歩!!
 
その穴から針金を入れつつ、おじさんがロックはどちら側に倒すと開くのが聞いてきた。
たぶん針金をロックに引っ掛ける作業を話しながらしていて、ドアの内側からガチャン、ガチャンと音がする。
「自分が内側から開けるときは右に90度倒すから、こっちからだと左に倒れて開く感じになると思う」と答えた。
 
私は内側の構造を知っているから、「ああ、今は○○に引っかかった音だな」とか分かるし、作業を繰り返すうちに、だんだん引っ掛ける精度が上がっているのも分かるけど、これやみくもにやったら何時間かかるか分からないよね。
なんかもう、いろいろすごい。
 
そして作業開始後20分も経とうというころ、勢いよく「ガチャン!」とロックが外れた音がした。
私は思わず「やったー!」と大声で叫んで、ドアノブを回す。
自分の家のドアが開くのが、こんなにうれしい日が来るとは……。
こうして私は、晴れて自分の家に入ることができたのだ。
 
そのあとも初めてづくしの体験が続く。
その家が確かに私の家であるということを証明するために、免許証の提示と、合鍵の照合。
おじさんから事故受付センターに請求書を出してもらうための、作業証明書の記載と捺印。
私から海外旅行保険の事故受付センターへの、作業の経過報告と完了の電話連絡。
成田空港に着いたのはお昼ごろ、家に入れたのはそれから9時間後のことである。
ドアが開いた瞬間、思わずウルっとしてしまったが、おじさんがいる手前、私はどうにか涙をこらえたのだ。
 
それから10日くらいしてから、ようやくスーツケースが手元に戻ってきた。
私のスペイン旅行は、ここでようやく完結したのだった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
うえひらまさ代(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京都在住、自営業
テンポの良い文章を書けるよう奮闘中。
ゆくゆくは、クスッと笑えてちょっと泣けるノンフィクションを、取材を通して書きたいです。
(そして賞を取りたいです。)

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2023-12-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.245

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