日本から来た「女カサノバ」は大いなる好奇心をもちながらも小心な女だった《週刊READING LIFE vol.132「旅の恥はかき捨て」》
2021/06/29/公開
記事:月之まゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
50年も生きてきて、いまも苦手なことの一つに「断る」という意志表示がある。
いまでこそ、社会人経験もそれなりにつみあげ、相手から受ける誘いや好意を受けられないときは、社交的にその理由を丁寧に伝えることができるようになり、少しはマシな人生をおくれるようになった。
断れない人は、「優しすぎる」とか「きまじめ」とか言われるが、本当にそれだけだろうか。
相手の失望する姿を見たくないのはきっと誰しもが同じではないだろうか。
自分に向けられる失望の対処の仕方を誰も教えてくれはしないし、これからも迷うところだろう。
今回は、相手を失望させたくないあまりに、旅で逃げまわっていた若い女の話を書きたい。
私は若いころ、頭で熟考するより行動力でしか自分が表現できなかった。
そして行動したあとに、必ずその結果を悔やむことを繰り返していた。
1995年の初夏、私はイタリアを2か月かけて一人で旅した。
イタリア移住計画を目的とするプレの周遊だった。
2年かけて日本でイタリア語を学び、渡航した。
計画では日本人がもっとも少ないシチリアに降り立つことにした。日本語にまったく触れない環境に身をおくことで言葉や文化風習をマスターしたかったからだ。
我ながら、スマートな計画だと思っていた。
シチリアの空港に降りるまでは……。
パレルモの空港のバゲージクレーム(荷物受取所)で、流れてくる多くの荷物が何者かによって破壊されているという異様な光景を私は青ざめながら見ていた。
原型をとどめない自分の荷物をみつけた旅行客はあちこちで悲鳴をあげていた。
出発前の成田空港での職員とのやりとりをぼんやりと思い出す。
チェックインカウンターで職員から目的地を何度も確認された。
そして機内に預けるスーツケースにビニール袋を何重にもかぶせてガムテープで縛った。そのとっさの機転のおかげで、私の荷物はナイフで切り裂かれることもなく、ベンチで鍵を壊されることもなく無事に引き取ることができた。
1990年代当時、イタリアのシチリアはマフィアの暴力と汚職で市民は恐怖の底にいた。
日本人の私は、その恐ろしさを知らなかった。
世界を知らなかった。
市内にむかう最後の空港バスは現地の住民ばかりだ。最後の乗客となり市内の大広場で下るときバスの運転手が言った。
「何しにこんなところに来たの? 君は気でもふれたの? 見てごらん、マフィアが怖くて誰も外にでていないし、どこも開いてないよ」
これが最初に、現地のイタリア人、正確にはシチリア人と交わした最初の会話だった。
想像していた歓迎の言葉とは程遠かった。
夜の20時。
広場にひとり降りたつと建物の鎧戸はすべて閉ざされていて、まるでゴースト・タウンにいるようだった。私は一人残されて不安でただ震えていた。
数日後、私は長距離バスでタオルミナという街にいた。
シチリアに入ってからショックを受けたことは治安の悪さだけではない。
2年もかけて学んだイタリア語がぜんぜん通用せず、私のつたないイタリア語を根気よく聞いてくれるのは、日本の学校の教師だけだと思い知った。
イタリア語がしゃべれなければレストランに入ってもいつまでたっても注文を取ってもらえず、ホテルの部屋で電気のスイッチの場所も聞きだせず、暗闇のなかでベッドにもぐるしかない。
彼らが話していたのはシチリアの方言の入るイタリア語だったので通じないのは当然だったが、当時は知るよしもなく危機的状況だった。
パレルモの都会と違って、国際映画祭も開かれていたタオルミナはマフィアとも遠く、人が明るく人懐こい。
日本人が珍しくて、あっというまに街の人に歓迎された。
なかでも考古学教授のアントニオと手広いビジネスをてがける個性的なダニエーレとの出会いは私に多くのことを学ばせてくれた。
アントーニオからは正確なイタリア語会話を習い、ダニエーレからはシチリアとイタリアの生活習慣を学んだ。
例えば、パスタは絶対にテーブルにじかに置いてはならないことや、アサリの入ったボンゴレ・ビアンコはパスタを食べる時は、すべての貝から身だけを取り除いてパスタと絡めて食べること。ピザは手で取り分けず、ナイフフォークを使って食べることなどだ。
