『コミケの縁起物』と呼ばれた人形。《週刊READING LIFE Vol,90 今、この作家が面白い》
記事:佐和田 彩子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
私の部屋には、一応、神棚がある。
そこには、様々な神社やお寺から頂いてきたお札や御守り、おみくじが並べられている。
部屋に招き入れた友人たちから『節操がない』と言われている私の聖域。
その中に、二つ、小さな箱に入った日本人形がある。
和紙だけで作られたそれらは、手のひらに載るほど小さいにも関わらず、ものすごく精巧に作られていて、見ていて飽きない。
最近、この二つの人形を見る度、不安になってしまう。
髪が伸びている、とか、目を離すと動き出す、とか、そういう怪奇現象では決してない。
だけど、それ以上の恐怖を感じてしまうのだ。
あの人は、この人形の作家さんは、お元気なのだろうか、と。
この人形の噂を聞いたのは偶然だった。
『コミックマーケットには、幻の縁起物がある。それは日本人形で老夫婦が頒布している』
コミックマーケットとは、年二回行われる表現の祭典だ。漫画、小説、エッセイなどの同人誌や手作りのアクセサリーなどの雑貨、コスプレまでありとあらゆる表現を発表する場だ。だから人形を出展する人がいてもおかしくはない。実際、人形の服を作っている方の作品を譲ってもらったこともある。
だが、私は耳を疑った。
毎回、雑貨を扱う方を熱心に調べていたのだが、そんな日本人形を扱う作家さんに巡り合ったことがないのだ。毎回、探し回っているのに、全く出会えない。
本当に居るのだろうか?
幻、というからには見つけるのに相当骨が折れるとは思っていたのだが、想像以上の難題だ。
大量の人数を飲み込むコミックマーケットは、乱雑な場所ではない。
あまりに多くの表現を扱うが故に、細分化がきちんと行き届いている。作家はサークルという名で管理され、きちんとカテゴリーごとに集められる。欲しい人、好きな人がきちんと辿り着けるよう配慮が行き届いている。私が探しているのは雑貨を主体とした作家さんたちのサークルがひしめき合っている場所だ。日本人形はどちらかといえば雑貨に分類されるもの。この集団の中にいるはずなのだ。
そして、ルールもしっかりと行き届いている。作家として、表現者として、コミックマーケットで自分の作品を譲るためには事前の登録が必要不可欠だ。しかも登録されたデータは全てコミックマーケットを管理するする準備会が管理・監視している。ルールを破る事はほぼ不可能だ。
まるで幽霊のような人形作家の老人に会うため、私はコミックマーケットが行われる度に奔走し続けた。
それは、突然だった。
運良くサークルとして参加できる機会に恵まれた私は急いでいた。
サークル参加は時間との勝負だ。午前九時以内にビックサイト内へ入らなければならい。遅刻は厳禁。電車の遅延さえ言い訳に使う事はできないのだ。
「どうして、こんな、日にっ!」
私は重いカートを引っ張りながら早歩きでビックサイト内を横断する。ちゃんと余裕を持って家を出たはずだった。信号機の故障がなければ。なんとか九時までにビックサイト内へ入り込む事はできたものの、ここからが修羅場だ。いろいろな作業を三十分以内に済ませなければならない。余裕はいろんな汗でとっくに流されてしまっている。
時間通りに電車が動いていたら、もうすでにサークル受付を済ませているはずなのに!
そう叫びたいものの、煽りを喰らったのは私一人ではない。被害者全員で泣き叫んでも時間は戻って来ないので、黙々と歩き続ける。
ふと、視界の端に何かが映った。
急がなきゃ、と動かしていた足がピタッと止まる。
おかしい、おかしい、何かが、すっごくおかしい。
自分のセンサーに何かが引っ掛かった。
時間がない。今、立ち止まったら、遅刻をギリギリ免れた恩恵を捨てることになる。
だけど、どうしても、気になってしまった。
ここで寄らないと、とんでもないものを見失ってしまう。
そんな予感が、よぎってしまった。
私の予感はけっこう当たる。特に、コミックマーケットで感じたものは。
私は、気になった方向へ、仕方なく足を向けた。
「うそ……」
そこには、日本人形がずらっと並んでいた。
どれも手乗りサイズで可愛らしいものばかり。雛人形や花魁、船頭を載せた船まである。
よく見ると、全て和紙で作られていて、着物の襦袢すらしっかりと作り込まれている。
「いらっしゃい」
ニコニコと笑う、優しそうなおじいさんとおばあさんが、人形たちの向こうからひょっこりと現れた。
ここだ、ここが、まさか。
『コミケの縁起物』の噂通りだ。日本人形を頒布する老夫婦とは、この方々のことで間違いないだろう。
だけど、おかしい。雑貨を扱うサークルが集うのは明日だったはずだ。なぜ、今日、ここにいるのだろうか?
呆然と見ていると、二人は申し訳なさそうに口を開く。
「まだ準備できていないから、始まったらまた来てください」
そうだった。コミックマーケットは開始してからじゃないと譲ることができない。そう決められているんだった。
私は慌てて自分の持ち場へとできる限りの早足で向かうしかなかった。
その後、お会いした時に聞いた話なのだが、どうやら、この老夫婦は元々、民芸品として和紙の人形を作成している人形作家さんなのだという。通りでミニチュアのような日本人形たちが精巧で繊細だったのだ。顔は描かれてなくても、四肢の動きだけで感情や情景が表現されたそれらを愛しているファンは沢山いるらしい。話をしている内に、また一体、また一体とお嫁に旅立っていく。
でも、なぜ、本職の方がコミックマーケットに参加しているのだろう?
