週刊READING LIFE vol.132

人生の後半戦に向けて、恥のかき捨てを始めてみようか《週刊READING LIFE vol.132「旅の恥はかき捨て」》


2021/06/29/公開
記事:晴(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
海道一の弓取りの異名を持ち、後には「東照神君」とも「権現様」とも崇められた徳川家康には、恥ずかしいエピソードが残されている。
三方ヶ原の戦いで敗走する時、恐怖のあまり馬上で「脱糞」し、そのことを家来の大久保治左衛門(忠世)に大声でからかわれて「これは、焼味噌だ」と言い訳をしたというものだ。
三方ヶ原の戦いとは、1572(元亀3)年12月22日に静岡県浜松市の三方ヶ原で起こった、武田信玄と徳川家康の戦いである。圧倒的な兵力の差と戦巧者の信玄の作戦によって、午後四時ごろから開始された戦いは、日没までのわずか2時間で雌雄を決し、徳川家康の惨敗に終わった。一説によると、武田軍の死者が200人だったのに対し、徳川軍の死者は10倍の2000人に上り、家康は有力な家臣を何人も失ったとのことだ。また、家康自身も追いつめられ、夏目吉信を身代わりにして生き延びたと伝わっている。
家康が「脱糞」したことの信ぴょう性は低いらしいが、このエピソードを友人から聞いた時、「うんちを漏らしてしまう」ということは、いつの時代でも恥ずかしく全否定すべきことで、400年以上の時を経ても消えることがない恥なのだと思った。
 
だが、本当にそうだろうか。
死ぬまで消えない恥。
死んでも消えない恥。
そんな恥などあるのだろうか。

 

 

 

「お母さん、よっちゃんがうんちした!」
夏の午後、小学校2年生の長男が、玄関ドアを開けて飛び込んできた。
汗だくの顔と弾んだ息で、走って帰ってきたことがうかがえる。
真剣な表情と今にも泣きだしそうな目が、彼の必死さを伝えてきた。
よっちゃんとは、彼の年子の弟のことで、弟が、学校の帰り道にマンションの植え込みの陰で、「うんち」をしてしまったとのことだ。
私は、三種の神器「新聞紙、小さなスコップ(移植ゴテ)、ビニール袋」を手に、長男に案内されて「現場」に向かった。エレベーターを降りて、マンションの脇に回り込むと、植栽の間にいつもの可愛い顔をしてよっちゃんが立っていた。
彼の小さなお尻は、すでにパンツとズボンの中に格納されていたが、足元には、長男の報告通りのものが残されていた。我慢できずに、お尻を出して用を足してしまったらしい。次男の落とし物を新聞紙に回収しながら、私の頭は25年以上前の夏の日にタイムスリップしていた。

 

 

 

私が小学校1年生の時のことになる。
同じクラスに、与一クンという男の子がいて、みんなから「よいっちゃん」と呼ばれていた。
よいっちゃんは、一時期、下校途中の女の子に石を投げることにはまっていた。小学校1年生とはいえ、男の子が加減せず投げる石の威力はすさまじく、当たると充分痛かった。
大きな石は重く、投げても距離が出ない。小さな石の方が、スピードが速く、距離も出て、鋭く当たった。耳元に小石が飛んできたときは、「言葉で表現できない音」がした。
 
よいっちゃんに石を当てられないように、私と友達は、授業が終わるとすぐに学校を飛び出した。よいっちゃんの投げる石が届かないところまで走ると、ゆっくり歩き、よいっちゃんが距離を詰めてくると、また走った。
通学路は、田んぼの中の一本道でさえぎるものは何もなかった。
私たちは、後ろを振り返り振り返りしながら、走ったり歩いたりして帰った。
通学路のちょうど中間地点に十字路があり、私は角を左に曲がる。
友達とよいっちゃんはまっすぐ帰っていった。
角を曲がって、「飛んでくる石」から解放されると、私は一人で、れんげやつつじの花の蜜をなめたり、湧き水を飲んだり、雨の日には、道にできる大きな水たまりの中でばしゃばしゃ足踏みをして長靴の中を雨水でいっぱいにしたりした。
 
それは、あと少しで夏休みという暑い日だった。
いつも通り友達と速足で帰り、いつも通り十字路を左に曲がって一息ついた。
その時、耳元で「あの音」がして、1メートル先に石ころが落ちた。
おどろいて振り返ると、十字路を直進しているはずの「よいっちゃん」が、すぐ後ろに迫ってきていた。私は恐怖で凍り付いた。足もすくんでいたはずだが、身体は機敏に反応し、すぐに駆け出した。走って走って、もう足が前に出ないというところまで走って、ようやく止まった。
おそるおそる後ろを振り返ると、よいっちゃんの姿はどこにもなかった。田んぼ道には7月の太陽がぎらぎらと照りつけているだけだった。
よいっちゃんは、気まぐれに十字路を少しだけ左に曲がって、私に石を投げて、元の道に戻っていったのだ。私はそれに気づかず、必死で走って逃げていた。
 
恐怖から解放されてほっとしたのもつかの間、今度は私のおなかに緊張が走った。
おへその下にぎゅっと縮むような感覚が来て、だんだんとその強さと頻度を増していく。その感覚は、徐々に徐々にと肛門へと伝わっていった。
おなかには力を入れないようにしながら、お尻の穴だけをぎゅっと閉めて歩く。
家までは、もう少しだ。
気温は高く日差しは痛いほどなのに、腕には鳥肌が立ち、暑い汗が冷たい汗へと変わっていった。
気持ちだけはあせって前へ前へと進むが、足は一向に進まない。
足の幅の半分づつしか踏み出せないから、どんなに急ぎたくても急げないのだ。
太ももと太ももがすれるほど内またにして、腰をもそもそさせて家を目指したが、あと数メートルのところで力尽きてしまった。