これらは今も忠実に私の生活で守られている。
タオルミナの生活では少し変わった経験をした。
街中が私の世話をやいてくれることになり、曜日割でお世話係が決まった。
月曜日と木曜日はアントーニオ、火曜日と金曜日はダニエーレがエスコート役となって、私のイタリア教養を深めてくれた。
水曜日は街の誰かの家に招かれ、土曜日は交際範囲の広いアントーニオの友人たちとシチリアの遺跡を見て回った。
月曜日から土曜日の朝から晩までイタリア語づけの毎日は大変だったが、そこに友情があったので乗り越えられた。私は劇的に言葉をおぼえ、考え方や感情までもイタリア人化し始めていた。
旅をつづけるために移動したい一方で、彼らとの親交が深まるほど、別れがつらくなった。そんなとき小さな事件が起こった。
6月のある日、アントーニオから年に一度、開かれる「いちご祭り」に行かないかと誘った。しかし祭りは金曜日でダニエーレと会う日だった。
だがイチゴの収穫を祝う祭りにこころひかれた。そこで私は金曜日の朝、ダニエーレを待って予定変更を伝えたかったが、いつもの時間に彼はやってこなかった。
「きっと彼は用事ができたのかも。もう今日は来ないよ」
アントーニオのその言葉に後押しされて、私はホテルに伝言を残して祭りにでかけた。
祭りは収穫したイチゴを広場に並べ、巨大なケーキにイチゴで飾って皆で分け合う素朴なものだった。日本人はまだ珍しいころで私は地方紙の取材も受けて有頂天になっていた。パレードも終わり祭りも終盤にさしかかったころ、一台の車が歩行者天国の通りに突っ込んできて目の前で止まった。
車から降りてきたのはダニエーレだった。今日は自分と会う日なのに、なぜアントーニオと一緒にいるのだ! と傷ついた自尊心と嫉妬に駆られて私とアントーニオを詰め寄った。
たかがお祭りでしょ……。
私の開きなおりともとれる一言にダニエーレは激怒した。怒りのほこさきをアントーニオに向け、つかみ合いの騒動になった。それを止めにはいった私の手のなかでイチゴのケーキが押しつぶれた。
その時、私はもうどうにでもなれと思った。猛然と心の底から腹がたった。
曜日割の疑似恋愛めいた3人の関係性も、世話をやかれることも、言葉の劣等感で自分の想いを表現できないままいつも微笑んでいることも、日本に帰れない自分も、思い通りにいかないことも……。
数時間前に村の人と笑顔で焼きあげたケーキにイチゴをデコレーションしていた幸せな自分とは全く違う人間がそこにいた。
私は崩れてしまった残りのケーキを二人にたたきつけてその場を離れて、泣きながらホテルへ戻った。自分への悔し涙がとまらなかった。
その夜、ホテルに戻り荷造りをして、街を離れることにした。町の人たちは引きとめてくれたが、結局、私は彼らになにも返せないまま、シチリアを離れてイタリア本土へ渡った。
南イタリアの街を一人で歩いていると、必ず男性が声をかけてきた。少しでも微笑み返すと朝も夜もホテルの外で彼らは待った。
通りでしつこく声をかけられるのが嫌で、何度か教会に逃げこみ神父に助けをもとめたこともあった。
「彼らは何も悪いことはしないよ」
神父はそうなだめたが私にはそう思えなかった。
文化遺産を昼間に観てまわるのがこんなに大変なことだとは想像もしていなかったが、今思えば、その土地の文化や風習を理解していない自分に非があったように思う。
なぜなら当時の南イタリアには、まだ長い昼休みをとる風習が残っていたし、そんな時間帯に外を出歩く若い女などいなかったからだ。
初夏の太陽が夏にむかって輝きをますにつれて、私は女性であることを隠すようにうつむいて街を歩いた。軽いノイローゼになってナポリに入った。
そしてその日、泊るホテルを探しながら椅子に座っていた老人の前を通りすぎた。
「ボン・ジョルノ、女カサノバ、君はここに何を探しにきたの?」
そう話しかける老人の顔は日に焼けたあんずのようだった。
頭上を路地一杯の洗濯物がはためいていた。
その翌日、老人と私は古い車に乗って、ベスピオ火山のふもとにあるポンペイの遺跡に向かった。80才を超える老人はマッテオと名乗った。
みてまわった遺跡のエロティックな壁画は神秘的だったが、視覚の色香など蒸発してしまうほど暴力的な暑さだった。