確かにどんな表現を内包する場ではあるが、すでに発表している場所はあるのだ。夏と冬。快適とは口が裂けても言えない会場。体力を限りなく消耗させてまで来るメリットが全く分からない。
「民芸店では見えないからねぇ」
「見えない、ですか……?」
「えぇ。買ってくれるお客さんの顔が、ね」
確かにそうだ。お店に並ぶ民芸品を買う時、作家の方との接触は全くない。
どんな風に手に取っていくのか。
どんな風に買っていくのか。
その光景は作家の想像に委ねるしかないのだ。
だが、コミックマーケットは違う。
サークルに来てくれた参加者と対面して譲るのだ。
目の前で喜ばれ、迷いながらお気に入りの逸品を選び出していく。その瞬間を共有することができる。それは、作家にとって諸刃の刃だ。いい反応が返ってくれば嬉しいが、心ない反応を返される可能性だってある。気にも止められず通り過ぎられることだってあるだろう。でも、たった一言、たった一動作でも自分の作った作品に嬉しい反応を返された時、本当に、本当に嬉しくなってしまう。作ってよかった、と思える。
それは、プロもアマも関係ないようだ。
それ以来、私は毎回、この日本人形を一体ずつ譲ってもらっている。
最初は2018年の冬、綺麗な花魁さんを譲ってもらった。帯の艶やかさがとても気に入ってしまい、即決してしまった。
2019年の夏は船頭さん。小さいながらも梶を力一杯漕ぐ姿は様になっていてかっこいい。こちらも即決だった。
そして、2019年冬、私は意気揚々とそのサークルへ向かった。
「あれ?」
ない。ないのだ。
まだ十二時を過ぎた辺り。いつもなら、まだ日本人形が鎮座しているはずなのに、机の上には一体も見当たらない。そして、おじいさんの姿も見当たらない。
「ごめんなさいね、もう、全てお嫁に行ってしまったの」
すまなそうに頭を下げるおばあさんに、私は慌てて首を横に振る。
作品は一期一会。出会えない時だってあるのは知っている。
だけど、何かがおかしい。
言いようのない不安が、拭えない。
「おじいさん、どうしたんですか?」
不躾ながら、そう、聞いてしまった。すると、おばあさんの代わりに横に座っていた女性が口を開いた。
「おじいちゃん、今年の秋に脳梗塞になってしまって……」
「え!? 大丈夫なんですかっ!?」
「もうリハビリしているから大丈夫よ」
慌てる私に穏やかに笑う彼女に、どこかおじいさんの面影が重なる。聞くと、彼女は老夫婦の孫で、二人にコミックマーケットへの参加を勧めた張本人だった。
「でも、ちょうどコミックマーケットに出す人形の作成時期と入院が重なっちゃってね」
こればっかりは仕方ない。どんな職人でも、作る体力と時間がなければどうしようもない。間に合わせるよう、リハビリも兼ねて作成されていたようなのだが、やはり量が足りなかっのだという。
「貴方が来るちょうど五分前に全て完売してしまって……」
「仕方ないです。でも、大事に至らなくてよかったです」
作品は手に入らなかったのは残念だったが、作家さんさえ元気なら、また、いつか、巡り合うことができる。そう、信じるしかない。
お大事に、と言い残して去ろうとしたら、ふと、何か差し出された。
見ると、スケッチブックとカラフルなサインペンの束だった。
「もし、良かったら、これにメッセージを残してもらえませんか?」
おじいさんは、やっぱり、コミックマーケットの会場に来たがったのだという。自分の作った作品をちゃんと自分で渡すために。だけど、退院して間もない体で来れるほど優しい環境ではないため、泣く泣くお留守番になってしまったようなのだ。インフルエンザにノロウイルスに感染する可能性だってあるし、何より体力はことごとく消費する会場内。家族の判断は最もだ。だけど、人形作家として、手塩にかけた人形たちを送り出すことに喜びを感じていたおじいさんの心を鑑みると、やるせない思いがこみ上げる。
「是非、書かせてください」
私は、ペンを取り、下手くそながらに文字を書いていく。
今までの感謝と、元気になった時に再開したいという希望を、力強く書いていく。
ふと、気づくと、私の後ろに数人並んでいた。何とか描き終えると、後ろの人へ渡す。
スケッチブックに文字がどんどん追加されていく。
どうやら、老夫婦の日本人形を愛していたのは、私だけではなかったようだ。
どうか、このスケッチブックに込められた思いが、寂しくお留守番をしているおじいさんに届きますように。そして、また、再開できますように。
後ろ髪を惹かれながらも、私はそのサークルを後にした。
コロナウイルスの影響で、今年のコミックマーケットは中止が決定している。
あの老夫婦と出会える機会が完全になくなってしまった。連絡先は全く分からない。だから、その後の体調も、今、どんな状態なのかも分からない。
どうか、無理をなさらないでほしい。
どうか、無事であってほしい。
どうか、元気になってほしい。
今、私には、それを知る術はない。
もし、コロナウイルスが落ち着いて、また、コミックマーケットが開催されたら、あの老夫婦に出会えるのだろうか?
あの優しく笑う人形作家さんにまた出会えることを、私は切に願っている。
□ライターズプロフィール
佐和田 彩子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
埼玉県生まれ
科学、サブカルチャーとアニメをこよなく愛する一般人。
科学と薬学が特に好きで、趣味が高じてその道に就いている。
趣味である薬学の認知度を上げようと日々奮闘中。
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