 

 

 

お尻に、少し重くなったパンツをぶら下げたまま、ぎこちなく歩いて家にたどり着くと、玄関わきにあった小さな畑で、手ぬぐいを姉さんかぶりにした祖母が、しゃがんで「草むしり」をしていた。
祖母は、私の歩き方と泣き顔を見て、なにがあったかを察し、立ち上がって手招きをした。
そして、私を玄関わきの水道へ促すと、おしりや足を丁寧に洗ってくれた。長いホースを伝って出てきた水は、夏の太陽に温められてお湯になっており、私の気持ちを緩ませた。
 
私をきれいにした後、祖母は私が汚したパンツを洗い始めた。筋張った細い手がごしごしと真剣に動き、バケツの水が何度も何度も取り替えられる。
青いと表現する方が正しいと思われるほど色白の祖母の横顔。
ブリキのバケツの持ち手の赤いプラスティックが日焼けして色あせていたこと。
勢いよくホースから出る冷たい井戸水の反射。
それらを、私は縁側に座って雪印ローリー(宅配の乳酸菌飲料)を飲みながら眺めていた。
ローリーは、なまぬるく、少しすっぱかった。
祖母は、最初から最後まで無言だった。
 
そして、無言のまま逝ってしまった。
私からはもちろんだが、この時のことは祖母からも話題に出ることはなかった。
あの時無言だった祖母は、本当は、「粗相をした私」を怒っていたのではないか、あきれて物が言えなかったのではないかとずっと気になっていた。
それを確認することはおろか、「ありがとう」や「ごめんなさい」を伝えることもできないまま、祖母は亡くなった。

 

 

 

それから四半世紀後の夏の昼下がり、そこには、固唾を飲んで見守る長男と、にこにこ笑って立っている次男と、無言の私がいた。
私は、神聖な儀式を行うような面持ちで「それ」に向き合った。
スコップで弾みをつけると、「それ」はあっけなく新聞紙へと移動した。
私は、更にビニール袋へ入れて立ち上がると、無言のまま、子どもたちの背中をそっと押して、エレベーターに乗るように促した。
私は無言だったが、次男のことを怒ってもいなかったしあきれてもいなかった。
ありていに言えば、感情らしいものは湧いていなかった。
「よっちゃんは、うんちがしたくなったからうんちをした」
子どもはそんなものだと、淡々と処理をしたに過ぎない。騒ぎ立てるほどのことでもなかったのだ。
そこで初めて、25年前のあの日、祖母も私のことを怒っていたわけでも、あきれていたわけでも、ましてやバカにしていたわけでもなかったのだとわかった。5人の子供を育て上げた、明治生まれの祖母にとって、パンツにうんちをつけて帰ってくるなんていうことは、全く「なんでもないこと」だったのだ。
息子の排せつ物をトイレに流しながら、私は自分の人生の恥だとわだかまっていたものの一つが一緒に流れていったことを感じていた。
シャワーを浴びてさっぱりした息子たちと、カルピスを飲んだ。
コップの中の白いカルピスに、透明な氷が「コロン」と溶けて涼しげな音を立てる。顔を見合わせて笑いあう二人が、愛おしくてたまらなかった。

 

 

 

私には、お漏らしをしたという事実に、ずっと「恥ずかしい」という感情が付いて回っていた。
だが、25年後、息子のことがあったおかげで、私の中でこの事実は、実は「何でもないこと」だとわかり、私の記憶は、息子たちの笑顔に彩られた大切な思い出となった。
この時、初めて自分の恥はかき捨てられた。書き換えられたと言ってもいいかもしれない。
 
さらに、私が「外でうんちをしてはいけない」と思い込んでいたのに対し、次男は、「パンツの中でうんちをしてはいけない」と思い込んでいた。
私は私にとっての正しいことをし、次男は次男が思ったとおりの正しいことをした。
次男は、自分の正義に則った行動をして、堂々とにこにこ笑っていた。
私は、私の正義に則った行動をしたにも関わらず、鬱々と恥を抱え込んで生きてしまった。
私も、堂々とうんちをくっつけたまま、笑って帰ればよかったのかもしれない。
笑って帰っても、祖母は同じように無言で淡々と処理をしてくれたと思う。

 

 

 

人は、生きている限り恥を積み重ねていく。いくつになっても恥は増えていき、恥の上塗りといったことも否応なく経験させられる。
だが、事実は見方によって「恥」になったり「誉」になったりする。
私は、自分が正しいと思って選んだことも、結果が人の思惑と違ったり、他人の評価を得られなかったりすると、途端に「恥ずかしく」感じてしまうところがある。そうして、本来ためこまなくてもいいような「恥」を自分の中にずいぶん抱え込んできてしまった。
 
人生はしばしば旅に例えられる。
旅の折り返し地点を過ぎた今、恥のかき捨てを始めようかと思っている。
恥をかき捨てて、人生の後半を身軽に生き抜いていこう。
 
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
晴(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

立命館大学卒 滋賀県出身 算命占星術「たなか屋」亭主

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2021-06-28 | Posted in 週刊READING LIFE vol.132

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