食欲などおこるはずもなく、私たちは露店で切ったばかりの冷えたスイカを食べた。
しわの刻まれたマッテオの口から赤いスイカの汁がしたたるのを見ていると、死んだ障壁画よりも目の前の命のほうがよほど官能的に思われた。
その夜、ホテルの窓の下でマッテオはナポリ民謡の愛の歌をその年齢とは思えない朗々した声で歌ってくれた。私は星空をみながらその歌に酔いしれたが、翌朝、マッテオは熱中症で高熱をだし寝込んでしまった。
彼の息子が私の部屋にやってきて、父の想いに応えられないなら、できるだけ早く街をでてほしいと穏やかに伝えにきた。
いくつになっても生涯、恋愛体質。そうか……。イタリア人がそうと気づくと急に楽になった。私はある種の感動さえ覚えてその日の午後、フェリーでナポリをでた。
向かったカプリ島でも似たようなことがおこり、私はまたしても楽園を追放された。
でももう悩まなかったし、苦笑するほどだった。
女カサノバとマッテオが私に言った言葉が頭からはなれなかった。
カサノバは生涯、理想の女性を探し求めて、数多の女性と浮名をながしてはそのもとを去るイタリアの永遠のドン・ファンだ。
自ら赴いた理想の国なのに、誰とも深くつながることができず、想いを受け止められず、不器用に逃げてばかりだった。そして逃げる度に痛みがのこった。
ヴィスコンティの映画、「ベニスに死す」にあこがれてベネチアにわたった。ここで私は一人のゴンドリエーレ(ゴンドラを漕ぐ人)と出逢う。
友人に紹介されて出逢った瞬間、互いに恋に堕ちる予感があった。これまでと全然違っていた。
出逢った日の夜、感じの良い地元のレストランで食事をし、互いのことを時間を忘れて話し、彼のゴンドラで夜のカナルグランデや水路を巡った。
泣きたくなるようなロマンティックな夜だった。
別れ際、彼の口から「一緒に住まないか、翌日の夜、同じレストランで返事を聞かせて欲しい」と言われた。
私はすっかり舞い上がってホテルに戻り眠りについたが、翌朝、目が覚めると急に怖くなった。
これまで出会った誰もがまっすぐに私の心に踏みこんできた。
イタリアに来る前に、自分で何を欲しているのかわからなくなり、旅にでたいと考えた。旅にでることで、欠けた自分のピースを見つけられるとの直感があった。
自分のしらない未知の世界と出逢うことで、自分が成長できると思っていた。
しかし恋こがれてたずねた街も世界遺産も「知」の感動の波がおさまると無言になった。そして私の本当に知りたかったことには語りかけてこなかった。
行く先々で、そこに住む人たちは、私に心をひらいてくれた。
男性も女性も、子供も大人も老人でさえも……。
そして彼らは心をひらいた後、私に行動で問いかけた。
ところでお前はいったい何者なのかと……。
それに応えることができず、私は逃げるという恥をかさねながら点々と旅をつづけた。
そして相手との関係性がこじれたり、強くなりかけると荷物をまとめて旅立った。
船で、バスで、列車で、そして飛行機で……。
今、過ぎてみて私がイタリア周遊で何を得たかというと、自分の未熟さと弱さを自覚したことと、逃げたり追われたりしながらもまっすぐに突き進んだひたむきさだ。
そしてその土地に想いをのこしてきた人たちを思い出すと、今も胸が痛みでうずく。
唯一の救いは私のみたアドリア海の深く碧い海は、そんなことさえ呑みこんでしまう雄大な美しさに満ちていた。
若い私は逃げる道中で、ずっと海の景色を見ていた。
逃げる女に寄りそうように七色にかわる海の水面には、今もたしかに「許しの神」がいたような気がしてならない。
□ライターズプロフィール
月之まゆみ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
大阪府生まれ。公共事業のプログラマーから人材サービス業界へ転職。外資系派遣会社にて業務委託の新規立ち上げ・構築・マネージメントを十数社担当し、大阪地場の派遣会社にて現在、新規事業の企画戦略に携わる。2021年 ライティング・ゼミに参加。書き、伝える楽しさを学ぶ。
ライフワークの趣味として世界旅行など。1980年代~現在まで、69カ国訪問歴あり。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
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